I like what I like

アイドルが好きです。

2019年のジャニーズ伝説とはなんだったのか。

2019年10月29日。2019年のABC座、ジャニーズ伝説2019が幕を下ろした。

初日は怒りでいっぱいだった。改悪としか言いようのない演出、脚本変更。こんな大事な年にこんなひどい舞台を上演するなら、昨年のまま上演してくれればよかったのに。あるいは、2013年、2014年のように思い切りファンタジーにしてくれればよかったのに。いや、むしろやらない方がましなんじゃないだろうか。そんなことを思ってしまって、どうしようもなくつらかった。

それでも、私は劇場に足を運ぶ。内容がどうだろうと自担がいれば見ないという選択肢はない。一幕は虚無だ…と思いながら、見続ける。ストーリーはそのままではあるものの、回数を重ねるごとに変化していく舞台。舞台中に触れた戸塚くんの言葉。蘇ってくる思い出の数々。それらを繋ぎ合わせてみた時、私の中でやっとひとつの答えが出た。

2019年のジャニーズ伝説は、『未来への旅立ちの物語』だったのかもしれない。

 

 

ジャニーズ伝説について

ジャニーズ伝説は2013年の初演から2014年、2017年、2018年、そして今年2019年と計5年に渡って上演されたABC座を代表する演目ともいえる。

この記事を読んでくださっている方にとっては不要かもしれないが、もし見たことがない方がいらっしゃったら、過去二回、円盤化もされているのでそちらもぜひ見てほしい。(今年もカメラが入っていたらしいので、円盤化されることを期待する)

まずは2018年までのジャニーズ伝説の話をしよう。2018年まで4回に渡り上演されたジャニーズ伝説ではあるが、そのストーリーは大きく二つに大別される。

2013年、2014年のジャニーズ伝説は、初代ジャニーズの歴史をベースに、初代ジャニーズと架空の存在である盲目の少年そしてその兄の物語が描かれていた。2017年のジャニーズ伝説についての記事を書いた時にも同じようなことを書いたが、この二年間のジャニーズ伝説は史実を下敷きにしたファンタジーだった。

打って変わって、2017年、2018年のジャニーズ伝説は、舞台上に実在しない人物が存在しない伝記的な物語になった。この二年間のジャニーズ伝説で一番大きな変化と言えるのは、舞台上にジャニー喜多川その人を登場人物として登場させたことだと思う。

ジャニーさんが登場したことで、ジャニーズ伝説は大きく変わった。ジャニーズ伝説は、常にふたつの視点を持って描かれていたのだが、(前者(2013年、2014年版)は初代ジャニーズあおい輝彦氏と盲目の少年の兄、後者(2017年、2018年版)はあおい輝彦氏とジャニーさん)ふたつ目の視点がジャニーさんに変わったことで、初代ジャニーズの歴史を内存する『ジャニーズ』の歴史を描く大きな物語へと変わったように感じられた。

2017年にジャニーズ伝説が再演されることとなった一因にはジャニーさんが高齢になってきた今だから演じなければならないという誰かの想いがあったのではないだろうか(もちろんそれだけではないだろうが)。ジャニーズ事務所が大きく変わっていく未来が遠い未来の話ではなったからこそ、ジャニーさんが『ジャニーズ』を作った当時のことを描き、受け継いでいくべき伝説を提示するために、2017年と2018年のジャニーズ伝説は再演されたように思う。

うっかり2018年のジャニーズ伝説について記事にしそびれていたのだけど、2018年のジャニーズ伝説は『ジャニーズ伝説の集大成』と言っても過言ではない舞台だった。ストーリーはよりシャープになった。演出もより物語に深みを持たせるものになった。そして、なによりもラストシーンが感動的だった。ジャニーズの解散を見届けたジャニーさんが、ステージの奥に現れた四人のもとに駆け寄り、楽しそうに五人で笑い合う。次のステージのことを話しているのだろうか、軽口を叩きながら笑って、でも真剣で。そんな五人をステージに残したままステージの幕は降りる。紗幕の向こう、暖色の照明に照らされたその姿は、過去のジャニーズとジャニーさんを表していたのかもしれないし、あの日ジャニーさんが描いた夢がまだ続いているということを表していたのかもしれない。

ジャニーさんが「僕はA.B.C-Zのファンだから」と言ってくれた2018年のジャニーズ伝説。手前味噌だけど、どこに出しても恥ずかしくない、A.B.C-Z以外の『ジャニーズ』を好きな誰かに見てほしいと思えるような舞台だった。

 

 

2019年のジャニーズ伝説

2019年のジャニーズ伝説初日。戸塚くんの目の前でJr.の靴が脱げ、その靴を戸塚くんが履かせてあげるという、戸塚祥太による1999年の戸塚少年の救出劇で感動したものの、終わったあとはとてもしんどかった。特に一幕。出番がない!虚無!脚本最悪!台詞移し替えただけじゃん!事前情報で知ってはいたけど、ジャニーさんいないのつらすぎ!等々。これまでを知っているからこそ、悲しくて、腹立たしくて、耐えられなかった。

今となっても、出番や脚本に対する悲嘆や怒りは消えてはいない。これは嘆いてもいいことだし、怒ってもいいことだと考えている。ただ、全てが終わった今だからこそ、ジャニーさんの不在については必然だったように感じている。

ジャニーさんが亡くなってその存在がよりオープンになったこと、ジャニーさんが公の場に出ることは嫌っていたこと、今回演出に加わったタッキーがジャニーさんがいるのは違うんじゃないか?と言ったこと。ジャニーさんを出さないという選択をする裏付けになる事実はたくさんあったけど、なんとなく腑に落ちなくて、ずっと噛み砕けないままだった。けれど、千穐楽で戸塚くんが泣いた話を聞いて、急にすとんと胸に落ちてきた。

“ジャニーさんは、もういない。”

その事実は変わらない。どうしたって揺らぐことはない。いくらステージの上に彼を描いたとしても、彼はもう、いないんだ。ひとつの夢とひとつの伝説は終わりを迎えたんだ。

そう思うと「描かない」という選択は、とても正しいものだったように感じられる。

ジャニーさんのいない今、彼に頼らずに、彼の姿なくして新たな「ジャニーズ伝説」を作り上げることは、彼らが今やらなければならないことだったように思う。

2013年、2014年のジャニーズ伝説がAパターン、2017年、2018年のジャニーズ伝説がBパターンだとすると、今年のジャニーズ伝説はB'だと思っていたけれど、実はそうではないのかもしれない。今になって思うと、2018年のジャニーズ伝説と2019年のジャニーズ伝説はまったく別の物語だったと思える。

ジャニーさんの逝去で、伝説はひとつの区切りを迎えた。いつまでも過去の中で生きることはできない。ジャニーさんがいた過去から旅立ち、新たな伝説を今に繋いでいくための物語が今年のジャニーズ伝説だったと、今の私は感じている。

 

 

物語の結末、そして行く先

では、この『未来への旅立ちの物語』の結末はどうなったのだろうか。もちろん、今の地点での結末ではあるものの、私が感じたことをここに残しておこうと思う。

今年のジャニーズ伝説で特に素晴らしかったことは、たくさんの子どもたちが出演したことだと思う。

ABC座のバックはジャニーズJr.の中でも比較的舞台経験の多いJr.が務めることが多く、クオリティの高い安定したステージを見られることが例年のABC座の魅力でもあった。ところが、今年のバックはいつもとは様子が違った。これまでに続きMADEの出演はあるものの、キャリアはあるが(とは言っても十分短い)幼い少年忍者、そして、戸塚くんと一緒に初代ジャニーズの歴史を辿る少年たちとしては入所して間もない子どもたちが舞台の上に立っていた。

子どもたちを見ているとジャニーズ伝説の本編でのワンシーンを思い出す。突然テレビ出演が決まってこれから収録という場面でジャニーズのメンバーは「できない」とは言わない。もちろんこれはお芝居の中だけど、現実にもそんな場面があるということは『ジャニーズ』のタレントから数多くのエピソードとして語られている。彼らが、それまでに努力を積み重ねていることはわかっている。でも十分に準備が整っていようがいまいがステージに出て何かを残すというチャレンジングな姿勢は『ジャニーズ』を象徴するものだと思う。そして、タレントからよく語られるジャニーさんの「You、やっちゃいなよ」というセリフにも表されるように、『ジャニーズ』は子どもたちにチャレンジできるステージを常に与え続けることで、子どもたち、そして『ジャニーズ』の未来を作ってきたともいえる。

子どもって本当にすごい。一ヶ月という短い間に驚くべき成長を遂げる。覚束ないアドリブを見せていた織山くんも最後には誰にも頼らずアドリブをこなせるようになったし、戸塚くんと少年たちのやり取りも仕込みはあるだろうけれど十分に観客を楽しませるものになった。演技もダンスもそうだし、なによりも表情が変わったと思う。少年たちの成長には、彼ら自身が先輩の背中を見て自分の力で得た部分もあるだろうし、きっとA.B.C-Zも彼らとそれ相応のコミュニケーションを取ったのだと思う。タレントがタレントを育てるというのもまた『ジャニーズ』の伝統のひとつだろう。

そういったある種の『ジャニーズイズム』のようなものをこの舞台を通して私は感じられたし、それが結果として表れたということは「自分たちはもう大丈夫」という彼らからのメッセージだったようにも感じられた。

だからきっと、この物語はひとつの素晴らしい結末を迎えたのだろうし、この結末が本当の結末ではなく、未来へ向かう決意を表したものだったとも言えると思う。

(余談にはなるが、長い間、Jr.に囲まれているA.B.C-Zを見ていなかった。年齢やキャリア的に仕方ないとはいえ、それを少し寂しく感じてもいたので、今回のように自分の子供でもおかしくないような子どもたちと共演している彼らを見ると胸が熱くなった。)

 

 

戸塚くんのジャニーズ伝説2019

お久しぶりです、考察中です。

ここまで自担のことはあまり話さなかったのですが、私がこれで終わる女ではないことは以前からこのブログを読んでくださっている方ならご存知でしょう。個人的な解釈なので、ふーん、ぐらいで読んでいただければと思います。

 

ZIPのジャニーズ伝説の密着、稽古初日の稽古場。ジャニーさんがいつも座っていた場所を前に「大体ジャニーさん、あそこに座ってたんで、そこらへんになんか……ジャニーさんの息吹がありますよね」と、戸塚くんは笑った。ジャニーさんのいない稽古場で、現実と対峙しながらもどこかまだ戸惑いを隠せないように見えた。

10/27のとつブロ、「もう会えない誰かと、今を生きているみんなを自分の肉体を通して、間接的に引き合わせることができるんじゃないかと」。10/28のとつブロ、「僕の肉体を通過した先にある、あなたのメモリーにアクセスしてみてください」。戸塚くんは私たちを現在にいながらにして過去の世界へ導き、会えない誰かと会わせようとしていた。けれど、本当にもう会えない人と会いたいと思っているのは、きっと彼も同じ、いや我々よりも強くそう思っているのだろうと思った。

そして、千穐楽。残念ながらこの目では見れなかったが、You…で戸塚くんはステージの上で泣いた。人前では泣かないと決めている、と言っていた戸塚くん。私もお芝居以外で戸塚くんが泣いている姿は見たことがない。そんな戸塚くんが泣いたということに少なからず驚きはしたものの、「あぁ、戸塚くんが泣けてよかったなぁ」と思った。だって、きっと、それは彼がその想いを遂げたということだと思ったから。

10/27のとつブロで、「眼力で目の前の空間に異次元への入り口を開けられる!と思ったことがジャニーズ伝説の本番中に2回あった」と記しているけれど、これは十中八九You…の曲中のことだろう。You…は、ジャニーズ伝説2019の上演にあたって堂本剛くんが書き下ろしてくれた曲だ。ジャニーさんが大切にした平和への祈りや未来への無限の可能性も歌われるその歌詞はジャニーさんから彼の子どもたちであるタレントへのメッセージであり、そういうあなただから好きだったという、子どもたちからジャニーさんへの尊敬と愛を込めた歌にも聞こえる。千穐楽のステージでその歌を歌いながら、戸塚くんはきっとその入り口を開けて、もう会えない誰か、つまりはジャニーさんと会うことができたんだろう。

10/27のとつブロで戸塚くんはこうも語っている。「だからみんな、僕の身体を通過して、出会い、言葉を送ってね」きっと戸塚くんは、そこで彼とまた出会い、言葉を送ったのではないだろうか。その言葉は「ありがとう」かもしれないし、「さようなら」かもしれないし、もっと想像もつかないものかもしれない。どんな言葉だったとしても、今の彼にとって相応の決意を込めた言葉だったのかなぁ、と思っている。

これはすべて想像にすぎないから、いつか時がきたら戸塚くんから教えてもらえたらいいなぁ。

 

 

残念ながら私は本番中に戸塚くんを通してジャニーさんに会うことはできなかったのだけど、戸塚くんのことを考えながらこの記事を書くことでジャニーさんに会えたような気がしている。

こうして終わってみると、2019年のジャニーズ伝説はとても実りある舞台だった。ジャニーズはこれからも変わらず続いていくのだなぁと実感できたから。

ジャニーズ伝説は終わらない。子どもたちが、そして私たちが夢を見続ける限り、伝説はきっと、続いてゆく。

 

アンコール!〜BACKBEATの思い出、戸塚担編〜

6/23に千秋楽を迎えてから気付いたらひと月が経った。時間というものは残酷で、千秋楽のカーテンコール、あの熱狂の渦の中にいた瞬間と同じ感覚になることはもうできない。いや、たとえ昨日が千秋楽だったとしてもそれは不可能だろう。それでも『楽しかった』という気持ちだけは残っている。

覚書は書いたけど、なんとなく戸塚担としてこの舞台のことをきちんと振り返ってはいなかったと思い、このブログをしたためている。今更かなぁと思うけれど、今更でも書いておかないと忘れてしまうから。これが本当に最後。1つは適当な箇条書きとはいえ、4記事も書けるほど私はこの舞台が好きだったんだなぁ。

 

生きてる戸塚くんを見ている

これは、初日の公演後に私が思ったことだった。もしかしたら、気のおけない男友達とはこういうノリで話すこともあるのかなぁとか。もしアイドルじゃなかったら、このくらい自由に生きてたかもなぁとか。大袈裟にいうと普段よりもっと濃密に『人間』っぽさを感じたという感じだろうか。戸塚くんがスチュアート・サトクリフという役を演じているはずなのに、スチュアート・サトクリフという役を通して戸塚くんの中にあるかもしれない可能性を見たような気持ちになった。いつも妙に優しい役だったり、内側に大きな陰を抱えている役だったり、不思議とこういうリアルな人間っぽい役を演じたことがなかったんだなぁと思う。(つか舞台も人間ではあったけれど、やっぱりどこか芝居がかっていて非現実的でリアリティがなかったように思う)そういう役を演じている戸塚くんを目にするのはとても新鮮だったし、何よりも本人がのびのびと演じているように見受けられて本当に嬉しかった。それだけでも戸塚担としては十二分に実りのある舞台だったと思う。

 

音楽の中に在る

演奏をしている戸塚くんを見られたのも、とても良かった。かなり練習したんだろうなと初日から思った。千秋楽に向かうにつれてバンドパートはどんどん良くなっていった気がする。演奏面のことは私は門外漢なのでよくわからない。それでも良くなっていったと感じるのは、彼らを包む空気感によるところもあるのかな。毎公演演奏を重ねるごとに彼らはビートルズに近付いていったのではないだろうか。彼らが実際に演奏していた音楽に触れることで、その音楽とともにいろんな場所を回ることで。この舞台をより良いものにしたのは音楽だった。

音楽が好きな戸塚くんが、音楽の中に在る瞬間を見られたのも戸塚担としてとても有意義だったと言える。ミュージカルもやったし、ストレートプレイでも歌ったり、踊ったり、ギターを弾いたり。音楽と関わりのある舞台は多かったけれど、ここまで密接に音楽と関わって、むしろ音楽がその一部だと思える舞台は初めてだった。あくまでも舞台の上にいるのは演じている戸塚くんだから、戸塚くんその人が音楽の中に在る時とは少し違うけど、今回初めて手にしたベースを演奏している戸塚くんというのは新鮮だったし、戸塚くんの音楽に対する取り組みにまたひとつ影響を与えたのではないかと思った。(後日、レギュラーラジオで披露された『ラセン(仮)』について、本人もジョン・レノンのナンセンスさを意識してと話しているし)

あと、大千穐楽のカーテンコールのJohnny B. Goodeはスチュアートではなく戸塚くんだったと思うし。その場の空気感も含めて音を楽しんでいる戸塚くんを見られるのはファン冥利に尽きる。

 

ひとつの呪縛から解き放たれた

劇中にラブシーンがあった。キスシーン自体は昨夏の『トーキョーエイリアンブラザーズ』でもあったけれど、観客の大多数がファンであろう舞台でここまできちんとしたラブシーンがあるのは初めてだった。嬉しくて「おめでとう!」って拍手を送りたくて仕方なかった。見出しに『呪縛』というあまりよくない言葉を使ったけれど、私個人としてはこれは呪縛だったと思う。私は人の感想や意見にまったくといっていいほど興味がないので、BACKBEATのラブシーンを見たファンの人たちがどういうふうに思ったのかは知らない。だから、ここから先はあくまで私の話。私は自担のラブシーンが好きではない。ただ、いやなわけではなくて、むしろそういうシーンがあってほしい。自担にはファンの心理なんて踏みつけてどんどん大きくなっていってほしい、と思っているから。なんというか、裏切ってほしいのだ。裏切って、裏切って、こんなもんだよねという想像もつかないほどどんどん遠くへ行ってほしい。毎回毎回同じことをやってほしくない。こんな役見たことない。こんなシーン見たことない。そんな体験をさせてほしい。ヴァはそういう意味では不十分だったから。ここまできて、今まで戸塚くんがやってこなかったことが見られて嬉しかった。やっとここまで来たんだなぁと感慨深くもなった。すごく、嬉しかった。

 

『愛』に溢れた人

戸塚くんがスチュアート・サトクリフだったかというとちょっとよくわからない。演出の石丸さんがトークショーで言及されたそうだが、戸塚くんの持ってきたスチュアートは彼女の頭の中にあったスチュアートとは別のアプローチだったようだ。『男らしくて、繊細だけどそれを愛で包んだような人』と、戸塚くんがつくったスチュアートを石丸さんは評されたそうだ。原作の映画を観ると、映画のスチュアートと舞台のスチュアートがすこし違うことはよくわかる。

戸塚くんのスチュアートは、弱さや脆さ・葛藤を『愛』でねじ伏せて前を向いているように見えて、そこがまた戸塚祥太その人に似ているから、回を重ねるごとに愛おしくてたまらなくなったんだろう。それがいいのか悪いのかはわからないけれど、結局のところ『愛』という彼が一番大切にしているものにたどり着いてしまうところが戸塚くんらしくて、戸塚担としてはどこか誇らしかった。

 

 

BACKBEATでは、戸塚くんの新たな一面を見ることができた。一方で、根底にある部分は彼がいつも大切にしているものだった。だから、この舞台は私に心地よさと高揚感を与えてくれたのだろう。

アンコール!といきたいけれど、二度とそこには戻らず前に進んでいくからこそ、思い出は尊いものになるのだろう。一ヶ月にも満たない短いけれど、エキサイティングした時間を忘れずに、戸塚くんが素晴らしい作品に出会ったこと、そして、そんな作品を見ることができたことに改めて大きな感謝を。BACKBEATと共にあった2019年の初夏は、最高の初夏でした。

どこかで誰かが見ていて、必ず伝わる〜ぼくらのショウタイム〜

いまさらー!って感じですが、CSでのテレビ放送も終わったのでぼくらのショウタイムについてブログを書きました。みんな見てるだろう…ということでネタバレ辞さず。

 

1. ぼくらのショウタイムとは

A.B.C-Zの橋本くんと塚田くんが準レギュラーとして出演している名古屋テレビ放送(以下メ〜テレ)の土曜朝の情報番組デルサタとA.B.C-Zのコラボ企画として制作されたスペシャルドラマ。エグゼクティブプロデューサーはデルサタのMCでもあるよゐこ濱口優さんです。2019年4月にメ〜テレで地上波放送後、全国のイオンシネマでディレクターズカット版+メイキングの特別バージョンが上映されました。当初は一週間限定(4/12〜4/18)での公開予定でしたが、ミニシアターランキングでの動員1位獲得もあり、急遽公開期間が一週間延長(〜4/25)されました。途中各映画館でパンフレットが売り切れるなど、嬉しい出来事も多かったですね。

なお、デルサタとのコラボ企画は、2017年夏の55コン名古屋公演で六人目のA.B.C-Zとして濱口さんのライブ出演から始まり、2017年12月のA.B.C-Zと濱口さんの大阪への旅企画。2018年6月にはLBTでは横断幕等でA.B.C-Zへ結成10周年のお祝いメッセージ(他、2018年には名古屋名物ういろうの有名店である青柳総本家での限定商品発売などもありました)、そして今回のメンバー総出演のドラマ制作で4回目。本当に毎回毎回よくしてくださってファンとしては名古屋の方向には足を向けて眠れませんね!ちなみに今作の制作は2019年年始のLBTの追加公演(横浜アリーナ)でサプライズ発表されました。最高のサプライズありがとうございました!横浜アリーナ、揺れた!

 

2. あらすじ

舞台は春を目前にした名古屋はメ〜テレ。新米ADの赤木(橋本良亮)と若手カメラマン小紫(河合郁人)が担当するデルサタのお天気コーナーの中継中に画面に映り込もうとする不審な男が現れる。最悪の事態は免れたものの、男はまたメ〜テレに現れる。男は、フリーターの黄原(塚田僚一)。彼の目的はテレビを通して、自分がお世話になっている喫茶店を救った探し人にある『メッセージを伝える』こと。最初は無理だと突っぱねる赤木だが、警備員の青島(五関晃一)に押し切られ、黄原の無謀な試みに巻き込まれることになる。計画の準備をしているところを小紫に見咎められ詰問される。その場に偶然居合わせたメ〜テレの社食でアルバイトをしている脚本家志望の桃井(戸塚祥太)の「探し人は自分の父である」という言葉をきっかけに、『メッセージを伝える』ために彼らは一致団結する。

 

3. みどころ
  • 軽快なテンポの計画立案から実行までの紆余曲折

『メッセージを伝える』ことを決めた5人がスタジオで計画を立てるシーンの軽快なテンポが絶妙。音楽の使い方もとても上手だなぁと思いました。意見を出し合い、計画が実現可能な内容になっていくにつれて士気が上がっていく5人を見ているとこちらもワクワクします。実行までの紆余曲折は色々ツッコミどころも満載ですが、そこに対して目を瞑れるくらいの高揚感を味わえました。紆余曲折を経て、最初とは違うかたちで計画は実行されるのですが、それが桃井と父の『必ず見つける』という約束をなぞるかたちで意味を持つのも絶妙でした。

  • 番組作成の裏側を覗き見ることができる

テレビ局を舞台にした作品、しかも番組を通して『メッセージを伝える』ということが目的のため、色々と番組制作の裏側を見れる部分もあり、そういう意味でも楽しめたなと思います。デルサタという番組をスタート地点にしているからこそ、この作品になったのでしょう。そして、ただ番組制作の裏側を見ることができるというだけでなく、いつもは見えない番組の裏側にいる人たちの『何かを伝えたい』という志を端的に表している作品だとも感じています。

 

4. メンバー一人ひとりの役どころについて
  • 橋本くん

新米ADの赤木は、この物語が伝えたいことを体現した人物だと思います。元ひきこもりの彼がテレビマンを志した理由が、それそのものだから。初っ端は本当に仕事ができなくて、小紫じゃなくてもこりゃ怒るわ…と思うけれど、覚悟を決めてからの彼は絶対に諦めないという強い意志を感じて頼もしかったなぁ。過去を吐露するシーン、私は泣けてしまいました。

  • 戸塚くん

桃井、情緒が不安定すぎる!と私はいつも思っていましたが、試写会で戸塚くんが「いつも優しい役が多いので、感情を露わにするこういう役を演じられて良かった(意訳)」と言っていたらしいので、それはよかったなと思いました。たしかにイラッとしたりするところをお芝居では見たことがなかったので、面白かったですね。(本人が塚ちゃんに同じようなあたりをしているのは見たことがあったので新鮮という感じではなかったけれど…笑)自担のことなので文字量が多いんですが、天カメに向かってバンダナ振ってる時の表情が最高でした。あと、やたらおぼこい衣装を着せられていてウケた。シルエットがポチャッコで最高ですね。役所の話でもなんでもない……

  • 河合くん

役の話じゃないんですけど、映画館の画面で大写しになる河合くんが美人すぎてヒェーーーーってなりました。画面映え半端ない。生きてますか、河合担…? 小紫は5人のまとめ役兼口喧しい担当なのですが、河合くんって本当にこういう気の強い美人役似合っちゃうなぁって思いました。やっぱり顔がきれいだから……ね……

  • 五関くん

狙ったわけではなかったようですが、五関くんの怪演が笑いを呼び起こしていて面白かった。何だかんだで青島ってめちゃくちゃ主義主張が一貫してていいんですよね。青島がいることで、誰でもどういうふうに在るかでヒーローになれるという希望にもなっていて、本筋とは別のところですごく良いメッセージになってるなぁと思いました。エンディングのジャンプ最高でした。

  • 塚田くん

やりたいことが見つからなくてフリーターの黄原。塚ちゃん感が出てない塚田くんでした。最後黄原がADになることで、橋本くんと塚田くんというデルサタのふたりへ繋がってるんだよね。

 

5. 総括〜デルサタさんありがとう!

「僕らがこんなに頑張ったこと、誰も知らないでしょうね」

「でも、ちゃんと想いは伝わった。それで十分だろ」

これは、奮闘の甲斐あってメッセージが伝わり、探し人である桃井の父が訪れた喫茶店での赤木と小紫のセリフです。この記事のタイトルに引用した赤木のセリフを裏付けるやりとりだと思います。

『どんな小さな番組でも、どこかで誰かが見ていて、必ず伝わる』

これが、タイトルのセリフの全文です。『想いは伝わる』それが、このドラマの主題。頑張りは目に見えなくても強い想いがあれば、必ず。これはテレビの話だけではないんじゃないかなぁ、と思っています。A.B.C-Zの活動に重ねるのもいいし、自分のことに重ねることだってできる。ドラマはよくできた奇跡の話で現実はそうそううまくいかないだろうけど、きっとどこかで誰かが見ていてくれる、と思います。

私は、アイドルグループがグループ全体で出演するドラマが大好きです。5人でドラマに出演するのは2014年の『魔法★男子チェリーズ』に続き2回目。チェリーズもとてもありがたかったけど、今回もとてもありがたかった。そして、今作がこの内容だったのもよかった。ジャニーズなのにグループ全員で出演するドラマが全国ネットじゃないの?と、現実で言われているかどうかは知らないけれど、心の中の仮想敵は言います。でも、そうじゃなくてもいいよって私は思っています。全国の地上波の電波には乗らなかったけど、全国のファンが見られるようにと配慮してくださった映画館での上映。最初はびっくりしたけど、家で見るより大きなスクリーンで見れて得しちゃったし。映画館で推しグループ全員出てる作品見られるなんて滅多にあることじゃないですよね。本当にいろんな人が尽力してくれたんだろうなぁと思います。

準レギュラーでの出演をきっかけにしてここまでコラボ企画を打ってくれるデルサタさんには感謝しかありません。在京キー局だったら、ここまではしてもらえないだろうなぁと思います。本当にありがとうございました。これからも良いおつきあいをしていただけるといいなぁ、といちファンながら思っています。

 

最後に、もしまだ見ていないそこのあなた!まだ遅くありませんよ!ケーブルテレビ、スカパー!などで見られるCSチャンネルエンタメ〜テレ』で7/28(日)13:30〜から再放送があります!ぜひお見逃しなく!

劇場版「ぼくらのショウタイム」 / エンタメ~テレ やんちゃな大人の刺激的エンターテイメントチャンネル

舞台 BACKBEAT 覚書(後編)

後編です。いやぁ、長い。長いですね。そういえばこの舞台、なんと公演時間が約3時間あります。幕間15分しかないのに!それだけ丁寧に描いてあるということかな。

一幕の覚書(前編)はこちらをご覧ください。

舞台 BACKBEAT 覚書(前編) - I like what I like

 

後半に向かうにつれてほんの少しずつ危うさを孕んでいく内容でしたが、一幕は概ね興奮と熱狂で構成されています。ところが二幕は少し違う。これから先に起こること、ビートルズが4人になることも、スチュアート・サトクリフが亡くなることも紛れもない史実だから。

二幕は私の勝手な解釈マシマシなので、あーそういう考え方もある?と思って読んでいただければ幸いです。

 

再訪と迫る決断の時

二幕の始まりは強制送還されたリバプールから。演奏が終わると同時に舞台を降りて不機嫌そうなスチュ。母校であるアートカレッジの教員試験に不合格になったのはジョンのせいだと彼を詰ります。仕事をすればアストリッドと結婚できる。離れたことできっとアストリッドに対する想いは大きくなっていったのでしょう。険悪な雰囲気を打ち消したのはドラマー、ピート・ベストが告げたハンブルクへの再訪とトップ・テン・クラブからのオファーの話で丸く収まります。アストリッドと一緒にいるためならビートルズを辞めるという選択肢もあったスチュだけど、またハンブルクへ戻れるとわかったあとはまたそこに繋ぎとめられるのでしょう。

ビートルズの再訪を歓迎するハンブルクの人々。客席からステージへと向かうメンバーの演出は満を辞してという感じもあってとても好きでした。そして彼らも役に徹しているからいいですね。最年少のジョージが客席にファンサービスをするのもスチュはいつもクールに前を向いているのも、なんだか当時のクラブにいるみたいでよかったなぁ。

演奏の途中、スチュはステージを降りてアストリッドの元へ、彼女の手でそれまでのリーゼント(とは言っても二幕の時点ではもうリーゼントではなかったけれど)から前髪を下ろしたマッシュルームカットへ。この髪型は当時のドイツの美大生の中で流行していた髪型で、アストリッドがまずスチュアートに施し、それがビートルズに広まったとも言われています。それはそれとして、私にはこのシーンはなんだかもっと別の意味を持つシーンのように感じられます。

(2019.6.24追記)

このシーンでもスチュがいなくなったあと、ジョンは不機嫌そうだった。

(追記終)

この頃のグループのカラーとは明らかに一線を画する髪型を見て大丈夫かな?と不安がるスチュ。そんなスチュにアストリッドは言います。「あなたはそろそろ選択を迫られる」と。「グループの一員だし芸術家でもある」苛立ちながら告げるそれはスチュの本音だったと思います。でも、どこか頼りなくもあった。ハンブルクに戻ってきてからも観衆の熱狂はどんどん加速していきました。きっと、ビートルズは世界を手に入れる。それはもう夢物語ではなかった。だから、アストリッドはスチュに問いかけたんでしょう「あなたは誰?」と。これから巻き起こるクレイジーで甘美でそして悲しい波にのまれて他の何もかもが見えなくなってしまう前に。アストリッドは、スチュ自身を愛していたけれど、彼の芸術の才能を愛していたから。けれど、スチュにはまだ迷いがあった。彼はロックンロールという音楽を興奮を熱狂を知ってしまっていたから。そして、一幕の展覧会で自分の絵が売れた時の(もしかしたら消費されていくことへの?)どこか虚しい感覚を知ってしまっていたから。アストリッドはスチュに言います。「絵は壁紙と変わらないかもしれない。でも、芸術は人を喜ばせるためのものじゃない、自分を満たすためのもの」すごく難しいなぁと思った。でも、感覚としては分かる気がする。(芸術家ではない私が語るにはあまりに恥ずかしいのでここについては多くは語らないでおきます。)「仲間とつるむのは楽しいでしょ?すごい仲間だし。でも、本当にそれでいいの?仲間と歩むのか、一人で世界と向き合うのか?」

(2019.6.24追記)

スチュがロックンロールなしじゃ満足できない!と叫んでいるときに、自分が誰だかわからなくもなる、というようなセリフがありました。そのあとのアストリッドが語る芸術は自分を見つけるもの。アストリッドは、スチュに彼自身を見失ってほしくなかったのかなと思いました。ビートルズという世界的なビックバンドが巻き起こす波に飲まれて彼が彼を見失う前に。

(追記終)

このシーンを見ながら私の中ではいつもアストリッドがスチュにかけた言葉がリフレインしています。「ロックンロールだけでは満足できなくなる」「芸術には洗練が必要」彼女は彼と過ごす中できっと彼の中の満たされない部分を強く感じ、それは彼一人で世界と向き合うことでしか満たされないと感じていたのかもしれないね。そして、彼女は彼がそれができる人だと、それをすることで大きな才能を開花させる人だと信じていたのかもしれないな。スチュはアストリッドに尋ねます「髪型を変えるのにも意味があるってこと?」それに意味があるとしたらなんなんだろう?仲間と一緒に足並みを揃えるのではなく一人で世界に向かうための儀式のようなものだったのかな。鏡に映し出された新しい自分を見てスチュは言います。「君は俺を変えてしまった」このシーンのスチュは表情はとても切なげでした。

このあとにアストリッドに整えてもらった髪型とジャケットでステージに立ったスチュがソロをやりたいと言い出し歌う『Love Me Tender』。そういう意図があったかどうかはわからないけれど、私はこのシーンはスチュがビートルズとの別れを決意したシーンだと思っています。ステージの上に一人で立つ(物理的にひとりではないけど)のは一人で世界と向き合う決意を表しているのかななんて。そんなスチュの気配を感じ取ったから、アストリッド(と客席)に向かって一曲を歌い上げたスチュに対してジョンも怒りを露わにしたのかもしれないと思ってしまいます。

怒りって前に進む原動力みたいなもの。このシーンの文脈とは違うけれど、映画版のBACKBEATでアストリッドにいつも怒っている、と言われたジョンは「怒っているわけじゃない、本気だから」と応えるシーンがあります。

 

別れの気配

ずっとスチュに対して煮え切らないものを抱えていたポールは、ジョンに対してあいつはクビだ、自分がベースを弾くと告げます。ジョンはそれに強く反対します。ほかの二人だって穏やかじゃなかった。けれど、もうどうすることもなくメンバーがステージから去る中、一人残ったジョンの元へ歩み寄るポール。けれど、ジョンは彼の言葉を聞くことなく去っていく。

ハンブルクのアートカレッジ、スチュは奨学金をもらえる入学試験を受けます。作品は素晴らしいけれど、彼がイギリス人であるということやそれまでスキッフルバンドのメンバーだったということもあってすぐには受け入れられない。そんなものは関係ない、それも全て自分だし、自分は受け入れられるべきだと主張するスチュ。「何故自分が画家であると信じられる?」その問いに彼は答えます。「描きたいもので溢れて頭が爆発しそうだから」これはこの後の展開を知っているからこそ、すごく胸に刺さる台詞。短い人生を燃やし切るように彼は絵を描いたのかもしれない。

ジョンはスチュのアトリエを訪ねます。そこにはスチュはいない。アストリッドに行き先を尋ねるも彼女は答えようとしなかった。(この時彼女は誰に配慮したんだろう、スチュなのか、ジョンなのか、それとも両方か)ジョンは語る。スチュがクラブに来なくなってからポールがベースを弾いていること。サウンドはどんどん良くなっていっていること。けれど、スチュがベースを弾いていた時のスピリットがなくなったこと。スチュにバンドに戻ってほしいと言うジョンにアストリッドは彼がアートカレッジの試験を受けに行っていること、一ヶ月前に願書を出していたことを告げた。受からないはずなんてない。スチュ自身も含めて彼らはみんなスチュの才能を知っているから、それはわかってしまう。(もう随分と前からスチュが心を決めていたことを知ったジョンのどんな気持ちだったんだろう。悲しい?違うかな。失望?これも違う。諦観?何にしたって私は全然想像できないや。)試験の時間はとっくに終わっているのになかなか帰って来ないスチュにもしかすると、と不安がるアストリッドを一喝するジョン。きっとジョンは誰よりもスチュの才能を認めていて信じていて、尊敬してたんだろうね。

目前に迫った決別の時を前に、ジョンは素面ではいられなかったんでしょう。散々酔っ払ってスチュがいないならもうできないと言うジョンにポールは言います。「スチュがいなくてもやる。信じろ」と。祭りのステージで演奏をするジョンと出会って彼の破天荒さとそれだけではない魅力に惹かれたポール、ポールの演奏技術や正確さに衝撃を受けたジョン。早くに母を亡くしたという似通った境遇もあり、彼らは心を通わせることになる。グループの解散後には確執もあったけれど、ジョンは亡くなる年に受けた取材で「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった」と語っているそうです。*1 スチュに嫉妬をしていた、と話すポールの言葉はもしかすると身勝手に聞こえるかもしれないけれど切実でした。スチュが現れるまでポールがジョンと過ごした時間はとても濃密でエキサイティングな時間だったのでしょう。彼はジョンを必要としていた。そして、同じようにジョンにも必要とされたかったのだろうと思います。ギターを片手にポールが作っていた曲に対して一度は「クソだ」と吐き捨てたジョンでしたが、ポールに歩み寄りフレーズに注文をつけます。「ふたりでやりゃ、マシになる」そう言って歌ったのは『Please Please Me』のワンフレーズ。ポール役のJUONさんとジョン役の加藤和樹さんの歌声が重なる瞬間に胸が熱くなります。

 

決別

夜の海を照らす灯台の光。ここを好きでよく訪れていたというスチュを呼ぶアストリッドの声、続いてやってくるジョン。確実にこのシーンはこの舞台の中の見どころです。照明が素晴らしい。舞台の上に描かれた海。闇、そして訪れる光。光、そして現れる闇。その向こうに聞こえる波の音。残りの公演数が少なくなってしまったけれど、もし二階席から見る機会があれば絶対に注目してほしいです。アストリッドが思う通り、そこにスチュはいました。酔っ払っているようでありながら、その言葉は深い。「明かりがさすと何もかもをこの手につかんだ気がする。でも、明かりが去ると闇の中」自分には世界が違って見えることがある。きっと何かあったのだろうとアートカレッジで何があった?と尋ねるジョンに、スチュは戯けて船乗りの息子だって言ってやった!と、おかしそうに笑ったあと、ジョンはもう一度問う「何があった?」と。それでもスチュは話さずジョンに「お前に何があったか話してくれ」と言った。もうスチュは自分のことをジョンには話さないんだなと、なんだか私は悲しくなりました。きっともう心は決まっているから。ジョンも同じように感じたのかもしれない。「お前をグループに戻したかった。けど、お前はもういない。永遠にいなくなった」射しては去っていく灯台の光、闇。スチュは言います、「光と闇はただの繰り返しじゃない。どの光も違うものを見せてくれる」と。(ここの解釈はなんだかまだぼんやりとしているんだけど、ジョンやビートルズとの日々を指していてほしいなぁ。そうだったらいいなぁ。スチュがハンブルクでまた絵を描き始めたのはアストリッドと出会ったこともあるだろうけど、ビートルズのメンバーとして色々なものを見て経験する中で自分の中の核となるものを見つけたから、だと私は思いたい。もうね、これはただの希望的観測で考察でもなんでもないです。史実も知らない。でも、今の私はこういうふうに考えています。)

「礼を言いたい、お前とのすべてに」別れを切り出したスチュに後悔するぞなんて軽口を叩いたあと、ジョンはスチュを思い切り抱き締め、スチュも彼の背を抱きました。ジョンはのちにスチュのことを『彼は、もう1人の自分のような存在だった』と話したそうです。*2 そんな半身とも言える存在と道を分かつことはやっぱり悲しかったんじゃないかなぁ。とてもつらそうな表情をしていたもの。それでもジョンはスチュを引き離し笑顔でアストリッドにスチュを頼むと言う。「この人を愛しているから」そう言ったアストリッドにジョンが言った「みんなそうさ」。最高の台詞だよね。スチュアート・サトクリフ のことを愛さない人間なんていない。君もそうだろうけど、もちろん、俺だってそうさ。そんなジョンの言葉が聞こえてきた気がして泣けてくる。(私はあまり記憶にないのだけど、ツイッターを見ているとこのセリフに関するお芝居のニュアンスは変わっていっているようでした。正解はないと思うけれど、私は加藤さんのこのシーンのお芝居が大好きです)

(2019.6.24追記)

日に日に『みんな』の重さが増してきた。それは続くシーンの演出変更のおかげでもあるけれど、きっとステージの上のみんなの変化が齎したものなんだろう。この瞬間のジョンは、自分だけではなく、自分の周りのすべての人がスチュを愛していると言っていた。

ジョンが去ったあと、彼の行く手を見送ったスチュの背中はひとり置いていかれた子供のように寂しげだった。自分で決めた未来。望んだ未来。でも、やりきれないない思いを抱いていたんだろう。ふと一幕のAin't She Sweetのあとのジョンの背中が思い出された。この二人は不可分な関係であったのだろうし、だからこそ、スチュは別れを選んだのかもしれない。

(追加終)

リバプールへと戻ることを決めたビートルズのラストライブ。ステージの前にロープが張られるほどの人気を手にしたビートルズの帰国はきっとハンブルクでも惜しまれたのでしょう。ステージで『Please Mr. Postman』を演奏する彼らを眺めるアストリッドとスチュ。アストリッドに促されてステージに上がったスチュをジョンもジョージもピートも、そしてポールはベースを下ろしてまで彼を受け入れる。映画のこのシーンのスチュは客席にいるのだけど、舞台のこのシーンの方が好きです。演奏が終わった瞬間、立ち上がって叫んでもいいもんだったらそうさせてほしい。それくらい胸が熱くなる。最後のキラキラした夢みたいな時間。

(2019.6.22 追記)

このシーンの最後、ステージ上でスチュとメンバー一人一人が別れを惜しむ演出だったのですが、演出が変更になり最後に五人で円陣を組む演出になっていました。それもめちゃくちゃしっかり。そこからスチュが抜けて四人で肩を組んでリバプールに戻るという繋ぎでした。この演出変更最高だったね。史実はわからないけど、みんなスチュが好きだったんだなってスチュは『みんな』に愛されてたんだなって思えるシーンになっていました。

(追加終)

(2019.6.24追記)

千秋楽でのこと、円陣が始まるとき、私にはスチュが一瞬止まったように見えた。それを引き寄せた四人。力一杯革ジャンが擦れる音が聞こえてくるほどの抱擁。そして離れていくスチュの革ジャンを一瞬握って、でも、離したジョンの手。ジョンは本当にスチュと世界を分かち合いたかったんだ。もうその運命が覆らないとしても、まだ望んでいた。

(追記終)

 

世界の頂に向かう最初の一歩、そして別離へのカウントダウン

ここからはリバプールへ戻ったビートルズハンブルクに残ったスチュの二つの軸でお話が進んでいきます。

まずはビートルズリバプールへ戻り4人でキャバーンでライブを続けていた彼らの元にある日ひとりの男が訪れます。彼の名前はブライアン・エプスタイン。彼が経営するレコードショップにひとりの少年がビートルズのレコードを求めてやってきたことから、彼らに興味を持ちのちに彼らのマネージャーとなります。イギリスでのレコードデビューが今現実になろうとしていました。

一方、スチュはアトリエに籠り絵を描き続けていました。望んだ芸術の道に進む彼の行く末に翳りを落としていたのは時々訪れる頭痛。それはアートカレッジの試験の日のアストリッドのセリフにもあるように少し前から悩まされていたものではあったものの、どんどん痛みは大きくなっていく。どうしようもない焦りや不安もあったのかもしれない。ある日、仕事から帰ってきたアストリッドに対してスチュは暴力を奮ってしまう。「何かが起こった。わからないけど何かが起こっているんだ、俺の頭の中で」そんな自分にスチュ自身も混乱して取り乱します。

アトリエにね、床が汚れないように敷き布が敷いてあるんです。アストリッドを殴った時やそのあとひとり暴れまわるシーンでぐちゃぐちゃになった布をスチュは懸命に元に戻していく。次のシーンが病院のシーンなのでそこへの繋ぎというのもあるだろうけど、自分に起こった変化が恐ろしくてそれをなかったことにしたくて敷き布を元あったように戻しているのかもしれないとも思いました。

病院に行ったスチュは医者に告げられます。「ペースを落とすことです」と。手の施しようがない、と言うことだったのかなぁ。*3 病院から帰ってきたスチュはアストリッドに指輪をプレゼントする。彼自身もきっと自分に残された時間が少ないということを理解していたのでしょう。

リバプールビートルズは一枚目のシングルとなるレコードのレコーディング中です。歌うのはB面の『P.S. I Love You』A面の『LOVE ME DO』も名曲だけれど、ここでこの曲が選ばれたのはハンブルクのスチュの元にジョンからの手紙が届くシーンと並行しているからでしょう。キャンバスに向かっていたスチュは、アストリッドからジョンからまた手紙が届いたと知らされ表情を明るくします。けれど、スチュはその手紙を受け取る前に頭痛に襲われ倒れてしまいます。

実際にジョンは多忙な日々の合間を縫ってスチュに手紙を書いたようです。それは他愛ない話から周囲に明かさないジョンの深刻な悩みまで。*4 『P.S. I Love You』の和訳詞でこちらがすごく気に入ったのでもしよければ見てみてください。男女の恋の歌にも読めるけど、もっと深い愛の歌にも読めてきませんか。

【歌詞和訳】P.S. I Love You / The Beatles - ピー エス アイ ラヴ ユー / ビートルズ 手紙と一緒にこの気持ちを送るよ… : 洋楽翻訳☆お味噌味 - オリジナル歌詞和訳の妄想旅行へ

見ていて楽しいシーンではないけれど、私はこのシーンが大好きです。音楽とストーリーを調和させる演出がすごく素敵で印象に残るシーンです。

そんな中、ビートルズにも変化が起こります。ある日、エプスタインに呼び出されたピートはプロデューサーが彼のドラムを気に入っていないという理由でグループからの脱退を迫られます。それはメンバーの総意でもあった。演奏技術の面もあったようですが、彼がグループに溶け込もうとしなかったことも原因だったようです。*5 (一幕のハンブルク時代からドラッグに手を出さなかったり、彼らと一線を引いて接している様子も見受けられました。)ピート役の上口耕平さんののラストプレイ、素晴らしかったですね。ドラムセットに向かってほんの少しプレイし一瞬うな垂れた後、それでも再起してビートを刻んでいく。正に彼が言ったこれまでと同じように生きていく自尊心を持って、というセリフを体現しているよう。ピンスポットを浴びながら舞台の奥へと消えていく演出は物悲しくもありながら、鳴り止まないドラムのリズムには心を打たれました。

(2019.6.24追記)

エプスタインから脱退を提案されるシーンのセリフも変わっていた気がする。「2年間、俺のドラムが気に入らないなんてあいつらは言わなかった」脱退を提案されたこともそうだけど、ピートにとっては彼らから何も告げられなかったということが悲しかったのかもしれない。ドラムソロの前にネオンサインが降りてくるのも、ハンブルクでの日々を彷彿とさせてにくい演出だと思った。

千秋楽、ピートのドラムは鬼気迫っていた。うな垂れたあと、まっすぐ前を向いて強くビートを刻む彼の姿を私は忘れることはできないだろう。

(追記終)

 

夭折の天才

弱っていくスチュの元にアストリッドはビートルズの最初のシングルを届けます。もうこのころには右半身は麻痺していたのでしょう。自由になる左手で封を切り、取り出したレコードを眺め大切そうに抱き締めるスチュ。その表情はとても安らかでした。やっとこの日がきたと心に刻むように。聴きましょう、というアストリッドに「抱き締めている方がいい気がする」と答えます。それを聞いてアストリッドはスチュが彼らに有名になってほしくないと感じているのだと思うのだけど、そうではなかった。もとよりスチュはビートルズとして有名になることを望んではいなかった。ジョンにとってはビートルズとして有名になることが到達点だけど、自分にとっては違う。架け橋だった。(ここで引用されるニーチェの『真の偉大さとは到達点ではなく、そこに至るまでの架け橋』という言葉。調べきれなかったので博識な方、ぜひ教えてください。)有名になることより彼らとそれまでの時を共にできたことが、スチュにとっては価値のあることだったんだろうね。映画版のエルレ川のシーンのあとにではジョンの夢はグループでレコードを出すことだけれど自分はそうではない、と語るシーンがあります。そこで語ったスチュの夢は『笑って暮らすこと、良い景色を見て歩き、かわいい娘(これはアストリッドのこと)を泣かす』もちろんこれは言葉の通りではないだろうけど、少なくともスチュにとってはこの頃からビートルズで世界の頂点を取るというのは絶対に達成しなければならない一番の目標ではなかったのでしょう。

(2019.6.24追記)

スチュが椅子に座ったままキャンバスに向かって筆を動かすように自由になる左手を動かすの、もう彼は描くことができないんだなぁと思って切なくなりました。

(追記終)

余談ですが、この辺からのアストリッドの描かれ方は正直あまり好きではないんです。ビートルズが有名になったからと言ってスチュはそれを羨むような人ではないはず。それは彼をそばで見ていたアストリッドがわかっているだろうに。なんとなく腑に落ちないところがあるので、何かお気付きの方はぜひ教えてください。

「サプライズがあるの」とスチュに告げるアストリッド。サプライズは嫌いだというスチュに今日好きになるわと告げて部屋を出て行く。胸にレコードを抱きながら幸せそうに目を閉じるスチュを突然の激しい頭痛が襲います。椅子から転げ落ちて苦しみながら掠れるような声でアストリッドを呼ぶけれどその声は届かない。(このシーン初日の時点ではアストリッドが呑気に「ちょっと待って」みたいな返事をしていて怒りがこみ上げてきました。無くなってくれてよかったせりふナンバーワン。英断だと思います)最後の力を振り絞って彼女を呼んだ時、真っ赤なドレスを身につけて現れた彼女が見たのは……。私はこのシーンが好きではないのだけれど、やっぱり彼女の悲しみを想像するとやりきれないし、彼女がああして取り乱すのも仕方ないのかなぁとも思えるようになってきました。

(2019.6.24追記)

このシーンのお芝居は戸塚くんもどんどん良くなっていったけど、夏子さんの方がもっとよくなっていったと思います。苦しむスチュを抱きしめながら「大丈夫、大丈夫」と声を掛けて彼の体をさするのなんて見ていて涙ぐましかった。そのあとのセリフは好きではなかったけど、それでもどんどん良くなっていっていたと思います。

(追記終)

生前の彼に関わった人が顔を揃えた彼のお葬式。(ビートルズメンバーの登場の仕方が最初の登場シーンをなぞっていたけれど出会いと別れのシーンだから統一したのかな?)ふざけた態度のジョンをメンバーは止めるけど、彼は止まらない。そんなジョンに対して、なんで笑ってられるの!なんでそんなひどいことを言えるの!と詰問するアストリッド。*6でもジョンは言います。「人間、生きてるか死んでるかだけ、どっちかだろ!中間はない!」「俺は泣かないね!スチュのためにも!誰のためにも!」「ビーバッパルーラ、それがすべてだろ。なぁ、スチュ」。

スチュの口癖でもあったビーバッパルーラ。和訳を見るとアストリッドのことかなぁとも思うけれど、それだけではない気がします。もともとBebopはジャズの一形態で演奏家たちが自由にアドリブで演奏する即興音楽といった形式だったそうです。*7 そこから転じて何にも縛られず自由に自分の生き方を貫く、みたいな意味に転じていったようでもあります。(ちょっとこの辺はネット知識なので怪しい)Lulaは女性名で浮気なルーラみたいな意味ももちろんあるんだろうけれど、このジョンのセリフを見る限り『何にも縛られずに自由にいこうぜ!』というようなニュアンスもあるんじゃないかなと思ったりもします。

そんなふうに強がっていたジョンだって悲しくないはずもない。突如倒れ込み泣き叫ぶジョンの姿はとても悲痛でした。「自分が死んだらよかった。あいつこそ世界を取る男なのに」そう叫ぶジョンにアストリッドは「それは違う、あなたたちふたりともよ」と。アストリッドも悲しみにくれるジョンを見て冷静さを取り戻したんだろうね。

(2019.6.22追記)

このセリフは途中からピートのセリフになりました。どういう意図があったのかな…?

(追記終)

(2019.6.24追記)

アストリッドからピートへのセリフ変更について友人とも話していたんだけど、やっぱりこれは演出家の石丸さんが彼を幸せにしてあげたかったからなのかなと思います。石丸さんはきっと、この五人のビートルズが大好きで、五人みんなに幸せになってほしかったのかなぁ、なんて思いました。

(追記終)

生前スチュが座っていた椅子に座りながら、スチュはここにいるというジョン。肉体は無くなってしまったけれど、彼の魂は彼の残した絵という形あるものや過ごした部屋に感じる気配だけでなく、きっとジョンの心の中にも存在し続けていくのかな。椅子に座り、あの日スチュが歌った『Love me Tender』を口ずさむジョン。加藤和樹さん、素晴らしかったなぁ。震える声、And always I willの歌詞が詰まって出てこない、ジョンの悲しみが痛いほど伝わってくる。前編では和訳を貼らなかったのはここで見て欲しかったから。スチュからアストリッドへの歌でもあるけれど、この歌はジョンからスチュへの弔歌でありラブソングでもあると思います。

Love Me Tender : 洋楽歌詞和訳・ときどき邦楽英訳(意訳)

実はこのシーンの役者の捌け方も私は好きで、『Love me Tender』を歌うジョンをメンバーは振り返るけれど去っていく。ポールとジョージは同じ方向へ、ピートは彼らと別の方向へ。そして、最後にステージに残ったのはジョンだけだった。みんなスチュアートを愛していたけれど、やっぱり彼を一番愛していたのはジョンなんだね。

(2019.6.13追記)

スチュの死後に彼のアトリエでアストリッドが撮ったジョンとポールの写真が残っています。これはぜひ見てほしい。どんな言葉でも表せないものがこの写真に残っている気がします。

ハンブルグ写真集(4) 1962年4月13日~5月31日 [ビートルズ詳解]

(追加終わり)

(2019.6.24追記)

千秋楽の『Love me Tender』、素晴らしかったので、ツイートの引用です。どこまで計算なのかわからないけれど、加藤和樹さんってすごい人だなと思いました。

(追記終)

 

最後のマックショウ

リバプールに戻ったビートルズは朝からスタジオに缶詰になって初のオリジナルアルバムのレコーディングをしていました。朝から休憩なしで録り続けて夜の10時。それでも収録曲の曲数に1曲足りない。あと一曲、特別な曲が。風邪を引いているジョンはハンブルクよりひどいと文句を言うけれど、ポールはそんなジョンに発破をかけます、「これがラストチャンスだ」と。チャートで一位を取るほど人気が出たビートルズ、ライブだった20分歌えばいい、もう世界に手は届く。それでもその分失いつつものもある。「ハンブルクみたいな青臭いショーをテープに残すんだ。俺はスチュみたいに弾く、あいつは本物のロックを知ってた男だから」そんなポールの言葉にジョンが黙っているわけもなくギターを持ってマイクに向かいます。ビートルズの最初のオリジナルアルバム『Please Please Me』の14曲目は『Twist and Shout』一幕のバンビ・ホテルでスチュがいい曲だと言った曲。このレコーディングシーンの雰囲気は、スチュを交えてのハンブルクでのラストライブの雰囲気に少し似ているように感じます。私がそう思ってしまうのか、意図的なのかもわからないけれど。でも、とにかくあの時の熱狂が荒削りで泥まみれかもしれないけれど大きな夢に向かって走っていた青年たちの姿がステージの上に蘇った気がした。御託を並べてみたんだけど、とにかく楽しそうだったんだよ!

(2019.6.22追記)

これも追加になったのかな。『Twist and Shout』の演奏前、さぁいくぞ!ってシーンでジョンがリンゴ→ポール→ジョージの順にぐるっと指差したあと、真正面に向かって指差して止まるんです。その視線は遠くを見ていて、その先にはきっとスチュがいるんだなぁと思いました。

(追記終)

(2019.6.24追記)

『Twist and Shout』の演奏前、あの頃みたいにもう一曲やろうぜ!自分はスチュみたいに弾く!と言ったのがポールだったこと。嫉妬までしたスチュをポールだって嫌っていたわけじゃない、ポールだってスチュを愛していた。『みんな』がここにも繋がっているんだなと思いました。

千秋楽、ポールに説得されたジョンが立ち上がる前に、ハンブルク時代リーゼントのときにやっていた横髪を撫で付ける仕草をする。この瞬間、彼の心はあの青春の日々に戻っていったのでしょう。

(追記終)

途中客席の通路から現れる黒いコートを羽織ったスチュは一度立ち止まってじっとステージを眺めてから歩き出します。椅子に座ってお前らちゃんとやってんのか?って品定めをするような表情がどんどん笑顔になっていく。あの頃に戻ったみたい。自由を追い求めていた頃に戻ったみたい。

(2019.6.24追記)

千秋楽、演奏中それまで見たことのなかったジョンを見ていると、スチュが椅子に座ってから、何度もそっちを見て歌っていることに気付きました。そこにいる彼にあの頃と変わらないロックンロールを届けるように。

(追記終)

演奏を終えたジョンはステージから降り、他のメンバーを乗せたバンドセットは舞台の奥へと消えていく。スチュとジョンは互いに歩み寄り、スチュから差し出された黒いコートを少し眉を潜めながら受け取るジョン。

(2019.6.24追記)

このシーンのジョンの表情がいつもどうだったのかわからないけど、千秋楽の彼は笑っていました。まるで『やっと会えたな』と言うように。

(追記終)

そしてふたりは客席に背を向けて歩いていく。ジョンを迎えに来れたのはもうこの世にはいないスチュだけだから。あの世とこの世の境目のような額縁のセットをふたりは跨いでから、肩を組んで歩いていきます。

(2019.6.24追記)

一人だとあんなに寂しそうだった背中は、もう寂しそうではなかった。

(追記終)

顔は見えなかったけど、お前らきっと笑ってんだろ?そうじゃなきゃおかしいよね。そっちでもふたりで笑っていてほしい。

ビーバッパルーラ!

それが全てさ!!

 

 

(2019.6.24.追記 おまけ)

千秋楽のカーテンコールの様子をツイートから引用しておきます。最高に熱い!楽しい空間でした!戸塚くんがあんなに充実感を噛み締めているような表情も久し振りに見ることができてよかったです。

(追記終)

 

2019.6.22、2019.6.24 加筆修正

*1:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジョン・レノン - 『ポールマッカートニーとの関係』

*2:https://frat.exblog.jp/19354027/

*3:彼の疾患については死後まで診断がつかなかったという一説もあるようです。

*4:https://www.e-yard.jp/seltaeb/history/history-33.htm

*5:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ピート・ベスト - 幻のビートルズ・メンバー

*6:スチュの最期については映画版は史実に近く、ハンブルク空港にやってきたビートルズにアストリッドがスチュの死を告げ、ジョンとポールが彼のアトリエを訪ねるというものでした。これはこれでよかった。情緒があって好きです。でも、舞台版の溢れ出した悲しみを抑えずに露わにするアストリッドも憎らしくは思えない。聡明な彼女の人物像からは離れてしまったかもしれないけれど、これもひとつの形なんでしょう。

*7:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ビバップ

舞台 BACKBEAT 覚書(前編)

最初見たときは最高と最悪が一気に押し寄せてきて驚いた2019年の戸塚くん個人舞台であるBACKBEAT。最高ポイントはこちらにざくっとまとめてあるのでよければご一読ください。

BACKBEAT一回目、もりもり全部のせ最高の巻 - I like what I like

 

初見後、めちゃくちゃ最高だけど回数は重ねられないなと思った。ちょっと体調が悪いこともあったけど、とにかく戸塚くん演じるスチュアート・サトクリフ(以下スチュ)とその恋人のアストリッド・キルヒャーが全然好きじゃない!この作品とはチューニングが合わないなぁとちょっと悲しくなった。

とはいえそれなりに回数を重ねるに連れてちょっとずつ寄り添えてきたし、ちょっと楽しみ方がわかってきた気がします。東京公演も終わりましたし、自分の中の整理として全体の流れを攫いながらスチュとアストリッド、そしてジョン・レノンハンブルク時代のビートルズについて感じたことをブログにしてみようかなと思います。

まず最初に断っておきたいのですが、私はビートルズはメンバーの名前と有名な曲しか知らないし、当時の時代背景にも明るくありません。彼らの人となりや歴史についても文献を読んだわけでもなく、WikipediaGoogle検索で上位に上がってくるブログを参考にしたのと映画のBACKBEATを見ただけ。ビートルズが好きで十分な知識量を持っている方からすると違和感もあるかもしれないですし、付け焼き刃でお恥ずかしい限りです。こうなんじゃない?というご意見があればぜひ教えてください。

当たり前にネタバレをしますし、映画版との比較などもあるのでまだ読みたくない方はご遠慮いただければと思います。

本当は一つの記事にしたかったんだけど、さすがに長すぎたので一幕と二幕で前後編にすることにしました。

 

 

『ビーバッパルーラ!』

スチュが何度も何度も口にするこの台詞は、ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスが1956年に発表した楽曲『Be-Bapa-A-Lula』から。1950年代にアメリカから始まったロックンロール。黄金時代と言われながらも政治的、文化的に保守的な社会へのカウンターカルチャーとして登場したロックンロールは海を渡りイギリスへ。ビートルズの少年から青年へ成長していく過程で耳にした(或いはレコードが擦り切れるまで聴いたかもしれません)曲のひとつだったのでしょう。*1

 

大きな波の始まり

舞台はイギリスはリバプールイングランドの北西部に位置する港町から始まります。この物語の主人公であるスチュとジョンは、かつてあった美術学校リヴァプール・カレッジ・オブ・アートの学生でした。今まで会った誰とも違うような激烈な個性を持つジョンにスチュが惹かれるように、ジョンも同じく芸術の才能に溢れるスチュに夢中になります。舞台ではジョンに与えられたベースの借りを自分の絵が売れたお金で返しますが、史実では絵が売れたからベースを購入したようです(映画版も同じく)。

ジョンに教えられて初めてベースで音を出すスチュ。最初は胡乱げなスチュもジョンに言われるがままにベースラインを紡ぐうちに音楽に魅了されていったのではないでしょうか。(スチュももともと音楽は好きだったようですが、ビートルズに入ったのは成り行きでした。)ジョンはなぜベースも弾けないスチュをバンドに入れたかったのかな。「だって、かっこいいだろ?」なんておどけて揶揄うようなセリフはあるものの、スチュが絵画を通して表現する情熱に惹かれていたのかもしれません。

展覧会で絵が売れたことをきっかけに、学校の講師の言葉も聞かず、スチュは仲間とともに海を渡りハンブルクへと。彼の人生を変えてしまう大いなる航海へと漕ぎ出すのでした。

展覧会で絵が売れた時、小切手を受け取るスチュはどこか寂しそうに見えました。「絵が売れた時は恥ずかしかった。自分の中の秘密を明け渡したみたいで」「壁紙になって、いつか絵があることすら忘れられる」彼の中にある情熱を、想いを表現する手段は絵を描くということだったけれど、一枚の絵が売れたことで自分の中にあるものを剥き出しにされるある種の恐ろしさやそれが忘れられる虚しさをスチュは感じてしまったのかなと私は思いました。ジョンに惹かれたから、ロックンロールに情熱を感じたから、ビートルズとして海を渡ったけれど、そこにはもしかしたらまだ自分と向き合えないほんの少しのスチュの弱さがあったのではないかなと思っています。

 

セックス、ドラッグ、そしてロックンロール

To the Top ! Top of the Top ! 夢と楽器だけをその手に頂点を目指してハンブルクに渡るビートルズ。ダンスシーンなどもはさみながら軽快に物語は進みます。いやー!踊るなんて思ってなかったから嬉しかった!しかし、ハンブルクビートルズを待ち受けていたのは、想像とは全く違う現実でした。売春宿の地下の地面とほとんど変わらないステージ、来る客は酔っ払った船乗りや娼婦やヤクザ。それでも、雇い主であるブルーノ・コシミダの言葉に従い週に7日、1日6時間の演奏を続けるビートルズ。しかも、ただ演奏するだけではない足りない、客が求めているのはマックショウ!Make it show! 踊れないなら跳べばいいと言われ、演奏しながらぴょんぴょん跳ねるビートルズは青くて若くてパワフルで最高にかっこよくて楽しかった。

「こっちの子は違うなぁ」と言ってしまうようなグルーピーの女の子とのシーン。宿として充てがわれた映画館のスクリーンの裏の大きなベッド(バンビ・ホテル)で5人一緒にユニオンジャックのシーツを被って眠る。最年少のジョージ・ハリスンを演じる辰巳くんの演技は最高にキュートでした。この時のジョージは17歳。当時のドイツの最小労働者年齢を満たさないため18歳だと嘘を吐いてステージに立ち続けるのですが、それが後々大きなトラブルの元になるのです。

酒と女とドラッグ。ドラッグキメたあとの演奏シーンなんて最高にクレイジーで私は大好きです!(このシーンでドラムのピートだけは手を出していません)目も回りそうな慌ただしさとそれ以上に刺激的な毎日の中、ビートルズが暮らす部屋を訪ねたクラウス・フォアマン*2によってひとつの転機がもたらされます。「今夜、彼女をクラブに連れて行く」そう言ってクラウスが連れてきたのがアストリッド・キルヒャー。「ロックンロールなんて好きじゃない」と言う彼女も「ここでは特別なことが起こっている」とクラウスに説得され、渋々フロアへ、そこで目にした光景に彼女も心を打たれたのでしょう。

クラブを抜けたジョンに話しかけるアストリッド。聡明な彼女はジョンの喪失感やそれを自分たちの音楽で埋めようとしていることに気が付きます。舞台ではジョンがアストリッドに対して恋愛感情を描いているのかどうか曖昧な描かれ方をしていますが、映画ではジョンはアストリッドに惚れているという描かれ方をしていて、もちろん彼女の才能にという部分もあったのだろうけれど、こういった彼女の聡さに惹かれたのかもなと思いました。ジョンにバンドのメンバーのことを尋ねるアストリッドの元に現れるスチュ。細かくて伝わらないポイントなんですけど、ジョンにアストリッドを紹介されたスチュがアストリッドに挨拶をしたあとに「誰?」とジョンに訊くシーンがフェチ心をくすぐります。いや、最高じゃないすか、この雑さ!パーティ野郎っぽくて!(もちろん違うんだけど)

フロアに戻るジョンと連れ立って戻ろうとしたスチュに対して彼女は今夜二つのことに気付いたと告げます。「私がロックンロールが好きなこと」そして「ロックンロールだけでは満たされない日がいつか来ること」二つ目の気付きには主語がないから、きっとスチュに対して投げかけられた言葉でしょう。先にフロアに戻った彼女を追って、「Fantastic!!!!」*3と叫びながらフロアへと戻っていくスチュ。のちに吐露されることでもありますが、スチュはグループの一員でありながらグループでの自分の必要性については葛藤を抱えている部分もなかったとは言えないと思います。そしてそれが自分の本質なのかという思いも。ステージで演奏している姿を見ただけでそこまで言い当てた彼女の観察眼(スチュが画家だという話は聞いていたのかもしれないしそうでないのかもしれない)や聡明さにスチュも惹かれたのだと思います。(もちろん彼女が美人だったからというのもあるでしょうけど)

 

アストリッドへの想い

クラウスとアストリッドに連れられてビートルズの面々はハンブルクの街を見下ろす場所へ。街を眺めるみんなと離れてアストリッドとスチュは話し込みます。スチュにとっては彼女が言った「ロックンロールだけでは満たされない日がいつか来る」という言葉が心の何処かに引っかかっていたんだと思います。アストリッドは言います。「ロックンロールは魅力的だけど、芸術には洗練が必要」と。「ここに誘ったのは全てを見てほしかったから。私たちの世代はすべてを見渡す必要がある」と。これは彼女からスチュへのメッセージだったのかなぁ。今目の前のことだけに囚われないでほしいと。

「俺は本当はミュージシャンじゃない。絵描きだ」この言葉をアストリッドに告げた時点でもう運命は決まっていて、アストリッド自身もスチュの進むべき(彼が望んでいる)道へと導こうとし始めたのかもしれません。

クラウスに見せられたアストリッドの写真に感銘を受けたスチュの提案でアストリッドに写真を撮ってもらうビートルズ。「ビーバッパルーラ!」出来上がった写真を見て、スチュは感銘を受けます。それはもちろんジョンもポールも他のメンバーも。他のメンバーが去っていたあと、2人残った舞台の真ん中で初めて彼女にキスをするシーンのスチュの表情はとても優しくて、まぁいいもの見せてもらいました。

(2019.6.24追記)

クラブのシーンで演奏されている『Money』。途中演奏を抜けて写真を現像するアストリッドの元へスチュは向かいます。ベースが抜けたあとのバンドの音はどうも締まらなくて(元々ベースが重ための曲ということらしいですが、音自体も大きくされていたようです)、途中からジョンもやる気をなくしてしまい、メンバーは焦りながら演奏を続ける。ジョンのスチュに対する執着が見えた瞬間でした。

(追記終)

スチュは彼女の容姿や聡明さだけではなく、才能にも惹かれたのでしょう。スチュは彼女と関わる中で自分の中の画家としての魂を揺さぶららたのかもしれない。少し離れていたもう一つの(そして本当の)姿をまた求め始めたのかもしれない。そんなスチュをアストリッドはエルベ川へ写真を撮りに行こうと誘います。「あなたは暗がりの中で生きている。絵描きには光が必要よ」と。

彼女と別れたあと、ポールが歌う『A Taste of Honey』に合わせて溢れる想いを言葉で体で表現するスチュ。戸塚くんのコンテンポラリーのようなダンスはあまり見る機会がないから、すごく見応えがありました。そして情熱的に、それでいて切なく苦しく紡がれる言葉。こういうせりふ回しのシーンが私は大好きなので、心が揺さぶられ胸が熱くなります。このシーン、きっと回毎に違うものが見られると思うからそういった楽しみ方もあると思います。東京公演、私が観劇した中で一番好きだったのは6/8の夜公演でした。

ちなみにポールが歌う『A Taste of Honey』の和訳詞、とてもいいのでぜひ見てみてください。

https://lyrics.red-goose.com/a-taste-of-honey-the-beatles/

 

拡がる波紋

アストリッドに対するスチュの想いが加速する中、彼女に撮ってもらった写真を手に売り込みに行ったポールによって、ビートルズの運命も大きく動き始めます。バックバンドとしてのレコードデビュー。転がり込んできた大きなチャンスをもちろん不意にするわけもなく、明日にでもレコーディングに行くというポール。それはメンバーの総意だったけれど、スチュはアストリッドとの約束があった。「これより素敵な予定でもあるの?」というクラウスの言葉を聞きながらスチュは何を思ったのかなぁ。きっと、もう心は決まっていたんじゃないかな。

この後のシーンが私は大好きです。真っ暗になったステージの手前ギリギリに射す一直線の光、その上を導かれるように歩いていくスチュ。たぶんすでにエルベ川のシーンなんだろうけど、光に導かれて彼女の元へそして本当の自分の元へ向かっていくような表現が気に入っています。

(2019.6.24追記)

このシーンでスチュが両手を広げバランスを取りながら歩くのは、もしかしたら天秤みたいなものなのかなと思いました。『ビートルズのメンバー』と『スチュアート・サトクリフという一個の人間』そのふたつのバランスを取っているのかな、とか。これは深読みですが。

(追記終)

「ビーバッパルーラ!ビバッパルーラ!」スチュの溢れる想いが言葉になる。日本語訳を見ると、このセリフはやっぱりアストリッドのことかなぁと思います。

つぶ訳wiki - BE-BOP-A-LULA (ビー・バップ・ア・ルーラ) [BE-BOP-A-LULA] - つぶ訳wiki   *4

他のメンバーがレコーディングをする最中、ひとりここにいるスチュにアストリッドはグループのメンバーなのになぜここにいるの?と問い掛けます。「あそこにあるのは自分の一番じゃない。君といたい」ストレートなかっこいい台詞だけど、スチュアート・サトクリフ、お前マジでクズだからな!と私はいつも怒るのですが、こういう理解できない何にも縛られない自由さが芸術家なのかなぁとも思います。それにきっと、スチュは他のメンバーほど音楽にすべてをかけられなかったんじゃないかな。そして、ビートルズは彼の世界ではなかった。

「画家の手で世界に触れる。画家の目で世界を見る」アストリッドのセリフを受けてスチュはこう続けます。「画家だけど、ベース奏者としては失格だ。ルックスがいいから入れられただけ」ジョンが彼の世界であるビートルズを完成させるために自分を選んだけれど自分がその器ではないことについて、スチュはスチュなりの葛藤を抱いていたのかもしれないし、スチュはジョンに憧れて愛していながらもジョンを信じきれていないようでもありました。アストリッドはそんな彼を「ジョンはスチュを愛しているし、一緒に(世界を)めざしたいはず」と諭します。才能に溢れて自信があるように振る舞うスチュの満たされない想いにアストリッドはしっかりと寄り添ってくれた。スチュはそんな彼女だから愛したのだろうなと思います。

エルレ川でのシーンと並行して進んでいたレコーディング。舞台の下手側では写真を現像するアストリッドとそれを見守るスチュ、そしてふたりのラブシーンへ。もちろんドキドキするけど、めっちゃかわいいからしっかり見てください!途中から猫がじゃれあってるみたい!すごく楽しそう!

一方、上手側ではボーカルだけを録るというていでひとりマイクの前に立つジョン。『Ain't she sweet』歌い終えたあとに彼が吐き捨てる「どこにいるんだよ、お前」という台詞、そして暗闇の中へ消えていく背中。ずっと堂々としているジョンに初めて哀愁を感じるのがこのシーンです。アストリッドの言う通り、ジョンはスチュを愛していて、彼をとても必要としていたのでしょう。

ベッドに横たわりながら、スチュはアストリッドにジョンが自分を愛してるなんて本気で言っているのか?と尋ねます。スチュにとってはやっぱりそれは信じがたい事実なのかな。「尊敬しているからバカにしたくなる。そうしないと関係を保てない」舞台ではジョンがスチュのことをバカにしているようなシーンはあまり見受けられなかったけれど、スチュはジョンのことを『最高の友人で、俺を最高にイラつかせる』とも言っているからきっとそういう一面があったのかな。

このあと、部屋に戻ってきたクラウスにふたりの関係は知れてしまうけれど、クラウスはそれを受け入れます。きっとずっと予感はあったのだと思う。ビートルズが巻き起こそうとしている波。世界を変えてしまう波。それに一番に攫われてしまった自分。それでも即座に受け入れて、それから先も彼らと友人関係を続けていったクラウスはとても賢いし、それほどまでに彼らが魅力的だったのかなぁ、なんて考えました。

 

熱狂と静寂

バンビ・ホテルのベッドでギターを手にするポール、弾き語るのは『Twist and Shout』やってきたジョンの「ラテンだな」の言葉に挑発されるようにキーを変えてふたりで歌う。私はまったくジョン・レノンポール・マッカートニーについて知らなかったんだけど、この瞬間だけでこのふたりが一緒にいるだけで無敵なんだなぁなんて思ってしまいました。アストリッドの部屋から戻ってきたスチュは楽しそうに歌うふたりの姿を眺めながら何を思ったんだろう。本当にこれは私の推測でしかないのだけれど、ポールはスチュに嫉妬をしていたのと同じ感覚とは言わないけれど、スチュはスチュでポールに対して複雑な感情を抱いていたんじゃないかなぁと思います。今なお知られているように、ジョンにとってポールは最高のパートナーで最高のライバルだった。ハンブルク時代にはジョンの情熱はスチュに向いていた部分もあったけれど、音楽面ではポールに絶大な信頼を置いていたはずです(アストリッドにバンドメンバーの紹介を頼まれたジョンが演奏技術を褒めたのはポールだけでした)。スチュが客席に背中を向けて演奏するのは、ベースが弾けないのを隠すためだったと言われているようです。音楽面ではスチュはジョンの隣に並ぶことはできないから、それはきっと明白な事実だったのではないでしょうか。

5人で暮らすバンビ・ホテルを出て行くというスチュに対して当てつけのように「もうクラブに来なくていい」というジョン。もちろん苛立つスチュに対してトップ・テン・クラブへの昇格を告げ、喜びを分かち合うのです。この瞬間のスチュとジョンのかわいさたるや!びょんとジョンに飛びついたスチュを軽々と抱え上げるジョン。いや、加藤和樹さんの腕力すごすぎません?!あとね、ジョンとスチュの不穏なやり取りを心配そうに見ていたジョージがホッとしたように笑顔になる瞬間もかわいいので必見です。

トップ・テン・クラブへと場所を移し、どんどん人気を得ていくビートルズ。熱狂する観客、彼らを中心に起こる波のうねりはどんどん大きくなっていく。そんな中、スチュはアストリッドと暮らす部屋にあるアトリエにひとり籠り一心不乱に絵を描くようになります。グループとしての成功が現実味を帯びてきたからこそ、スチュは自分の中にそれだけでは満たされない何かがあることに気付いたのかもしれません。初めて会った日のアストリッドの予言通りに。

スチュに招かれるかたちで彼のアトリエを訪ねたジョン。この頃にはスチュはアトリエに籠ることも多く、ジョンですら彼が気が向いた時にステージに上がる時にしか会えなくなっていました。絵画とアストリッドに傾きかけたスチュの心。ジョンがいてグループでハンブルクに来たから彼女とも出会えた。それなのにスチュは徐々にグループとしての活動を蔑ろにしていく。そんなスチュにジョンは言います。「心を決めろ」と。でも、この時のスチュはまだ決められなかった。ジョンは彼の心を引き戻そうと畳み掛けるように言葉を繋ぎます。「今の時代ならゴッホは絵を描いていない」「そうかな?実際俺は…」これに続くのは『絵を描いている』という言葉かな。そんなスチュの言葉すらジョンは言わせはせずにジョンは続ける「ミケラジェロもキリストもグループに入る!」大げさかもしれないジョンの表現に笑いながら「ベースは誰が弾く?」と尋ねたスチュに、ジョンはすぐさま答えます。「お前だ。だって、お前は最高に輝いている人間だから」ジョンのスチュへの想いの強さを私が理解できないのは、私が何かに・誰かに必死になったことがないからなのかもしれません。まるで身を焼くかのようなその想いは理解はできないけれど、それはこのシーンのジョンの必死さで伝わってきます。そして、その真摯な言葉はスチュにも伝わったのでしょう。けれど、スチュは言う自分が素晴らしい人間だとしたら、それはベーシストだからだじゃない。絵を描いて芸術に人生を燃やしている。そして、アストリッドに恋をしているからだと。すごい人だと思う。私には全然理解できない。こんなにアイデンティティがしっかりしていて、それに人生をかけられるなんて。スチュの言葉を聞いてジョンは言います。「聞けて良かった」と。舞台を見てから色々と調べていくうちに出会った記事にジョンが後日語った『スチュを信頼していたのはスチュが思ったことを何でも話してくれるから』といった内容の言葉を見つけました。*5 これはスチュが思いついたアイデアの話なのかもしれないけれど、スチュが『話してくれる』ということにジョンは彼が自分に心を開いてくれていることを感じ、自分の近い存在であり信頼に足る人物であるという想いを抱いていたのかもしれないなぁと私は思います。「アトリエに自分を閉じ込めるな。外へ出てこい」ジョンは誰よりも彼の才能を知っていて一目置いていたからこそ、もっと世界にその存在を知らしめて欲しかったのかな。それも、できれば自分たちとともに。

(2019.6.24追記)

メモしていなかったので書いていなかったのですが、ジョンはスチュに「世界を分かち合おうぜ」とたしかに言っていました。本当にそれを彼は望んでいた。ジョンはビートルズとして世界を手に入れたかったけれど、その世界を一人で手に入れたいわけではなく本当にスチュと分かち合いたかったんだ。そこまで彼に執着していた。千秋楽、それに応じたスチュと固く握り合った手の甲に互いにキスをするの、グッときました。

(追記終)

ジョンと心を通わせ、捨て置いていた革ジャンを羽織ってビートルズとして活動を続けることを決めた矢先、彼らをひとつの不運が襲います。契約に背きトップ・テン・クラブへと移籍した彼らに腹を立てたブルーノ・コシミダからの密告により、ジョージがドイツの最少労働者年齢である18歳に満たないことが警察に知れ、彼らはイギリスへと強制送還されることになるのでした。

掴みかけていた光が指先からすり抜けていく。それでも彼らはグループとして全員でリバプールへと戻ることを決めます。*6

(2019.6.24追記)

強制送還前にアストリッドとスチュが二人で抱き合うシーンがあります。そのシーンで地面に置いたベースケースがいつもぱたんと音を立てて倒れていた。バンドよりも女が大事、そういう悲しさを感じていたんだけど、なんと千秋楽の日、奇跡的にそのケースが倒れなかったんです。だからといってストーリーが変わるわけではない。けれど、何故だか私の心は満たされた。スチュがアストリッドだけではなくビートルズのことも大切にしていたんだな、とこんな奇跡にすら感じてしまった。

(追記終)

 

スーツケースと楽器を携え、暗闇の中に消えていく5人の背中。

彼らはどこからともなく現れる妖精。人生を変える魔法の雫を持った。そして、どこへとも消えてしまう。

アストリッドの台詞とともに閉じられる第一幕。クレイジーでなんだかよくわからない目眩がしそうな夢みたいな時間、その根底に流れる音楽や芸術に対する情熱、愛。その熱量は凄まじかった。

バンドパートが、ビートルズを演じる彼ら自身の生演奏なのがまたいい。劇場の椅子を震わせるほどのサウンドは、さながら当時のクラブのフロアのようで、今すぐ立ち上がって踊り出したくなるし、叫び出したくなる。

この舞台は回数を重ねるごとに良くなっていく舞台だと思いました。回数を重ねるごとに良くなっていく舞台がいいのか悪いのか、という問題はいつでもあるけれど、でもこれは仕方ないよ、と私は思ってしまう。だって生の音楽がそこにあるから。観客の前で、ステージの上で演奏することで彼らはビートルズにどんどん近付いていっているような気がする。

こんな一幕とは対照的に二幕は悲しい物語なんだけれど、それでもそこにあるのは悲しみではありません。ロックンロールという、芸術という情熱と自由が、確実に舞台の上に存在しているんだから。

 

前半はここまでです。燃え尽きたから後編かけるかなぁと不安しかないけど、千秋楽までには書きたいですね!頑張りたい!笑 あと、小見出しテキトーですみません!!

 

2019.6.24 加筆

*1:Wikipediaによると、ポール・マッカートニーが初めて買ったレコードはこの曲だったそうです。そしてのちにジョンと初めて出会った時に、弾いてみせた一曲とも

*2:彼自身も画家であり1966年に発表されたビートルズの『リボルバー』のアートワークを手がけています。またスチュがビートルズを辞める際に彼のベースを譲り受け、その後ビートルズメンバーと音楽面でも共にすることとなったようです。

*3:千秋楽、「Excellent!!!!」と叫んだスチュに戸塚くん感を感じました。

*4:これね、他にも色々和訳はあったんだけど、「
自分の彼女がいかにカッコよくて素晴らしいかということを自慢する歌。」というシンプルな解説が気に入りました。

*5:https://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2016/06/11/002917

*6:このあたりは史実とは若干の違いがあるようです。興味がある方は調べてみてください。

BACKBEAT一回目、もりもり全部のせ最高の巻

初日が終わりました!いやー、最高だったー!これ!これ!待ってましたーーー!!!!合法的にこんなに色々見せてもらっていいんですか?!

感想じゃないです、ただただ私が良かったと思ったところを延々と書き連ねていくだけです。(ツイッターで流すには長かった)

当社比五割増しで下品だと思います。申し訳ありません。

 

・絵の具で汚れた大きな手

ただのフェチズムだけど、汚れた手がとても好きだ。それはなにかを成そうとしている手だから。

・煙草吸い慣れてる感

言わずもがな。本当にね、煙草が似合う男だよ、戸塚祥太は……

・ベース!ベース!ベース!

ギターじゃなくベースというのがにくい。手しか見てない。むしろそれ以外に見るところあるの? 戸塚くん、楽器を弾く時のタッチが優しすぎてかわいいなって思います。

・弾きながらぴょんぴょんする時の足がかわいい

めちゃくちゃかわいい。うさぎかな????!ずーっとぴょんぴょんしててさすが体力あるなって思った。

・バンドパートからのダンス

可愛かったー!ダンスするなんて思ってなかったから、可愛くてときめいた。

・グルーピーとフ○ック

なに見せられてるんだ私…と思ったけど、見せてもらえるなら見ればいいじゃない?遠慮したら負け、どんどん双眼鏡使おうね。

・公開脱衣、自担の裸を見ていい時間

なに見せられてるんだ私…と思ったけど、(以下略)肌が真っ白でつるんとしててゆで卵か讃岐うどんみたいだった。

・5人で一緒のベッド

パンイチの男(の子)がでっかいベッドに五人一緒に入る。平和すぎる。シーツがユニオンジャックなのもかわいい。青春。ジョージが可愛すぎて卒倒しそうになる。

・酒とドラッグ

なんとなくアイドルとは遠くにあるべきものが思い切り堂々と存在している。すごい。

・女にのめり込む自担

女とデートするために仕事に穴あけるんじゃないよ!!(好き!!!!)

・ジョンに軽々抱きかかえられる

決して軽くはないはずなのに、めちゃくちゃ軽々持ち上げられてた。加藤和樹さんの腕力すごい。

・チビだし、ベースは下手だけど、顔がいい

戸塚くんが自分の『顔がいい』って言うの最高でした。『それは、そう』としか思わない。 芸術の才能に溢れていることを自分でもわかっているけど、バンドの中の自分を見た時『顔がいいだけ』と言いたくなるスチュが愛おしくて抱きしめたくなった。

・隙あらばキスする

最初びっくりしたけど、どんどん感覚が麻痺してくる。隣にいるのにキスしなかったら、せぇへんのかい!とつっこみたくなる。嫌な人は嫌だろうけど、私は最高でした。

・ベッドシーン

去年もベッドシーンのこと書いた気がするけど、去年とは雲泥の差だった。配慮などない。(もちろん配慮はされている)肩を抱く手なども見どころです。

・ラブミーテンダー

スチュも自分に酔ってただろうけど、戸塚くんも自分に酔ってて最高でした。双眼鏡で表情をガン見することを推奨します。

・ジョンのこと好きすぎる

スチュ、めちゃくちゃジョンのこと好きやん。と、思うし、戸塚くんも加藤さんのこと慕ってそうで見てて微笑ましかったです。

・髪型チェンジ

一幕:ずっとリーゼント→二幕最初:横で分けて前髪を上げる→二幕序盤から:前髪あり。めちゃくちゃよかった。二幕の最初の衣装がハイネックなのもまたいいし、アストリッドに髪型を変えてもらうのもよかった。戸塚くん前髪下ろすと急に儚さが増して今にも消えそうになるので(?)、すごく役に合ってた。

灯台のシーン

大切なシーンだから、戸塚くんはとても大事に演じていたと思う。次回以降しっかり見て、追加したい。

・ラストシーン

すごく良かった。ジョンを迎えにきたスチュ。死後の世界というものがあるのなら、そこでもまた物語が続いていくのかもしれないね。それは酒と女とドラッグに塗れたロックンロールな青い春の続きなのかもしれないし、それとはまた違う穏やかな日々なのかもしれないし。そんなことを考えてしまうふたつの背中だった。

 

女性演出家だからたぶんそうなるよ、と友人に言われ大丈夫かなと思ってたけど、予想以上に大丈夫でした。生きてるか心配されたけど、ちょっと体調悪いのが吹っ飛んで生き返ってたくらいなので。やっぱり女が見たいものを具現化できるのは女なのかもしれない。よかったです。

全体を通してスチュは大体戸塚くんだったと思う。戸塚くんそのもの、というより、戸塚くんが憧れる戸塚くんだ、と私は感じた。戸塚くんが憧れる戸塚くん、なんて私にわかるわけないから烏滸がましいんだけど、まぁそれは私が思ったことなので。何にも縛られずに自由と愛のために生きるスチュを演じる戸塚くんを見ると、戸塚くんの少なからず抑圧された部分を感じてしまって、勝手に『ごめんね』って思ったし、勝手に『ありがとう』とも思った。楽しそうだったな。解き放たれていた。スチュのことほんとダメな男だなこいつ、と思いながらも愛おしいと思ってしまうのは、その向こうにすべてから解放された戸塚くんを見てしまうからなのかもしれない。本人から切り離して役だけを見ることは難しいなと改めて思う。でも、アイドル戸塚祥太のファンとしての私は、これでいいのだろう。

本人がどう思っているのかはわからないけれど、私は戸塚くんがこの役を演じてくれて良かったと思っている。自由で、生き生きとしていて、苦悩から解き放たれたようだったから。戸塚祥太で在ることをいつも選んでくれてありがとうね、戸塚くん。

Sexy Zone repainting TOUR2018

今年もGWは横浜アリーナへ!

2018年のSexy Zoneさんのコンサート覚書です。忘れぬうちに、よかったところ箇条書き。

 

 

🌹OP

ムービーがスタイリッシュすぎる。なんだこのおしゃれ。今のSexy Zoneの路線がよく表れてる。こういう風に売りたいんだろうなぁと思う。

 

🌹Unreality〜ROCK THA TOWN

初っ端がUnrealityだったのはびっくり!でも、この三曲でコンサートのスタイリッシュな雰囲気が一気に伝わる。演出のレーザーがかっこいい。いちいちおしゃれ。

 

🌹Birthday for you

直前のAIマリの流れからのこの曲。ハッピーすぎて泣ける。

repaintingされた新生Sexy Zone誕生日おめでとう!

 

🌹My Life

縦花でShots of  tequilaをスコーンていわすところ、毎回全私が心の中で爆笑

風磨くんのソロはバーテーブルが度々登場するの笑う。

 

🌹Mermaid

かわいい!モニターと連動したダンスがかわいい!曲自体は王道曲で下手したらずっとぼんやり見ちゃう曲なんだけど、演出の勝利。

 

🌹Kiss You Good-bye

よっ!久しぶりに会ったな!ジャニアイぶり!

ステージの下からおもむろに渡されるホルン笑うし、それ持ったまま歌うんかーい!!笑

 

🌹Pheromon

もうこれジャニオタみんなすき!みんな自担にやって欲しいでしょ?!

ようこそ、Sexy Zone Worldへ!!

階段使ったダンスとカメラワークが巧妙!

 

🌹O.N.E.

この歌を歌うコンサートを嵐がふたり(翔くん、潤くん)も見にきたのじわじわくる。嵐からしたら小鳥の囀りなんだろうけど。

そんなこの曲の演出に潤くんがアドバイスして(センステせり上がり)そのまま変えちゃうSexy Zone素直か。

 

🌹ラブマニ

フィンガーダンス見事!楽しい!もっといっぱい入ったら絶対振り完コピしてた!M◯ステ意識なので、舞台横のスペースでふましょりが見てら演出なんだけど、風磨くんは今すぐステージに出しても恥ずかしくないほど振りが完璧。

 

🌹Sing along song

客席に歌わせたくて試行錯誤してるのめっちゃ笑う。オーラスめっちゃ声出てた!最高!

 

🌹Mission

マジ中島って天才だよね?!

縦花の移動間で客席煽りまくるんだけど、めっちゃ盛り上がる。

か〜ら〜の、Tシャツバリバリー!!!!

わwらwうwwww もうやだ面白すぎwww

私以外にも中島ソロ後に過呼吸になってる人を多々見た。

 

🌹デジャヴュ

マリウスこの間まで10歳だったんだけど、いつの間にか大人になってた。かっこいい。ずっとゆらゆらできる。最高。おしゃれ。

 

🌹名脇役

歌割り最高!!!!

「他でもない君でこんな始末になってるんだよ」

「なにかしらの間違いでいいから 僕のものになってくれないかな」

は〜〜〜〜〜、無理!!!!!

 

🌹やっと来たか俺のピーチ〜PEACH

前回のsnow演出といい、Sexy Zoneさんのコンサートは楽しませようという意気込みがすごい。そして、予算が潤沢。マジで金がかかってる。

オーラスの万を辞して登場した風磨くん可愛すぎて泣いた。PEACH名曲すぎて視界がぼやける。かわいすぎて、無理。

 

🌹スキすぎて

マジかよ!?って思ったNo.1。一気に2012年の国際フォーラムに戻った私の魂。もう何年も踊っていないのに体が勝手に動くSexy Zone育ちたち。

 

🌹Fanstasy

もーーーー、すごい!きれい!!

ペンラ消した真っ暗な空間に浮かび上がるセンステ、飛び交い瞬く光。本当にファンタジー。異空間に迷い込んでしまったかのようなファンタジー。イッツ ファンタジー

 

🌹シルムン

ま じ か よ 。

マジで泣いた。泣かずにはいられまい。心は2012年の(以下略)シルムンとともに蘇る思い出。

ペンライトの白に包まれた空間、センステの上で照明を浴びてキラキラ輝く五人のSexy Zoneを見るとなんか生きててよかったなぁと思う。ここまでこれたね、これたよ。ありがとう。

 

🌹フィルター越しに見た青

自主的に青ペンラにしてる人が八割ぐらい。みんな空気読んでる。上から見ると青いホログラムがひらひらと舞い落ちるのが、星が瞬いてるみたいで綺麗。

でも、あれマジで量多すぎて痛いからバシバシ当たる。凄すぎてみんな笑ってる。

オタクに連れられてどこかに行っちゃう青。静岡では、さわやか掛川本店の駐車場までいってたよ!

 

🌹HITOMEBORE

なんでひとめぼれなの?って思ったら、一緒に行った松島担が聡マリのパートができてるじゃんっていうから、なにぃ?!repainting!!!!?となった

 

 

いやぁ〜〜、Sexy Zoneすごい!去年もショウだなぁって思ったけど、今年もショウだった!!

挨拶で、一番になるって言うのほんとかっこいいし、事務所の期待をひしひしと感じているんだろうなぁと思う。正統派だもんね。

repainting、現在進行形なのもにくい。そう題したツアーで懐かしい曲を織り交ぜて過去をチラ見せしてくるのもにくい。うまい!!

今年はきっと、Sexy Zoneにとって飛躍の年になるんだろうなぁと思っていたけど、その勢いを肌で感じることができるコンサートでした。

普通にいいコンサートなのも嬉しいし、なによりも五人が手放しで笑ってるのがいいよね!!

あと、静岡で会場が緑色になったのよかったなぁ。オタクの想いが同じ方向に向いてるの、見てて気持ちいい。

個人的に『今が一番楽しい』と思えるコンサートができるグループって本当にすごいと思うから、そういった点ではウェルセク以降ぐらいのSexy Zoneはいつも今が一番楽しい!来年もきっと楽しいんだろうなぁ!!って手放しで思います。

今年もありがとう、Sexy Zone!!!!