I like what I like

アイドルが好きです。

舞台 BACKBEAT 覚書(後編)

後編です。いやぁ、長い。長いですね。そういえばこの舞台、なんと公演時間が約3時間あります。幕間15分しかないのに!それだけ丁寧に描いてあるということかな。

一幕の覚書(前編)はこちらをご覧ください。

舞台 BACKBEAT 覚書(前編) - I like what I like

 

後半に向かうにつれてほんの少しずつ危うさを孕んでいく内容でしたが、一幕は概ね興奮と熱狂で構成されています。ところが二幕は少し違う。これから先に起こること、ビートルズが4人になることも、スチュアート・サトクリフが亡くなることも紛れもない史実だから。

二幕は私の勝手な解釈マシマシなので、あーそういう考え方もある?と思って読んでいただければ幸いです。

 

再訪と迫る決断の時

二幕の始まりは強制送還されたリバプールから。演奏が終わると同時に舞台を降りて不機嫌そうなスチュ。母校であるアートカレッジの教員試験に不合格になったのはジョンのせいだと彼を詰ります。仕事をすればアストリッドと結婚できる。離れたことできっとアストリッドに対する想いは大きくなっていったのでしょう。険悪な雰囲気を打ち消したのはドラマー、ピート・ベストが告げたハンブルクへの再訪とトップ・テン・クラブからのオファーの話で丸く収まります。アストリッドと一緒にいるためならビートルズを辞めるという選択肢もあったスチュだけど、またハンブルクへ戻れるとわかったあとはまたそこに繋ぎとめられるのでしょう。

ビートルズの再訪を歓迎するハンブルクの人々。客席からステージへと向かうメンバーの演出は満を辞してという感じもあってとても好きでした。そして彼らも役に徹しているからいいですね。最年少のジョージが客席にファンサービスをするのもスチュはいつもクールに前を向いているのも、なんだか当時のクラブにいるみたいでよかったなぁ。

演奏の途中、スチュはステージを降りてアストリッドの元へ、彼女の手でそれまでのリーゼント(とは言っても二幕の時点ではもうリーゼントではなかったけれど)から前髪を下ろしたマッシュルームカットへ。この髪型は当時のドイツの美大生の中で流行していた髪型で、アストリッドがまずスチュアートに施し、それがビートルズに広まったとも言われています。それはそれとして、私にはこのシーンはなんだかもっと別の意味を持つシーンのように感じられます。

(2019.6.24追記)

このシーンでもスチュがいなくなったあと、ジョンは不機嫌そうだった。

(追記終)

この頃のグループのカラーとは明らかに一線を画する髪型を見て大丈夫かな?と不安がるスチュ。そんなスチュにアストリッドは言います。「あなたはそろそろ選択を迫られる」と。「グループの一員だし芸術家でもある」苛立ちながら告げるそれはスチュの本音だったと思います。でも、どこか頼りなくもあった。ハンブルクに戻ってきてからも観衆の熱狂はどんどん加速していきました。きっと、ビートルズは世界を手に入れる。それはもう夢物語ではなかった。だから、アストリッドはスチュに問いかけたんでしょう「あなたは誰?」と。これから巻き起こるクレイジーで甘美でそして悲しい波にのまれて他の何もかもが見えなくなってしまう前に。アストリッドは、スチュ自身を愛していたけれど、彼の芸術の才能を愛していたから。けれど、スチュにはまだ迷いがあった。彼はロックンロールという音楽を興奮を熱狂を知ってしまっていたから。そして、一幕の展覧会で自分の絵が売れた時の(もしかしたら消費されていくことへの?)どこか虚しい感覚を知ってしまっていたから。アストリッドはスチュに言います。「絵は壁紙と変わらないかもしれない。でも、芸術は人を喜ばせるためのものじゃない、自分を満たすためのもの」すごく難しいなぁと思った。でも、感覚としては分かる気がする。(芸術家ではない私が語るにはあまりに恥ずかしいのでここについては多くは語らないでおきます。)「仲間とつるむのは楽しいでしょ?すごい仲間だし。でも、本当にそれでいいの?仲間と歩むのか、一人で世界と向き合うのか?」

(2019.6.24追記)

スチュがロックンロールなしじゃ満足できない!と叫んでいるときに、自分が誰だかわからなくもなる、というようなセリフがありました。そのあとのアストリッドが語る芸術は自分を見つけるもの。アストリッドは、スチュに彼自身を見失ってほしくなかったのかなと思いました。ビートルズという世界的なビックバンドが巻き起こす波に飲まれて彼が彼を見失う前に。

(追記終)

このシーンを見ながら私の中ではいつもアストリッドがスチュにかけた言葉がリフレインしています。「ロックンロールだけでは満足できなくなる」「芸術には洗練が必要」彼女は彼と過ごす中できっと彼の中の満たされない部分を強く感じ、それは彼一人で世界と向き合うことでしか満たされないと感じていたのかもしれないね。そして、彼女は彼がそれができる人だと、それをすることで大きな才能を開花させる人だと信じていたのかもしれないな。スチュはアストリッドに尋ねます「髪型を変えるのにも意味があるってこと?」それに意味があるとしたらなんなんだろう?仲間と一緒に足並みを揃えるのではなく一人で世界に向かうための儀式のようなものだったのかな。鏡に映し出された新しい自分を見てスチュは言います。「君は俺を変えてしまった」このシーンのスチュは表情はとても切なげでした。

このあとにアストリッドに整えてもらった髪型とジャケットでステージに立ったスチュがソロをやりたいと言い出し歌う『Love Me Tender』。そういう意図があったかどうかはわからないけれど、私はこのシーンはスチュがビートルズとの別れを決意したシーンだと思っています。ステージの上に一人で立つ(物理的にひとりではないけど)のは一人で世界と向き合う決意を表しているのかななんて。そんなスチュの気配を感じ取ったから、アストリッド(と客席)に向かって一曲を歌い上げたスチュに対してジョンも怒りを露わにしたのかもしれないと思ってしまいます。

怒りって前に進む原動力みたいなもの。このシーンの文脈とは違うけれど、映画版のBACKBEATでアストリッドにいつも怒っている、と言われたジョンは「怒っているわけじゃない、本気だから」と応えるシーンがあります。

 

別れの気配

ずっとスチュに対して煮え切らないものを抱えていたポールは、ジョンに対してあいつはクビだ、自分がベースを弾くと告げます。ジョンはそれに強く反対します。ほかの二人だって穏やかじゃなかった。けれど、もうどうすることもなくメンバーがステージから去る中、一人残ったジョンの元へ歩み寄るポール。けれど、ジョンは彼の言葉を聞くことなく去っていく。

ハンブルクのアートカレッジ、スチュは奨学金をもらえる入学試験を受けます。作品は素晴らしいけれど、彼がイギリス人であるということやそれまでスキッフルバンドのメンバーだったということもあってすぐには受け入れられない。そんなものは関係ない、それも全て自分だし、自分は受け入れられるべきだと主張するスチュ。「何故自分が画家であると信じられる?」その問いに彼は答えます。「描きたいもので溢れて頭が爆発しそうだから」これはこの後の展開を知っているからこそ、すごく胸に刺さる台詞。短い人生を燃やし切るように彼は絵を描いたのかもしれない。

ジョンはスチュのアトリエを訪ねます。そこにはスチュはいない。アストリッドに行き先を尋ねるも彼女は答えようとしなかった。(この時彼女は誰に配慮したんだろう、スチュなのか、ジョンなのか、それとも両方か)ジョンは語る。スチュがクラブに来なくなってからポールがベースを弾いていること。サウンドはどんどん良くなっていっていること。けれど、スチュがベースを弾いていた時のスピリットがなくなったこと。スチュにバンドに戻ってほしいと言うジョンにアストリッドは彼がアートカレッジの試験を受けに行っていること、一ヶ月前に願書を出していたことを告げた。受からないはずなんてない。スチュ自身も含めて彼らはみんなスチュの才能を知っているから、それはわかってしまう。(もう随分と前からスチュが心を決めていたことを知ったジョンのどんな気持ちだったんだろう。悲しい?違うかな。失望?これも違う。諦観?何にしたって私は全然想像できないや。)試験の時間はとっくに終わっているのになかなか帰って来ないスチュにもしかすると、と不安がるアストリッドを一喝するジョン。きっとジョンは誰よりもスチュの才能を認めていて信じていて、尊敬してたんだろうね。

目前に迫った決別の時を前に、ジョンは素面ではいられなかったんでしょう。散々酔っ払ってスチュがいないならもうできないと言うジョンにポールは言います。「スチュがいなくてもやる。信じろ」と。祭りのステージで演奏をするジョンと出会って彼の破天荒さとそれだけではない魅力に惹かれたポール、ポールの演奏技術や正確さに衝撃を受けたジョン。早くに母を亡くしたという似通った境遇もあり、彼らは心を通わせることになる。グループの解散後には確執もあったけれど、ジョンは亡くなる年に受けた取材で「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった」と語っているそうです。*1 スチュに嫉妬をしていた、と話すポールの言葉はもしかすると身勝手に聞こえるかもしれないけれど切実でした。スチュが現れるまでポールがジョンと過ごした時間はとても濃密でエキサイティングな時間だったのでしょう。彼はジョンを必要としていた。そして、同じようにジョンにも必要とされたかったのだろうと思います。ギターを片手にポールが作っていた曲に対して一度は「クソだ」と吐き捨てたジョンでしたが、ポールに歩み寄りフレーズに注文をつけます。「ふたりでやりゃ、マシになる」そう言って歌ったのは『Please Please Me』のワンフレーズ。ポール役のJUONさんとジョン役の加藤和樹さんの歌声が重なる瞬間に胸が熱くなります。

 

決別

夜の海を照らす灯台の光。ここを好きでよく訪れていたというスチュを呼ぶアストリッドの声、続いてやってくるジョン。確実にこのシーンはこの舞台の中の見どころです。照明が素晴らしい。舞台の上に描かれた海。闇、そして訪れる光。光、そして現れる闇。その向こうに聞こえる波の音。残りの公演数が少なくなってしまったけれど、もし二階席から見る機会があれば絶対に注目してほしいです。アストリッドが思う通り、そこにスチュはいました。酔っ払っているようでありながら、その言葉は深い。「明かりがさすと何もかもをこの手につかんだ気がする。でも、明かりが去ると闇の中」自分には世界が違って見えることがある。きっと何かあったのだろうとアートカレッジで何があった?と尋ねるジョンに、スチュは戯けて船乗りの息子だって言ってやった!と、おかしそうに笑ったあと、ジョンはもう一度問う「何があった?」と。それでもスチュは話さずジョンに「お前に何があったか話してくれ」と言った。もうスチュは自分のことをジョンには話さないんだなと、なんだか私は悲しくなりました。きっともう心は決まっているから。ジョンも同じように感じたのかもしれない。「お前をグループに戻したかった。けど、お前はもういない。永遠にいなくなった」射しては去っていく灯台の光、闇。スチュは言います、「光と闇はただの繰り返しじゃない。どの光も違うものを見せてくれる」と。(ここの解釈はなんだかまだぼんやりとしているんだけど、ジョンやビートルズとの日々を指していてほしいなぁ。そうだったらいいなぁ。スチュがハンブルクでまた絵を描き始めたのはアストリッドと出会ったこともあるだろうけど、ビートルズのメンバーとして色々なものを見て経験する中で自分の中の核となるものを見つけたから、だと私は思いたい。もうね、これはただの希望的観測で考察でもなんでもないです。史実も知らない。でも、今の私はこういうふうに考えています。)

「礼を言いたい、お前とのすべてに」別れを切り出したスチュに後悔するぞなんて軽口を叩いたあと、ジョンはスチュを思い切り抱き締め、スチュも彼の背を抱きました。ジョンはのちにスチュのことを『彼は、もう1人の自分のような存在だった』と話したそうです。*2 そんな半身とも言える存在と道を分かつことはやっぱり悲しかったんじゃないかなぁ。とてもつらそうな表情をしていたもの。それでもジョンはスチュを引き離し笑顔でアストリッドにスチュを頼むと言う。「この人を愛しているから」そう言ったアストリッドにジョンが言った「みんなそうさ」。最高の台詞だよね。スチュアート・サトクリフ のことを愛さない人間なんていない。君もそうだろうけど、もちろん、俺だってそうさ。そんなジョンの言葉が聞こえてきた気がして泣けてくる。(私はあまり記憶にないのだけど、ツイッターを見ているとこのセリフに関するお芝居のニュアンスは変わっていっているようでした。正解はないと思うけれど、私は加藤さんのこのシーンのお芝居が大好きです)

(2019.6.24追記)

日に日に『みんな』の重さが増してきた。それは続くシーンの演出変更のおかげでもあるけれど、きっとステージの上のみんなの変化が齎したものなんだろう。この瞬間のジョンは、自分だけではなく、自分の周りのすべての人がスチュを愛していると言っていた。

ジョンが去ったあと、彼の行く手を見送ったスチュの背中はひとり置いていかれた子供のように寂しげだった。自分で決めた未来。望んだ未来。でも、やりきれないない思いを抱いていたんだろう。ふと一幕のAin't She Sweetのあとのジョンの背中が思い出された。この二人は不可分な関係であったのだろうし、だからこそ、スチュは別れを選んだのかもしれない。

(追加終)

リバプールへと戻ることを決めたビートルズのラストライブ。ステージの前にロープが張られるほどの人気を手にしたビートルズの帰国はきっとハンブルクでも惜しまれたのでしょう。ステージで『Please Mr. Postman』を演奏する彼らを眺めるアストリッドとスチュ。アストリッドに促されてステージに上がったスチュをジョンもジョージもピートも、そしてポールはベースを下ろしてまで彼を受け入れる。映画のこのシーンのスチュは客席にいるのだけど、舞台のこのシーンの方が好きです。演奏が終わった瞬間、立ち上がって叫んでもいいもんだったらそうさせてほしい。それくらい胸が熱くなる。最後のキラキラした夢みたいな時間。

(2019.6.22 追記)

このシーンの最後、ステージ上でスチュとメンバー一人一人が別れを惜しむ演出だったのですが、演出が変更になり最後に五人で円陣を組む演出になっていました。それもめちゃくちゃしっかり。そこからスチュが抜けて四人で肩を組んでリバプールに戻るという繋ぎでした。この演出変更最高だったね。史実はわからないけど、みんなスチュが好きだったんだなってスチュは『みんな』に愛されてたんだなって思えるシーンになっていました。

(追加終)

(2019.6.24追記)

千秋楽でのこと、円陣が始まるとき、私にはスチュが一瞬止まったように見えた。それを引き寄せた四人。力一杯革ジャンが擦れる音が聞こえてくるほどの抱擁。そして離れていくスチュの革ジャンを一瞬握って、でも、離したジョンの手。ジョンは本当にスチュと世界を分かち合いたかったんだ。もうその運命が覆らないとしても、まだ望んでいた。

(追記終)

 

世界の頂に向かう最初の一歩、そして別離へのカウントダウン

ここからはリバプールへ戻ったビートルズハンブルクに残ったスチュの二つの軸でお話が進んでいきます。

まずはビートルズリバプールへ戻り4人でキャバーンでライブを続けていた彼らの元にある日ひとりの男が訪れます。彼の名前はブライアン・エプスタイン。彼が経営するレコードショップにひとりの少年がビートルズのレコードを求めてやってきたことから、彼らに興味を持ちのちに彼らのマネージャーとなります。イギリスでのレコードデビューが今現実になろうとしていました。

一方、スチュはアトリエに籠り絵を描き続けていました。望んだ芸術の道に進む彼の行く末に翳りを落としていたのは時々訪れる頭痛。それはアートカレッジの試験の日のアストリッドのセリフにもあるように少し前から悩まされていたものではあったものの、どんどん痛みは大きくなっていく。どうしようもない焦りや不安もあったのかもしれない。ある日、仕事から帰ってきたアストリッドに対してスチュは暴力を奮ってしまう。「何かが起こった。わからないけど何かが起こっているんだ、俺の頭の中で」そんな自分にスチュ自身も混乱して取り乱します。

アトリエにね、床が汚れないように敷き布が敷いてあるんです。アストリッドを殴った時やそのあとひとり暴れまわるシーンでぐちゃぐちゃになった布をスチュは懸命に元に戻していく。次のシーンが病院のシーンなのでそこへの繋ぎというのもあるだろうけど、自分に起こった変化が恐ろしくてそれをなかったことにしたくて敷き布を元あったように戻しているのかもしれないとも思いました。

病院に行ったスチュは医者に告げられます。「ペースを落とすことです」と。手の施しようがない、と言うことだったのかなぁ。*3 病院から帰ってきたスチュはアストリッドに指輪をプレゼントする。彼自身もきっと自分に残された時間が少ないということを理解していたのでしょう。

リバプールビートルズは一枚目のシングルとなるレコードのレコーディング中です。歌うのはB面の『P.S. I Love You』A面の『LOVE ME DO』も名曲だけれど、ここでこの曲が選ばれたのはハンブルクのスチュの元にジョンからの手紙が届くシーンと並行しているからでしょう。キャンバスに向かっていたスチュは、アストリッドからジョンからまた手紙が届いたと知らされ表情を明るくします。けれど、スチュはその手紙を受け取る前に頭痛に襲われ倒れてしまいます。

実際にジョンは多忙な日々の合間を縫ってスチュに手紙を書いたようです。それは他愛ない話から周囲に明かさないジョンの深刻な悩みまで。*4 『P.S. I Love You』の和訳詞でこちらがすごく気に入ったのでもしよければ見てみてください。男女の恋の歌にも読めるけど、もっと深い愛の歌にも読めてきませんか。

【歌詞和訳】P.S. I Love You / The Beatles - ピー エス アイ ラヴ ユー / ビートルズ 手紙と一緒にこの気持ちを送るよ… : 洋楽翻訳☆お味噌味 - オリジナル歌詞和訳の妄想旅行へ

見ていて楽しいシーンではないけれど、私はこのシーンが大好きです。音楽とストーリーを調和させる演出がすごく素敵で印象に残るシーンです。

そんな中、ビートルズにも変化が起こります。ある日、エプスタインに呼び出されたピートはプロデューサーが彼のドラムを気に入っていないという理由でグループからの脱退を迫られます。それはメンバーの総意でもあった。演奏技術の面もあったようですが、彼がグループに溶け込もうとしなかったことも原因だったようです。*5 (一幕のハンブルク時代からドラッグに手を出さなかったり、彼らと一線を引いて接している様子も見受けられました。)ピート役の上口耕平さんののラストプレイ、素晴らしかったですね。ドラムセットに向かってほんの少しプレイし一瞬うな垂れた後、それでも再起してビートを刻んでいく。正に彼が言ったこれまでと同じように生きていく自尊心を持って、というセリフを体現しているよう。ピンスポットを浴びながら舞台の奥へと消えていく演出は物悲しくもありながら、鳴り止まないドラムのリズムには心を打たれました。

(2019.6.24追記)

エプスタインから脱退を提案されるシーンのセリフも変わっていた気がする。「2年間、俺のドラムが気に入らないなんてあいつらは言わなかった」脱退を提案されたこともそうだけど、ピートにとっては彼らから何も告げられなかったということが悲しかったのかもしれない。ドラムソロの前にネオンサインが降りてくるのも、ハンブルクでの日々を彷彿とさせてにくい演出だと思った。

千秋楽、ピートのドラムは鬼気迫っていた。うな垂れたあと、まっすぐ前を向いて強くビートを刻む彼の姿を私は忘れることはできないだろう。

(追記終)

 

夭折の天才

弱っていくスチュの元にアストリッドはビートルズの最初のシングルを届けます。もうこのころには右半身は麻痺していたのでしょう。自由になる左手で封を切り、取り出したレコードを眺め大切そうに抱き締めるスチュ。その表情はとても安らかでした。やっとこの日がきたと心に刻むように。聴きましょう、というアストリッドに「抱き締めている方がいい気がする」と答えます。それを聞いてアストリッドはスチュが彼らに有名になってほしくないと感じているのだと思うのだけど、そうではなかった。もとよりスチュはビートルズとして有名になることを望んではいなかった。ジョンにとってはビートルズとして有名になることが到達点だけど、自分にとっては違う。架け橋だった。(ここで引用されるニーチェの『真の偉大さとは到達点ではなく、そこに至るまでの架け橋』という言葉。調べきれなかったので博識な方、ぜひ教えてください。)有名になることより彼らとそれまでの時を共にできたことが、スチュにとっては価値のあることだったんだろうね。映画版のエルレ川のシーンのあとにではジョンの夢はグループでレコードを出すことだけれど自分はそうではない、と語るシーンがあります。そこで語ったスチュの夢は『笑って暮らすこと、良い景色を見て歩き、かわいい娘(これはアストリッドのこと)を泣かす』もちろんこれは言葉の通りではないだろうけど、少なくともスチュにとってはこの頃からビートルズで世界の頂点を取るというのは絶対に達成しなければならない一番の目標ではなかったのでしょう。

(2019.6.24追記)

スチュが椅子に座ったままキャンバスに向かって筆を動かすように自由になる左手を動かすの、もう彼は描くことができないんだなぁと思って切なくなりました。

(追記終)

余談ですが、この辺からのアストリッドの描かれ方は正直あまり好きではないんです。ビートルズが有名になったからと言ってスチュはそれを羨むような人ではないはず。それは彼をそばで見ていたアストリッドがわかっているだろうに。なんとなく腑に落ちないところがあるので、何かお気付きの方はぜひ教えてください。

「サプライズがあるの」とスチュに告げるアストリッド。サプライズは嫌いだというスチュに今日好きになるわと告げて部屋を出て行く。胸にレコードを抱きながら幸せそうに目を閉じるスチュを突然の激しい頭痛が襲います。椅子から転げ落ちて苦しみながら掠れるような声でアストリッドを呼ぶけれどその声は届かない。(このシーン初日の時点ではアストリッドが呑気に「ちょっと待って」みたいな返事をしていて怒りがこみ上げてきました。無くなってくれてよかったせりふナンバーワン。英断だと思います)最後の力を振り絞って彼女を呼んだ時、真っ赤なドレスを身につけて現れた彼女が見たのは……。私はこのシーンが好きではないのだけれど、やっぱり彼女の悲しみを想像するとやりきれないし、彼女がああして取り乱すのも仕方ないのかなぁとも思えるようになってきました。

(2019.6.24追記)

このシーンのお芝居は戸塚くんもどんどん良くなっていったけど、夏子さんの方がもっとよくなっていったと思います。苦しむスチュを抱きしめながら「大丈夫、大丈夫」と声を掛けて彼の体をさするのなんて見ていて涙ぐましかった。そのあとのセリフは好きではなかったけど、それでもどんどん良くなっていっていたと思います。

(追記終)

生前の彼に関わった人が顔を揃えた彼のお葬式。(ビートルズメンバーの登場の仕方が最初の登場シーンをなぞっていたけれど出会いと別れのシーンだから統一したのかな?)ふざけた態度のジョンをメンバーは止めるけど、彼は止まらない。そんなジョンに対して、なんで笑ってられるの!なんでそんなひどいことを言えるの!と詰問するアストリッド。*6でもジョンは言います。「人間、生きてるか死んでるかだけ、どっちかだろ!中間はない!」「俺は泣かないね!スチュのためにも!誰のためにも!」「ビーバッパルーラ、それがすべてだろ。なぁ、スチュ」。

スチュの口癖でもあったビーバッパルーラ。和訳を見るとアストリッドのことかなぁとも思うけれど、それだけではない気がします。もともとBebopはジャズの一形態で演奏家たちが自由にアドリブで演奏する即興音楽といった形式だったそうです。*7 そこから転じて何にも縛られず自由に自分の生き方を貫く、みたいな意味に転じていったようでもあります。(ちょっとこの辺はネット知識なので怪しい)Lulaは女性名で浮気なルーラみたいな意味ももちろんあるんだろうけれど、このジョンのセリフを見る限り『何にも縛られずに自由にいこうぜ!』というようなニュアンスもあるんじゃないかなと思ったりもします。

そんなふうに強がっていたジョンだって悲しくないはずもない。突如倒れ込み泣き叫ぶジョンの姿はとても悲痛でした。「自分が死んだらよかった。あいつこそ世界を取る男なのに」そう叫ぶジョンにアストリッドは「それは違う、あなたたちふたりともよ」と。アストリッドも悲しみにくれるジョンを見て冷静さを取り戻したんだろうね。

(2019.6.22追記)

このセリフは途中からピートのセリフになりました。どういう意図があったのかな…?

(追記終)

(2019.6.24追記)

アストリッドからピートへのセリフ変更について友人とも話していたんだけど、やっぱりこれは演出家の石丸さんが彼を幸せにしてあげたかったからなのかなと思います。石丸さんはきっと、この五人のビートルズが大好きで、五人みんなに幸せになってほしかったのかなぁ、なんて思いました。

(追記終)

生前スチュが座っていた椅子に座りながら、スチュはここにいるというジョン。肉体は無くなってしまったけれど、彼の魂は彼の残した絵という形あるものや過ごした部屋に感じる気配だけでなく、きっとジョンの心の中にも存在し続けていくのかな。椅子に座り、あの日スチュが歌った『Love me Tender』を口ずさむジョン。加藤和樹さん、素晴らしかったなぁ。震える声、And always I willの歌詞が詰まって出てこない、ジョンの悲しみが痛いほど伝わってくる。前編では和訳を貼らなかったのはここで見て欲しかったから。スチュからアストリッドへの歌でもあるけれど、この歌はジョンからスチュへの弔歌でありラブソングでもあると思います。

Love Me Tender : 洋楽歌詞和訳・ときどき邦楽英訳(意訳)

実はこのシーンの役者の捌け方も私は好きで、『Love me Tender』を歌うジョンをメンバーは振り返るけれど去っていく。ポールとジョージは同じ方向へ、ピートは彼らと別の方向へ。そして、最後にステージに残ったのはジョンだけだった。みんなスチュアートを愛していたけれど、やっぱり彼を一番愛していたのはジョンなんだね。

(2019.6.13追記)

スチュの死後に彼のアトリエでアストリッドが撮ったジョンとポールの写真が残っています。これはぜひ見てほしい。どんな言葉でも表せないものがこの写真に残っている気がします。

ハンブルグ写真集(4) 1962年4月13日~5月31日 [ビートルズ詳解]

(追加終わり)

(2019.6.24追記)

千秋楽の『Love me Tender』、素晴らしかったので、ツイートの引用です。どこまで計算なのかわからないけれど、加藤和樹さんってすごい人だなと思いました。

(追記終)

 

最後のマックショウ

リバプールに戻ったビートルズは朝からスタジオに缶詰になって初のオリジナルアルバムのレコーディングをしていました。朝から休憩なしで録り続けて夜の10時。それでも収録曲の曲数に1曲足りない。あと一曲、特別な曲が。風邪を引いているジョンはハンブルクよりひどいと文句を言うけれど、ポールはそんなジョンに発破をかけます、「これがラストチャンスだ」と。チャートで一位を取るほど人気が出たビートルズ、ライブだった20分歌えばいい、もう世界に手は届く。それでもその分失いつつものもある。「ハンブルクみたいな青臭いショーをテープに残すんだ。俺はスチュみたいに弾く、あいつは本物のロックを知ってた男だから」そんなポールの言葉にジョンが黙っているわけもなくギターを持ってマイクに向かいます。ビートルズの最初のオリジナルアルバム『Please Please Me』の14曲目は『Twist and Shout』一幕のバンビ・ホテルでスチュがいい曲だと言った曲。このレコーディングシーンの雰囲気は、スチュを交えてのハンブルクでのラストライブの雰囲気に少し似ているように感じます。私がそう思ってしまうのか、意図的なのかもわからないけれど。でも、とにかくあの時の熱狂が荒削りで泥まみれかもしれないけれど大きな夢に向かって走っていた青年たちの姿がステージの上に蘇った気がした。御託を並べてみたんだけど、とにかく楽しそうだったんだよ!

(2019.6.22追記)

これも追加になったのかな。『Twist and Shout』の演奏前、さぁいくぞ!ってシーンでジョンがリンゴ→ポール→ジョージの順にぐるっと指差したあと、真正面に向かって指差して止まるんです。その視線は遠くを見ていて、その先にはきっとスチュがいるんだなぁと思いました。

(追記終)

(2019.6.24追記)

『Twist and Shout』の演奏前、あの頃みたいにもう一曲やろうぜ!自分はスチュみたいに弾く!と言ったのがポールだったこと。嫉妬までしたスチュをポールだって嫌っていたわけじゃない、ポールだってスチュを愛していた。『みんな』がここにも繋がっているんだなと思いました。

千秋楽、ポールに説得されたジョンが立ち上がる前に、ハンブルク時代リーゼントのときにやっていた横髪を撫で付ける仕草をする。この瞬間、彼の心はあの青春の日々に戻っていったのでしょう。

(追記終)

途中客席の通路から現れる黒いコートを羽織ったスチュは一度立ち止まってじっとステージを眺めてから歩き出します。椅子に座ってお前らちゃんとやってんのか?って品定めをするような表情がどんどん笑顔になっていく。あの頃に戻ったみたい。自由を追い求めていた頃に戻ったみたい。

(2019.6.24追記)

千秋楽、演奏中それまで見たことのなかったジョンを見ていると、スチュが椅子に座ってから、何度もそっちを見て歌っていることに気付きました。そこにいる彼にあの頃と変わらないロックンロールを届けるように。

(追記終)

演奏を終えたジョンはステージから降り、他のメンバーを乗せたバンドセットは舞台の奥へと消えていく。スチュとジョンは互いに歩み寄り、スチュから差し出された黒いコートを少し眉を潜めながら受け取るジョン。

(2019.6.24追記)

このシーンのジョンの表情がいつもどうだったのかわからないけど、千秋楽の彼は笑っていました。まるで『やっと会えたな』と言うように。

(追記終)

そしてふたりは客席に背を向けて歩いていく。ジョンを迎えに来れたのはもうこの世にはいないスチュだけだから。あの世とこの世の境目のような額縁のセットをふたりは跨いでから、肩を組んで歩いていきます。

(2019.6.24追記)

一人だとあんなに寂しそうだった背中は、もう寂しそうではなかった。

(追記終)

顔は見えなかったけど、お前らきっと笑ってんだろ?そうじゃなきゃおかしいよね。そっちでもふたりで笑っていてほしい。

ビーバッパルーラ!

それが全てさ!!

 

 

(2019.6.24.追記 おまけ)

千秋楽のカーテンコールの様子をツイートから引用しておきます。最高に熱い!楽しい空間でした!戸塚くんがあんなに充実感を噛み締めているような表情も久し振りに見ることができてよかったです。

(追記終)

 

2019.6.22、2019.6.24 加筆修正

*1:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジョン・レノン - 『ポールマッカートニーとの関係』

*2:https://frat.exblog.jp/19354027/

*3:彼の疾患については死後まで診断がつかなかったという一説もあるようです。

*4:https://www.e-yard.jp/seltaeb/history/history-33.htm

*5:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ピート・ベスト - 幻のビートルズ・メンバー

*6:スチュの最期については映画版は史実に近く、ハンブルク空港にやってきたビートルズにアストリッドがスチュの死を告げ、ジョンとポールが彼のアトリエを訪ねるというものでした。これはこれでよかった。情緒があって好きです。でも、舞台版の溢れ出した悲しみを抑えずに露わにするアストリッドも憎らしくは思えない。聡明な彼女の人物像からは離れてしまったかもしれないけれど、これもひとつの形なんでしょう。

*7:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ビバップ