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ハンカチをお忘れではありませんか?〜Defiled観劇覚書〜

Defiled初見を終えたので、今思ったことを覚書として残しておきたいと思います。

もうね、めっちゃつらい。つらくてつらくて、終わった後にどうしようもない喪失感に襲われて、席を立って帰り支度をしながら、心が体を離れてどこかにいってしまったような気持ちになりました。

お話の内容について多分に触れているので、まだ見られていない方でネタバレを見たくない方は読まれないことをオススメします。

とはいっても、メモなしで一回見ただけなので、記憶違いももちろんありそうです。なので、ネタバレ見たい方にもオススメしません。

なんとなく全体通してそういう感じだった、というぼんやりした感じ。

とにかく自分が書かないと死にそうなほど落ち込んだから、なんとか文字にして昇華したくて、この記事を認めています。

 

***

 

涙腺が緩みすぎていると度々言われる私ですが、今回も案の定涙腺は緩みすぎていました。

開始1分で号泣。最短記録かもしれません。

オープニング、薄暗い図書館の中に一人きりで、黙々と書架に爆弾を置いていくハリーの背中を見た瞬間に涙が溢れてきて止まらなくて、自分でもびっくりしてオロオロしました。

あらすじでハリーの人物像を少し知っていたからこその涙だと思うんです。彼にとって神聖であった図書館を爆破しなければならないと思うほど彼を追い詰めたのは何だったのか、ここに至るまでどんな感情の変遷があったのか。そういうことを考えてると涙腺が壊れてぼたぼた涙が落ちてきました。

いいシーンだったんですよ。一時間四十分の中で、このたった数分のシーンが一、二を争うぐらい印象に残っています。

舞台上に現れたハリーを見た瞬間に、きっとこの人はとても強い意思を持った人間なんだろうなぁって思ったんです。戸塚くんすごい。瞳に宿る強い光や佇まいが、すごく良かったんです。決意を感じさせるというか、とにかくグッとくるものがあったんです。

(そもそも目録カードを存続させるためだけに図書館を爆破しようと思って、思うだけじゃなくそれを実行しようとすること自体が彼の意思の強さの表れではありますが。)

そして、オープニングの数分間、薄暗い静かな空間で爆弾を並べていく彼の様子が、神様に祈っているように感じられたのも心を揺さぶられた理由だと思います。

丁寧に、慎重に、書架にひとつひとつ爆弾を置く様子は、手順を踏んで、願いが叶うように、苦しみが取り除かれるように、人々が神様に祈るよう。その仕草は神聖に感じられるのに、その神聖さと行使しようとしている暴力とのギャップが少し怖くて、なんとも言えない恐怖感がふつふつと湧いてきて。

これは、やばい舞台を観に来てしまった……と怯えました。

 

もちろん、私がそんな怯えを抱いていることは関係なくお話は進んでいきます。

ディッキーが交渉のために図書館に入ってきて色々話をしていく中で、最初はとにかく頑なだったハリーの様子が徐々に変わっていく。なんだか子供みたいな表情や様子になっていく。無邪気だとかそういう陽の意味ではなくて、迷子の子供のような。

戸塚くんのこの辺りの表現は、とても自然で、上手で、更に彼の神様に愛された容姿がとにかくフル活用されてて、とにかく放っておけない気持ちになりました。

ディッキーと話していくうちに、彼の心の表層の固くゆるぎない部分にひびが入ってその中のやわい部分が見え隠れするようになるんです。

ディッキーに勧められたコーヒーを飲んだり、爆弾の起爆装置をしまって欲しいという要求に応えたり、徐々にディッキーに歩み寄っていくのがすごく自然に描かれていて、とても興味深かったです。

個人的には、本人が認識してるかどうかには関わらず、やっぱりハリーは寂しかったんだろうし、誰かに助けてもらいたかったんだろうなぁって思います。孤独だったんだろうなって。

きっと長い間、そばにいてくれる家族も、信頼できる友人も、味方でいてくれる恋人もいなくて、光も音も温度もない自分だけの世界で生きていて、その孤独な人生の中に存在していた唯一の宝物が、本と図書館だった。だからこそ、図書館を理想の形にしておくために目録カードにそこまで執着したんじゃないかなと思います。

でも、彼がしたことが正しいとは思えないです。自分の気持ちを伝えるためにはもっと言葉も時間も心も尽くす必要があるし、相手の立場を理解する必要もある。それを彼が行なったとは思えない。(きっと、目録カードのこと以外でも)そんな怠惰さと傲慢さが許せないとは思うけど、彼だけを責めることは出来ない。

彼の生き方はすごく不器用だと思います。生きるためには、世界が自分の思い通りにならないことを知らなきゃいけないし、一時的にでも諦めることをしなきゃいけない。そんな不器用さが悲しいと思うけれど、それが悪だと思うことは出来ない。

そんなことを考えてたら、頭の中ぐるぐるぐるぐるしてきて、あーもー疲れたぁって思いながら、ハリーとディッキーの言い争い(というかハリーが一方的に反抗してる)を見ていると、本当にハリーのめんどくささにイライラしてきて。

勘弁してよと思いながらも、そのシーンにやたらと既視感を感じて、ハッと気付いたんです。

あれ、これ、中高生の頃の私では……?

ハリーの様子が、反抗期に母親と大喧嘩してる自分みたいでとても怖かった。自分が自分の(誰かの)理想の姿で在れないならもう死んだ方がマシ、とかそういう風に考えていた頃の自分を見ているようで怖かった。

母親とは、もういい、あんたには何にもわかんない!あんたが死なないなら私が死ぬ!ダッ(家を飛び出して捜索される)みたいな喧嘩をたくさんしました。あの頃はすごくパワーが有り余ってたんだと思います。内向きに向かっていた力を私の体では受け止め切れなくて、溢れ出たそれは外に向いてしまった。それを表現する術がなくて、言葉という一番鋭利な刃物を手にしてしまった。

でも、当時の私はそんなことを言いながらも、心の中では、もう自分ではどうしようもないから、誰か助けて!と必死に叫んでいたし、それでも見捨てられないことへの甘えと、見捨てないでほしいという切実な願いがあったから、ハリーにもそういう部分があるんじゃないかと思えてしまった。

だから、どうか誰か彼を助けて欲しい、と今度はこちらがお祈りモードに。

ディッキーが図書館から出て行こうとした時のハリーの動揺や、彼が本当に出て行ってしまった後、外してあった受話器を元に戻した行動は、親に捨てられそうな子供のようで、正直見ていられなかったです。

あーもう!早く戻ってきてよ!そして今すぐ、彼を抱き締めてあげてよ!

そう思うとまた涙がぼたぼた落ちて、若干嗚咽が溢れました。

 

劇中で、ディッキーが難しい交渉と簡単な交渉の話をするんです。

その基準は、時間がかかるかどうかではなくて、簡単なのは、相手が投降したがっている場合、難しいのは、相手がまっとうな理論が通じる相手じゃない場合、という話。(難しい時の表現は別の言葉だったのだけど、使うことが憚られる言葉なので置き換えました。)

ハリーとの交渉について、ディッキーは簡単だとは思っていないけど、難しくはないと感じているようでしたが、私もかなり終盤までは同感だったんです。

投降したいわけではないけれど、話をしてお互いに折り合いがつくところが見つかれば、もしくは、ハリーが諦めれば、きっとなんとかなるよね、とすごく楽観的に考えてました。

私がハッピーエンド至上主義というか、みんなが幸せになれる世界が好きだから、出来ればそうなって欲しいという希望もあって。

なので、ディッキーがした提案にハリーが頷いて、握手をして、抱き合った時、心底ホッとしました。これで穏やかな気持ちで帰れると安心したんです。

安心したんです。

それなのに、それなのに……ハリーが図書館へ新刊カードに拘って戻った瞬間、その行動の意味がわからなくて混乱はするし、それによって引き起こされる結末はとても悲しくてなんでなんだろうと遣る瀬無い気持ちでいっぱいになるし、結局、私の頭の中って、お花畑なんだなぁとショックを受けるし、とにかくびっくりして、悲しくて、つらくて。

一番しっくりくる言葉は『虚しかった』。

ハリーの気持ちがわかるとは言わないけど、なんとなく想像はついて、でも、ディッキーの言い分もよくわかる。だから、すごく遣る瀬無いよね。

もういいじゃん、新刊の目録カードなんて諦めなよ、きっとそれよりもっと大事なものってあるよ、という常識的な部分と、いや自分にはこれしかないから、普通の、日常の生活なんていらない、思い通りにならないなら死んだ方がマシという偏った部分。

どちらも想像出来るから、どちらにとっても救われない結果になったのはすごくつらかったんです。

もし、あの場面で誰かがハリーを撃たずに、もう一回交渉をしていたなら、もしかしたら結果は変わったかもしれないけれど、あの場面で彼を撃った誰かの行動も理解出来る。

全体的に、どれも頭ではわかるけど、気持ちがついてこなくて、だから、終わった後、放心状態になってしまって、ハリーの最期の辛そうな演技を見ていてじゃんじゃん流れてた涙がすんと引っ込んでしまいました。

 

一日、色々整理して思ったのは、

主張も信念も素晴らしくて間違ってなかったとしても、そのやり方を間違えれば悲しい結果になるんだなぁってこと。

ありきたりな表現ではあるけど、暴力は暴力しか生まない。一度拳を振り上げてしまうと、同じように相手も拳を振り上げるしかなくなっちゃう。

小学生ぐらいの頃に、ニュースを見ながら、ふと思った疑問を父親に投げ掛けたことがありました。

殺人を犯した人にもそうしなきゃならない理由があったんじゃないの?

そんな私の純粋な疑問に、父は答えたんです。

そうでない場合も、そうである場合もあるけれど、理由があるかどうかが問題じゃない。理由があったとしても、それが誰かを傷付けていい理由にはならない、って。

そりゃそうだ。

ハリーは誰かを殺したかったわけではないけれど、彼が訴えようとしたのはまぎれもない暴力で、理由があっても暴力を振るっていいわけじゃない。

だから、それは彼が間違っている。

けれど、その彼の理由を無視してしまうのはやっぱり横暴に感じちゃう。理由も聞かずに捩じ伏せるなんて、救われないと感じてしまう。

そういう意味では、ハリーはほんの少しだけ救われた部分もあるのではないかと思います。人生の最後に、理解は出来なくても彼の気持ちをなんとか理解しようと歩み寄ってくれて、一緒に問題を解決しようとしてくれたディッキーに出会えたことは幸せだったのかもしれないと思います。

でも、やっぱり辛いけどね。

またあまちゃんなことを言うけれど、ハリーがもっと早くにディッキーのような人と出会っていたら、彼の人生はまた少し違っていたのかもしれないなぁと思うから、やっぱり辛いです。

 

最近、とてもタイムリーに誰かに対して「理解できないなぁ」とか「面倒だなぁ」と思った時ほどきちんと向き合わなきゃいけないなぁ、と思うようになっていたんです。

私にとって取るに足らないことでも、その人にとってはすごく大事なことで、どうしてもクリアにしておきたい問題だからこそ、声を上げているのだとすると、それを邪険に扱われたらその人はすごく悲しい思いをするんじゃないかなと思ったから。

それを知人に話した時に、「志は素晴らしいけど、心を尽くしても伝わらない相手もいるよ」と言われて、正直ショックを受けました。でも、そんなことないよね、意味のあることだよねって思うことで自分を奮い立たせようとしていたんです。

でもね、この舞台を見て、話のレベルは全然違うかもしれないけど、あぁ、伝わらないこともあるんだな、って痛感しました。それならどうしたらいいのかなぁ、って少し悩んでしまいました。

悩んだけど、もしも伝わらなかったとしても、私はきちんと向き合いたいなぁって、誰かの理由に寄り添っていきたいなぁってそういう風に思いました。

私は、わかってもらえないことも、一人になることも、やっぱり少し寂しいから。

 

本当にすごくすごく考えさせられる舞台。

今回は目録カードが神聖なものとして扱われていて、やり方は誰も巻き込まずにただ図書館を爆破するというやり方だったけど、もっともっと色んなかたちで同じようなことが世界中で起こっているんじゃないでしょうか。

大事なものって人によって違う。だからこそ、大事なものを守ろうと今日も誰かが必死になっているし、そのせいで悲しい思いをしている人もいる気がします。

もうほんと勘弁してほしい辛すぎるよ〜、と思いながら書いてたら涙と鼻水がぼたぼた落ちてきて、苦しいのなんのって。

だからこそ、思考停止せずに思ったことをこうして残しておきたいなと思いました。

今回は個人的な事情でとても偏った部分にしか触れられないまま五千文字を消費したのだけれど、他にも、アンチテクノロジーだとか紙の本の良さだとかいっぱい思うこともあったし、戸塚くんと勝村さんの演技や舞台の演出という観点でも、とても心を揺さぶられる舞台だったから、落ち着いたらもう一回感想を書けたらなぁと思っています。

 

総括すると、ハンカチは二枚持っていくべきだった。