I like what I like

アイドルが好きです。

人生は人を欺かない〜映画「黄色い涙」〜

どうしても好きな作品というものがある。映画でも本でも音楽でも、いつでも心の隅っこに静かに在って、ある瞬間に突然思い出して触れたくなる作品。

私にとっての「黄色い涙」は正しくそんな作品だ。

黄色い涙 【初回限定版】 [DVD]

黄色い涙 【初回限定版】 [DVD]

 

 

初めて見たのは大学生の時。それから折に触れて何度か見返してる。面白いわけではない。何も起こらないし、大団円なわけでもない。それなのに、じんわりと染み込むように心の奥に入ってきて、自然とそこに住み着いてしまう。そんな不思議な力を持っている作品だと思っている。

 

あらすじについてはこちらを。

黄色い涙 | 最新の映画ニュース・映画館情報ならMOVIE WALKER PRESS

 

 

この作品が描いているのは「人生」だ。

漫画家、歌手、小説家、画家。目指すものは違うけれど、それぞれの夢を追い掛ける四人が、自分の好きなことだけをする「自由」な夏を共に過ごす。夏が終わった後、結果的に好きなことを続けていたのは栄介一人だった。

栄介の姿勢は一貫している。大勢に流されず、自分の好きな漫画を描きたい、時代の流れに乗れなくても、自分が信じたものを描き続ける、そんな強い信念が感じられる。ひと夏をかけて描き上げた原稿は、出版社では受け取ってもらえなかったけれど、汽車の中の子どもを笑顔にすることは出来る。母の葬儀から戻って、かつての恋人であったかおるが自分の夫を担ぎ出してまで持ってきた連載の話を自分の信念にそぐわないから断ってしまう。迷いながらも愚直なまでにその姿勢を貫いてゆく。

圭と竜三は、夏が終わると同時に夢を捨ててしまう。章一がどこで夢を捨てたのかははっきりと描かれてはいないけれど、おそらくラジオ放送で戻り雨を歌った後直ぐではないだろうか。栄介への手紙の中で、圭はこう綴っている。

絵や小説のためだけには生きられない。

隣に人がいれば、その人の為に何かをやってしまう。

1人になると、すぐ誰かを探しに出歩いてしまう。

意志の弱い、平凡な人間達だった。

そういう普通の人間達だったという事です。

もしかしたら、栄介のアパートに三人が転がり込んできた時から、この結末は決まっていたのかもしれないなと思う。

好きなことだけを続けることは、時にとても孤独なことだ。誰からも理解されないことだってきっとたくさんある。その中で、好きだから、という強い意思の力でずっと続けていかなければならない。費やした時間と労力が報われなかった瞬間の挫折感は言い知れないものがある。それでも、立ち上がって続けていかなければならない。それしか自分にはないのだから。それが、好きなことだけを続けるということではないだろうか。だからこそ、それはきっと、誰にでもできることではない。

三人は、この夏を通して自分がそれを出来る人間ではないと気付いていしまったのだろう。

三人の中で、きっと一番にそれに気付いていたのは竜三だったと思う。もしかすると、冒頭の栄介の母のために一芝居打つシーンより前に、竜三は自分が好きなことだけのためには生きていけないと気付いていたのではないかと思う。(栄介が竜三に声を掛けた時に、竜三は求人広告を見ていた。)それでも、まだ燻る夢への思いがあったから、同じように夢を追い掛けている栄介の元へやってきたのだろう。けれど、竜三は夏の間、小説を書かなかった。書けなかったという側面もあるだろうが、きっと、書かなかったのではないだろうか。作中でモンテルランの詩の一部を口にするシーンは、竜三の迷いの表れで、夢を捨てる自分の背中を押そうとしているようにも感じられる。圭と章一も、竜三と同じように、自分一人では不安で、誰かのそばに居たくて、栄介を訪ねてきたのではないだろうか。

結局、三人は三人とも、夢のために孤独になることが出来ない平凡な人間だった。普通の人間だった。そのことに、この夏を通してそれぞれの形で気付いてしまった。

栄介の元を去る三人からの別れの言葉として送られたモンテルランの詩はとても印象的だ。

人生を前にしてただ狼狽するだけの
無能な、そして哀れな青春だ
今、最初のシワが寄るころになって得られるのが
人生に対するこの信頼であり この同意であり
相棒、お前のことなら分かっているよ
という意味のこの微笑みだ
今にして人は知るのだ
人生は人を欺かないと
人生は一度も人を欺かなかったと

 

努力や苦悩が必ず報われるとは思わない。報われないこともきっとたくさんある。(もしかすると、報われないことの方がたくさんあるかもしれない。)けれど、それが無駄なことだとは思わない。目に見える、思い通りの結果に繋がらず、花を咲かせることはできないかもしれない。けれど、それは自分という土壌の中に蓄積されて肥料となり、咲かせたかった花とは別の花かもしれないけれど、必ず美しい花を咲かせることが出来る。

この夏、夢を諦めた三人は「挫折」したのではなく、「成長」したのだろう。この夏の経験は、彼らの人生を豊かにすることに繋がっているのだと思う。

 

夏のはじめ、「自由」とは何か、と栄介が問いかけた。圭は「好きなことを好きなようにやっていくこと」と答える。「自由」なひと夏の結果、三人は好きなものを手放すこととなった。

では、彼らは「自由」ではなくなったのだろうか。私は、そうは思わない。

私の考える「自由」は、自分で決めた道を歩むために、自分で考え行動し生きていけること。彼らが選んだ道は、好きなことをする道ではなくなってしまったけれど、それでもやっぱり「自由」だと思う。だからこそ、SHIPでの同窓会で皆は笑っていたのではないだろうか。彼らが「自由」である限り、きっと、人生は、彼らを欺くことはない。

 

ところで、四人に目が行きがちなこの映画で、意外といい味を出しているのが、祐二だと思う。

祐二は四人と違って堅実さを絵に描いたような青年。四人と交わりながらも、それに流されることなく、自分の道を歩み続ける。東京オリンピックを目前にした浮き足立った世相を表すような四人との対比で、地に足のついた生き方をしている祐二が描かれていることで、最初から最後まで普通の人間として生きる選択肢を提示しているようにも感じられる。

 

人生って、とても恐ろしい。
道はいつも真っ暗な闇の中にあって、進んでいるのか、戻っているのかすらわからない。先の見えない不安に時々押し潰されそうになることもある。でも、「黄色い涙」を見た後は、少しだけ気持ちが軽くなる。これでいいんだ、と思える。

楽をせずに、少しずつでも、たとえ進む方向が変わってしまったとしても、今思う進むべき道を進んでいけば、きっと、人生は私を裏切りはしない。きっと、今やっていることは無駄ではない。そんな気持ちにさせてくれる。

ABC座2016 応援屋

ただ自分が思ったことを残しておきたいと思います。

行間についてはそちらでよろしくという部分も多々あったから、私は私の都合のいい解釈をしています。

 

人間は、コンピューターに勝てる

コンピュータテクノロジーの発達は、人間の生活を便利にした。大抵のものはワンクリックで手に入るし、調べたい事柄は検索すればすぐに知ることが出来る。今まで店頭に足を運び、面倒な書類のやりとりが発生していた手続きだって、全てネットで完結する。

現代人は、とにかく時間がない。だから、できるだけ時間も手間も省きたい、無駄な労力はかけたくない。だから、時間や手間がかかることは嫌われる。より早く便利に、無駄なく。それが時代の総意のように考えられて、多くの企業がその方向を向いて進む。隊列を乱さず、一心不乱に進んでいく。

その結果、確かに便利になった。時間も労力もかからない。電車の中でベッドの中で、モノも情報も、ほとんどのものが指先だけで、手に入る時代になった。

でも、その指先が触れるのはいつも無機物ばかりで、伝わる温度はない。

煩わしさを徹底的に省いて、便利さを追求すると、人と人との繋がりはどんどん希薄になって、この世界に自分以外の体温が存在していることを忘れさせてしまう。

まるで、世界から「人間」という存在が欠落してしまったようで、私は、それがすごく怖いことだと思っているし、とても寂しいことだと感じていた。

 

そんなわたしの思いに、舞台上で描かれる、いしけんがDIGITAL COOPSより応援屋を選んだことや、桂馬がキャタナに勝ったことがぴったりマッチして、涙が止まらなかった。

コンピューターは確かに人間より優秀だけど、それだけじゃだめなことってあるんじゃないだろうか。

 

いしけんが応援屋を始めたのは、寂しかったからなんだと思う。

人の心は数学だ、といしけんは言うし、大まかな部分ではそうだと思う。もちろん、それだけじゃない部分もあるけれど、それまで自分ひとりで世界と闘ってきたいしけんにとっては、人の心もデータから答えが導き出せると考える方が心の安定を保つことできたんじゃないかな。

自分以外の世界から自分を守るために、コンピューターとデータに頼ってたいしけんを、社長との出会いが変えた。コンピューターとデータより、人間をいしけんは選んだ。埋められなかった寂しさを埋めたのは、人の優しさや温かさだったんだと思う。

 

コンピューターって実際すごい。実際に囲碁・将棋の世界ってAI優勢のような流れがある。

覚えられるデータ量も違うし、先を読む能力だって、コンピューターの方が優れているのは事実だし、仕方ない。そのために作られてきたものなんだから。

桂馬がキャタナに勝つのは、筋書き通り、という感じだったけれど、その勝ち方が良かった。

負けそうになった時、応援屋に助けられる。それでも、やっぱり勝つことは難しかった。桂馬は、彼らに裕美子さんを探しに行くように言って、一人でキャタナに向かい、勝った。

よく出来た奇跡だけど、人間に助けられることで人間は驚くべき力を発揮する、という描かれ方がすごく好き。

一人じゃだめで、誰かがいないとだめで、それは人間じゃなきゃだめ。

私はあのシーンをそういう風に解釈している。

 

応援する=一人にさせないということ

「応援」って、応援する相手がいないと出来ない。その行為は、世界に自分以外の人間が存在していることを強く感じる行為だと思う。

「幸せを循環させる」。応援という行為についてのいしけんの台詞がすごく好き。

応援するって、きっとする方も、される方も幸せなんだ。された方は、一人じゃないと思うことが出来る。でも、それってする方も一緒で、誰かを応援することで、自分は一人じゃないことを強く感じることが出来るんじゃないかな。

 

クリクリは引きこもった狭い世界から桂馬を応援することで、夢を叶えられなかった自分の人生を追体験していただろうし、桂馬がいることで救われたこともたくさんあると思う。プロ棋士として活躍する桂馬に一度でも勝ったことがあるということが、クリクリにとっては誇りだったんじゃないかな。

キャタナに負けた後、将棋に全てをかけた自分の人生すら否定しようとしていた桂馬は、クリクリの言葉や、それまで何の接点もなかった応援屋の面々に、「あなたは僕らの希望」とまで言われて、心が動かされた部分もあると思う。キャタナに負けて自暴自棄になった自分を応援して支えようとしてくれる人がいることってとても心強いことだったんじゃないだろうか。

 

裕美子が一人になろうとしたことを、結果的に応援屋の面々は阻止するんだけど、それが最善だったのかはわからない。もしかしたら、やり直した後の人生は希望に満ちていたかもしれない。でも、もしかしたら、とても寂しい人生だったかもしれない。

だって、きっと彼らが裕美子を探して、裕美子を止めようとしなければ、美穂の友達に会うこともなくて、ポーチに残された美穂の想いを知ることもなかったんだから。きっと、裕美子にとって、社長や美穂と過ごした長岡での日々はずっとずっと悲しい思い出になってしまったと思う。

一人ってとても寂しい。いしけんは、それをわかっていたから、社長と裕美子を一人にさせまいとしていたのかもしれないな、と思う。

 

応援する=一人にさせないこと、と考えると、ジョーが社長と裕美子に言った「二人の悲しみは絶対にわかりません。でも、そばにいることは出来ます。」という台詞は本当に応援そのものなんだと私は思う。

今回の舞台が始まってすぐ、応援されるってなんだ?、と考えたことがあった。

応援することは馴染み深いけど、応援されるって今ひとつわからなかったから。

例えば、仕事が大変な時に「できると思うよ!頑張りなよ!」って言われるのが嬉しいか……今ひとつ嬉しいとは感じられなかった。

でも、ジョーの台詞を聞いて、応援されることがストンと胸の中に落ちた。肩代わりしてもらえなくても、そばにいて見守ってくれるってとてもありがたくて心強いことだな、力が湧いてくるなって。

 

ジョーについて

お人好しだけど、頑固。馬鹿だけど、正義感が強い。高校野球マニアのジョーという役は、元から応援する側としての役割を持たされてたのかなと思ってる。

いくら修也に言われても辞めなかったコンビニのバイトを辞めて、人を応援するなんていう胡散臭い会社に、いしけんにズバリと自分のことを言い当てられたことだけで、一つ返事で飛び込んでいけるような素直さ、という馬鹿さはなんなのか。その辺は個人的に釈然としないんだけど、修也のことを考えてた部分もあったのかなぁ、と思っている。修也をわかってくれる人がいる場所に修也の居場所を作ってあげたかったのかな、なんて。

どんなときもにこにこ笑ってたジョーが、最後の最後に、裕美子さんが死んじゃったら…って不安を口にするクリクリに対して、声を荒げる。すごく戸塚くんっぽい役だなぁと思った。

 

ジョーを演じてる戸塚くんは本当に楽しそうだった。

戸塚くんが演じる役ってどうしても陰がある役が多い。楽しそうなのに、寂しげに感じたり、嬉しそうなのに、悲しげに感じたり。そういう陰の部分を周りから押し付けられがち。(その気持ちはとてもわかる。)

ジョーには、陰の部分が限りなく少なくて、ただ明るくて熱くていいやつで、馬鹿だった。

戸塚くんは戸塚くんなりにもうちょっと考えていたのかもしれないけど、私にはその明るい部分がすごく輝いていて、新鮮で素直な気持ちで見ることが出来た。

Change Your Mindのジョーは最高に楽しそうで、サポーターズのジョー(というか戸塚くん)は最高に力強くて、そのパワーだけですごく幸せな気持ちになれた。

 

今回のお話について、個人的に一回で終わらせるのとても勿体無いと思っている。一つの応援は終わったけど、まだまだたくさん他の応援を見てみたいという気持ちが強い。勿体無い!続きが書きたい!と思うほど魅力的。

そんなキャラクターを生み出してくれ、全編通して心に響く音楽を作ってくださった西寺郷太さんと、さすがと思わせる演出をしてくださった錦織さん、キャストやスタッフの皆さんに感謝。

たぶん、私にとって、大事な思い出になる。宝箱にしまって時々取り出して眺めたい。

楽しかった!ありがとう!からの全身全霊!