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Beautiful Glider〜伝打伝助をめぐる物語〜

みなさん、こんにちは。考察厨です。

二月も終わりますね。明日は、大荒れとなるようです。もう春が近いですね。交通機関の乱れが予想されますので、明日の朝は十分にお気をつけて出勤・登校ください。

 

本日のお題

戸塚くんが、公式サイトジャニーズウェブで連載していた「伝打伝助」について

 

***

 

インターネット文化として「個人サイト」出の私や友人は、伝打伝助(以下、伝伝)をどうしても個人サイトの連載のように感じており、よくそのように揶揄をしていたのだが、2018.2.27の時点になり、これは本当に個人サイトの連載だったのかもしれない、と衝撃を受けた。しかも、周到に準備された。

正直、戸塚くんの才能が妬ましい。

いつから、こんなことを考えていたんだ!こんな幕引きを考えていたんだ!おい!戸塚祥太!好きだ!ばか!!!!

 

2018.2.26

伝伝にて、伝打伝助の遺作として『炸裂する意志の躍動』の一文が更新される。みんなざわついた。「遺作」って、どういうことだ。いつ亡くなったんだ。少なくとも年始の時点で、伝助はバルセロナにおり、その記事を2018.2.23に投稿している。そこから2018.2.26までの間だろうか。たしかにそこからは、語り手が伝助であるという確信が持てる記事はなかった。

 

2018.2.27

伝伝にて、2016.11.13に書かれた伝助の手記が公開される。そこで知らされる事実に、またざわついた。なんと、2016.11.13から伝伝は戸塚祥太の手によって更新されていた。なんだよ、まじかよ。正直、しんどい。自担、しんどい。何やってくれてんだ。手記として公開された記事を読む限り、この終幕は2016.11.13には決められていたということになるのか?

まじか。約一年半、戸塚くんはこの日に向けて伝打伝助の物語を語り続けていたこととなる。空恐ろしい。最終日が今日になることを戸塚くんがいつ知ったのかはわからないが、それがいつになろうともこうやって幕を引くことは決めていたのだろう。伝伝での語り手は、時に伝打伝助で、時に戸塚祥太だった。それが意図的に行われていたと思うと、ぞっとする。まさか叙述トリックだとは思わなかった。これが単行本だったら2016.11.13までページを遡るだろう。実際、伝伝の更新後、ファンは挙って自分の画像フォルダ等を遡った。

伝伝の更新から数時間後、グループ連載えびブロの戸塚くんのページを更新。R.I.P(Requiescat in pace:安らかに眠れ)という言葉と共に、伝打伝助のバイオグラフィーが公開される。

伝打伝助、1970年7月30日〜2018年2月28日。

命日は、明日だ。添えられていたBUMP OF CHICKENの2010年の楽曲名。これは、おそらく戸塚くんが伝助に贈った曲だろう。ちなみに、『R.I.P』もBUMP OF CHICKENの楽曲で、伝助に贈られた曲と同じアルバムに収録されている。伊坂幸太郎の小説とBUMP OF CHICKENの楽曲は戸塚担の必修科目とされるべきだ。

そのまた数時間後、生放送のラジオにてお当番の戸塚くんのリクエスト曲で、上記のBUMP OF CHICKENの楽曲『Beautiful Glider』がデビュー前に聴いていた曲として紹介される。

徹底してる。こわい。正直、しんどい。

 

2018.2.27

 

***

 

さて、ここからは2018.2.28の伝伝更新後に記したものとなる。2018.2.27現在、ここに何が記されるのかまだ想像できない。オラ、ワクワクすっぞ!(by孫●空)

では、どうぞ。

 

2018.2.28

昼休みだ。私は、緑のマークのコーヒーショップで震える手を叱咤してこの文章を書いている。読み始めると涙が出たが、最後まで読むと涙は出ていなかった。それは、私たちが薄々感づいていたことだった。だが、それを文字にされると心が抉られた。

しのごの言わず、今すぐ読んでほしい。たった数時間しか、この文章はこの世界に存在しない。儚くて、最高に美しい文章だ!

ここに、伝打伝助はいました。そして、戸塚祥太がいます。

生きづらさを感じている全ての人に、ふたりからのメッセージがあります。

 

2018.2.28 13:15

 

(2018.3.1 0:34追記、1:07修正)

2018.2.28 21:04

惜しまれつつそのページは閉じられた。*1

彼らの言葉をここに残しておくか最後まで悩み、一度は残そうとしたが、やはりやめておこうと思う。伝打伝助が生涯をかけて見つけ、戸塚くんの中にいま生きている言葉は、我々の心の中にそっとしまわれた。春を前にした太陽のように優しく温かく美しく輝いている、力強く、希望に満ちたこの記憶を、言葉を、忘れずにいよう。

 

R.I.P denda densuke

私たちの愛しい彼の片割れ

 

***

 

また時間は戻って、2018.2.27。

私はずっと『Beautiful Glider』を聴いている。戸塚くんにとっての伝助はこの曲で歌われる「あなた」なのだろう。

『Beautiful Glider』に関しては、この記事の解釈が私の気持ちを全て代弁してくれているので、ぜひ読んで欲しい。

http://insider.10bace.com/2017/08/09

 

これまで「やりたい事に似た逆の事」をしていた伝助が「飛び出した」、2016.11.13。当時の手記で「自分の人生を生きるため」と伝助も語っている。

そんな彼が最後に書いていたのが『炸裂する意志の躍動』だというのが、趣深い。引用された本文の「きみ」は、伝助にとっては戸塚くんであろうし、戸塚くんにとっては過去の自分であろう。(たぶんダブルミーニングだ。)『Beauiful Glider』の「憧れた景色とはいつでも会える 思い出せば」ともリンクする。

『炸裂する意志の躍動』と『Dolphin』の歌詞はリンクしている。これまた趣深い。「輝きが褪せない」にアクセスしたい時には振り返らずにただ愚かにダイブする『炸裂する意志の躍動』と、振り返らず急ぎ足にならずただ愚かに今を燃やしていく『Dolphin』。戸塚くんにとっては、ダイブする=今を燃やすことなのだ。愚かに今を生きることが、戸塚くんが、過去の自分と、「憧れた景色」と、会う方法なんだ。それは、2016.11.13の伝伝で語られた「1999年の横浜アリーナ」のそれなのかもしれない。

伝助は戸塚くんの愚かな生き方に影響を受けたと記していたが、戸塚くんも伝助に影響を受けている。伝助は戸塚くんの心の中にいる自分ではないもう一人の自分で、自分を肯定するための存在で、追い掛けるべき存在で。その伝助が亡くなるというのは、戸塚くんが戸塚くんとして一人で生きていくことを決意したということなのかもしれない、とも思うし、それができるようになったのかもしれない、とも思う。最終日の更新を見ていないため、今はまだわからないが。

(2018.2.28追記)

この部分は修正せずに残しておくこととする。私は、こう解釈している。

(追記終わり)

(2018.3.2 8:25 追記)

2018.2.27のえびブロで、過去から未来の記述をしていることを鑑みても、やはり伝打伝助を殺したのは戸塚祥太であろう。「殺した」というよりは、「その存在と自分の存在を一つにした」というのが私の考えである。だから、寂しくはない。私たちはいつでも、彼の中に在る伝打伝助に会うことができる。

(追記終わり)

 

ところで、デビュー前に『Beauiful Glider』を聴いていた戸塚くんの気持ちを想像すると涙が止まらなくなる。必死だったんだろう。自分が「選んでいくしかなかった」道が正しいと思いたくて、思うしかなくて。デビューすることを知っていても、知らなくても、怖い。これは、私の想像だが。

今、こうして私たちの前に戸塚くんがいる奇跡が愛しく、かけがえないものだと、改めて思う。

 

2018.2.27

 

***

 

もう何度も言ってきたことではあるが、私が戸塚担をやっていくうえでの魔法の言葉「戸塚くんの行動には絶対意味がある」をまたこうして実感できたことがとても嬉しい。最初は、戸塚くんの行動や、それを批判するだれかの言葉に惑わされないために、私が自分自身にかけた魔法のつもりだったが、今となっては実は戸塚くんの魔法にかかっていたのかもしれないと感じている。

戸塚くんの言葉に触れていると時々、構造式が見えることがあるんだ。一つ一つの行動や言葉が原子と原子が繋がって分子になるみたいにちゃんと繋がっている。発露している言葉が少なかった頃は、繋がっている言葉が見えないため行動が独特に感じられたり、あるいはその行動にすら気づかなかったり、また言葉自体の少なさから、彼がとても不安定に見えていたこともあった。だが、今はもう安定してる。他の何にも引っ張られることはないんだろうと思う。戸塚くんの言葉はずっと前から戸塚くんの中にあったものなのだろう。今までその時々で言葉にならなかったものがあるとしたら、それはまだ彼の中で言葉にするタイミングではなかったのだろう。きっと、彼自身の変化によって、秘められていたそれが言葉にして良いものとなり、繋がっているそれらが発露したからこそ、今の戸塚くんはとっても安定しているように見えるのだと思う。もちろん、戸塚くんが私たちに見せている行動や言葉がすべてだとは思わないが、これが私が見ることができる戸塚くんであるからして、私のなかではこれが正解なのだ。他人からしたら何言ってんだと思うこともあるだろう。押し付けに感じることもあるだろう。解釈違いはもちろん認める。私が、こういった想像や考察が大好きで、それらによって自担の美しいところを切り取ろうとしているめんどくさいファンだということは私自身が一番知っている。だが、やめるつもりはまったくもってない。これが、私の愚かな生き方だ!ドドン!

ところで、私は戸塚くんはすごく強運な人だと思っているのだが、今回改めてそう思った。いつからこの幕引きを思いついていたのかは知る由もないが、こうやって長い長い伝打伝助と戸塚祥太の物語をとても美しい形で終えることができた戸塚祥太の運はすごい。このタイミングでラジオの生放送があり、しかも自分がお当番で伏線を回収する機会を得られるなんて。戸塚祥太は、本当に神様に愛されている人間なんだ。それを引き寄せることができる人間なんだ。自担、すごい。(とんでもない自担アゲだが、今日は許して欲しい。)

戸塚くん、本当にお疲れさま。すべては戸塚くんが語ってくれたから、今日は湿っぽいことは言わずにいよう。ただ、ひとつ。こんな大作を世に送り出してくれてありがとう。おかげでとてもわくわくする時間を過ごせたよ。こんなふうに戸塚祥太の筆力を見せつけられたら、2018.3.31に発売される『ジョーダンバットが鳴っている』の単行本に収録される戸塚くんの書き下ろし小説が楽しみで仕方なくなる。はい、青字部分はテストにでます。

本当に自担、すごい!世界中に自慢したい!緑のマークのコーヒーショップに座ってる人全員に今すぐ私のスマホの画面を見せつけたい!

全米が泣いた!伝打伝助(本名:ダーリン・ダーリン)と戸塚祥太による感動大作『伝打伝助』

2018.2.28 これにて終幕!!!!ドドン!!

*1:そこには、伝打伝助から伝打フリークに贈る最期のメッセージが記されていた。それは彼の暗く長い闘いと救済の物語だった。