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「僕」の三年間~戸塚くん三十一歳誕生日に寄せる三部作考察~

戸塚祥太くん、三十一歳のお誕生日おめでとうございます。

わー、はやーい!昨日、三十歳の誕生日を祝うためにブログを書いた気がするのに!!一年ってあっという間だね! 

というわけで、とにかく言葉にしないと気が済まない人間なので、誕生日には今年もブログを書くと決めていて、今年は何を書こうかなぁと夏ぐらいから考えていました。気が早すぎです。なんとなく方向性は決まっていて、こうしよう・ああしようとは思っていたもののうまくまとまらなかったのですが、夏以降、伝伝やとつブロで戸塚くんが発信してくれる言葉の変化に触れて、やっぱり今年は戸塚くんの言葉を題材にしてブログ書こうと決めました。 それと同時に、アルバムのリリースとそれに伴う戸塚くんの三部作発言から、ここ三年間のソロ曲の変遷についてまとめておきたいなぁという思いがありました。

なら、書いちゃえばいいんじゃない?歌詞も言葉だよ!というわけで、今年は、ソロ曲の歌詞から見る戸塚くんの言葉と変化についてブログを書こうと思います。

書き終えると、一万字オーバーの大作になっていました。大学時代に書いたどのレポートよりも真剣に取り組みました。

 

 

1.はじめに

「ドラマ」、「V」、「Dolphin」。

2015年発売のA.B.Sea Market、2016年発売のABC STAR LINE、そして、2017年発売の5 Performer-Z、A.B.C-Zの三つのオリジナルに収められている戸塚くんのソロ曲です。

この三曲はとてもよく似たテイストの曲で、一言でいえば、「戸塚くんらしい」曲でした。

三曲とも作詞は戸塚くん。A.B.C-Zの曲に詞を書くことも、自身のソロ曲に詞を書くことも多い戸塚くんですが、この三曲は、本当に戸塚くんらしいというか、戸塚くんが戸塚くんで在ることの証明のような曲たちだったと思います。 どの曲も好きな曲でありながら、その繋がりについてあまり深く考えることはなかったのですが、詞のテーマや重複する言葉に連続性を感じる部分もあり、戸塚くんの中でこの三曲をこの順番で書いたことは意味があることなのかなぁと思っていました。

そんな中、2017年6月のTVガイドでDolphinを解説する際に「ドラマ」「V」を三部作と言ったということを聞いて、あぁやっぱりと思いました。そんな興味深い情報を与えられて深読みオバケがじっとしていられるわけもなく、この三曲を共通する登場人物「僕」の変化という視点で考えてみようと思い立ち、書き始めたのがこの記事です。

本人不在で考察をすること自体がナンセンスかもしれませんが、主観満載の趣味のブログとして生温かい目で見守っていただければと思います。 歌詞についてはここに全文を載せられないので、歌詞カードなり歌詞サイトを見ていただければと思います。

 

2-1.物語の登場人物

では、ここから三曲について、いくつかの観点から考察をしていきたいと思います。

まずは、「僕」以外の登場人物を見ていきます。

「君」は三曲に登場するものの、これはそれぞれ別の人物を指しているように感じます。

「ドラマ」の「君」は、「人間」という概念。それは、あなたであるかもしれないし、あなたの隣人かもしれない。戸塚くんが「ドラマ」について解説した中で「みんなにドラマがある。」と話していたこともあり、そんな風に解釈しています。フレキシブルなニュアンスを含んでいるので、この「君」=ファンとするのもあながち間違いではないと思います。

「V」の「君」は、メンバーを指しています。これについてはわかりやすいので割愛。

「Dolphin」の「君」は、二箇所で登場します。 「僕の心は君の形しているから」 「君は魔法 イリュージョン」。こちらは、それぞれ次の連で登場する「並走する戦友たち」「追走する才能たち」へかかるのではないでしょうか。

各曲のみに登場する人物として、「V」に登場する「僕等」は「A.B.C-Z」そして「応援してくれているファンのみんな」を、「Dolphin」の「先人たち」「並走する戦友たち」「追走する才能たち」は、それぞれ「先輩」「同期(恐らくメンバーや同じ時代を駆け抜けた仲間たちというニュアンスを含んでいる)」「後輩」を指しています。

「V」と「Dolphin」は歌詞に登場する人物がとても明確で、彼らと自分自身に宛てたメッセージだと推測できますが、逆に「ドラマ」はベクトルの先にそこまで明確な人物が存在していない分、「僕」の内側に向けられているようにも感じられます。「自分なりの人間讃歌を書いたつもりでした」というSongsのテキストの通り、不特定多数の「人間」に宛てられたメッセージなのではないでしょうか。

そう言った点から、「ドラマ」に登場する人物は「僕」のみと考えることも出来ると思います。「V」では、そこに「君」と「僕等」というようにメンバーが加わり、「Dolphin」では「先人」「戦友」「才能」と先輩、同期、後輩が加わりました。登場する人の数だけでもどんどん増えています。

発表年の時系列に沿って登場人物が増えることから、「僕」の視野が段々と広がっているような印象を受けます。

 

2-2.向かう場所

次に、三曲の中に描かれている方向と動作に注目してみたいと思います。

三曲ともに、「〜へ」「〜に」という方向を表す言葉を伴って、「僕」もしくは「僕」を含む登場人物の動作を表すフレーズがあります。ここに挙げる動作は、実際の動きではないものの、「僕」がどう在りたい・どうしたいという意志や願いを含んでおり物語の中でとても重要な働きをする言葉だと思っています。

「ドラマ」では「空」「知ってた方角」「君」に(へ)「放す」、「散らす」、「届ける」。

「V」では「前」「向こう」に(へ)「進む」。(「向こうへ」の後は「進もう」が省略されています。)

「Dolphin」では「約束した場所」に「向かう」。(もう一箇所「真ん中」に「飛び込む」もありますが、こちらは「僕」が動作の主体ではなく「追走する才能たち」へ贈る言葉のため割愛します。)

 「ドラマ」では、「空」「知ってた方角」という言葉が出てきますが、これは「君」に帰結するものではないかと考えています。「空」は単純に空という意味より、「夢希望 憧れを 幾重にも 詰め込んだ 風船」を「放つ」という動作からも読み取れるように自分の内側にあるものを外側に向けて開放していくイメージなのではないかと思います。その外側の象徴が「空」。また「知ってた方角」という言葉については、私は「君」がいる方であると考えています。「僕」はその方角を認識していると考えると、例えば自分が来た道か行く先か、目的とする場所か、もしくはそこに居る人を認識しているかどれかかなと想像しました。その中でも、「君」に「届いたら」という歌詞が続くことから、「君」がいる方角と考えました。

「V」は、動作の主体が「僕等」つまりは仲間(A.B.C-Z)(そして、ファン)だと考えられます。動作は「前」「向こう」へ「進む」と明確。「ドラマ」のやや抽象的で精神的な動作から、前進するという具体的で肉体的な動作へと変化しました。(本当に肉体的に「進む」ということを表しているわけではありませんが。)戸塚くん自身が語っていたことですが、「V」はとても不安な時に、その不安を打ち消すために書いた曲だそうです。そういった思いから、とにかく「前」へ「進む」という動作に繋がったのかなと思いました。

「Dolphin」では、「指切りした場所」へ「向かう」。「V」と同様に動作としては前進ですが、目的地は「指切りした場所」と具体的な場所が提示されました。指切りしたのは「並走する戦友たち」と、でしょう。詳細は明かされないものの、具体的な場所が出てきました。「V」では、不安を消すためというある種消極的な考えに基づき、とにかく「前」へと進んでいました。しかし、この曲では具体的な場所がセットされたことから、「僕」の中でこれからの自分や自分たちがどうありたいというイメージが明確になってきたのかもしれないなと思いました。(そのイメージはずっと昔からあって、改めて認識したのかもしれないですが。)

外に向けて自分の内側に在るものを外に向けて発信していこうとしていた「ドラマ」から、進むべき方向に向かって足を進めようと望んだ「V」。そして、目的地が設定された「Dolphin」。意図しているのかどうか・本意であるかどうかは別として、三部作の最後で「僕」の行動・目的地ともに具体的に語られたのは、とても興味深く感じています。

 

2-3.自己肯定と意志の力

初めて「ドラマ」を聞いた時、(なんだか辛気臭いことを言ってるなぁ)と思いました。翌年、「V」を聞いて、(おっ、また辛気臭いこと言ってるぞ)と思いました。ところが今年、「Dolphin」を聞いた瞬間、(あれっ?!辛気臭くない!)と驚いたんです。そういった印象を受けたのは、歌い出しが肯定的だからかもしれません。

三曲の歌い出しを「ドラマ」「V」「Dolphin」の順でそれぞれ下記に引用します。

「どうせ 僕 なんてまぁ」 ハート凍っていて

眼差しは鈍ってる ウソのような今日

みっともないスピードで ただ漂っているよ

同じ時を歩きすぎたから

伝えること怠っていたかな

お互い様 分かってる自分だけ

傷付いた 素振りはナシだって

この未知に出て5年

揉まれ吹かれ砕かれて磨かれた心

羅針盤はない走り方は心得ず

足りない項目埋めた心

「ドラマ」と「V」の歌い出しで描かれているのは、「僕」の過去の自分に対する後悔や現在の自分に対する焦燥だと思います。もちろん、曲が進んでいくうちにその感情は打ち消され、前向きにストーリーは進んでいきますが、スタート地点では前述の後悔や焦燥というマイナスの感情が存在していると思います。

打って変わって「Dolphin」ではいきなり「僕」の自己肯定から始まります。「走り方は心得ず」というフレーズからもわかるように、全面的な自己肯定ではありません。ただその後に続く「足りない項目埋めた心」というように欠けている部分を埋めながら・補いながら、現在を生きている自分を認めているように感じられます。後悔や焦燥といった感情が消えたわけではないと思いますが、それが顕著に表出することはなくなりました。この結果、「Doiphin」が持つメッセージは後ろを振り返らず、ただ前へ前へと進んでいくようなシンプルで力強いメッセージとなっています。この変化を生み出したのはは、平たくいうと「人間としての成長」なのかなと思います。

また、「Dolphin」のメッセージの力強さの源になっているのは、誰かに対する期待を含んでいないということも関係があるのではないかと思います。

「ドラマ」の「届いたら」「見ていたら」や、「V」の「手を繋いでいてよ」といったフレーズは、どちらも「君」に対する期待を含んでいます。それが悪いわけではないですが、どことなく最終的な決定権を誰かに委ねている印象があり、前述の自分に対するマイナスの感情を含むフレーズとも相俟ってやや他力本願な印象を受けます。

それを否定するつもりは全くありません。むしろ、「V」の「手を繋いでいてよ」というフレーズは、戸塚くんらしい言葉だなと思いますし、選択権を残すという戸塚くんの優しさを感じてすごく好きな歌詞です。これはこれで味があって好きですが、こういった人に頼るニュアンスを含む言葉が登場しないことが「Dolphin」の力強さの源泉となっていると思います。

「Dolphin」では寧ろ、「楽しんでいこうぜ」と自分の意志を強調していますし、「飛び込めよ」と相手に念を押すようなニュアンスを含んだ言葉が見受けられ、誰かに何かを委ねるのでなく、「僕」自身の意志で進んでいこうとする思いや、もう一歩前に進んで、自分から誰かに働きかけていこうとする力強さが感じられます。

 

2-4.「バトン」と「炎」

ここまで三曲について考察してきましたが、最後は「ドラマ」と「Dolphin」の二作に注目してみたいと思います。

三部作の中でも「ドラマ」と「Dolphin」は呼応する要素が強いと思います。 「青」のイメージを持つ言葉が散りばめられていることや「空」と「海」という対になるイメージを持っていることもありますが、私がこの二曲が対だと思う理由は、「バトン」と「炎」いう共通の言葉を持っていること。

「ドラマ」に登場する「バトン」は「ドラマ」の曲中では誰から受け取ったものかを語られることはありませんでした。しかし、「Dolphin」の曲中でその「バトン」が「先人たち」から受け取ったものだと語られます。

作り物 事実無根 知ったことか 受け取ったバトン一つ 握りしめただけ

これは「ドラマ」の歌詞ですが、「僕」が自分を奮い立たせようとする時には、先輩からもらった言葉や彼らの考えや行動そして実績から学んだことを思い浮かべていたのかなと思います。「僕」を形作っているものの一つにはそのバトンに込められた先人たちの意志があるのでしょう。

一方で、「ドラマ」には「僕」自身の意志を表す言葉も存在します。

磔にしてた 好きの炎 身にまとい 戦うよ

この表現、とてもいいなぁと思います。手放して、縛り付けて、無かったものにしようとしていた「好き」という気持ちを取り戻して進んでいくといったドラマチックで強い決意が込められたフレーズだと思います。これこそまさに「自分の意志」ではないでしょうか。

「ドラマ」で灯した「炎」は「Dolphin」にも登場します。「今炎を」「青い青い炎を」の二箇所です。後に省略されているのは「燃やしていく」でしょう。これも「ドラマ」にも登場するフレーズです。

私は、「ドラマ」という曲はスタート地点に立つまでを描いた曲だと思っています「どうせ僕 なんてまぁ」という自分に対する否定から始まり、「もう今が さあ今が来ている」とマインドセットし、「好き」という自分の意志の力を信じようと決意し、スタート地点に立つまでの曲。

対する「Dolphin」は、台詞部分にある「意志の輝きは消えない」「振り返らず 急ぎ足にならず ただ愚かに今を燃やしていく」という意志と自分の行動を信じるようなフレーズからも推測できるように、自分の意志の力を信じ走り続けている中で、その重要性を再認識し、過去も含めて自分が走ってきた道が間違いではなかったと確信する曲とも捉えられます。

先輩から受け継いだバトンに込められた意志を胸に置きながら、掲げた自分の意志の力を信じ走り続けた「今」を描いている「Dolphin」は、ある意味で「ドラマ」のアンサーソングのようにも感じられます。

 

2-5.まとめ(「僕」の変化)

ここまで、2015年から2017年に発表された戸塚くんのソロ三部作の登場人物「僕」について、私が変化したなぁと感じたことを書いてきました。前項までの内容をまとめます。

  • 「ドラマ」、「V」、「Dolphin」の順で登場人物が増えていく。→「僕」の視野の広がりが感じられる。(2-1.物語の登場人物)
  • 「ドラマ」では自分の内側にあるものを外に向けて開放するイメージが描かれている。「V」、「Dolphin」では前へ進むという共通の動作が描かれているが、向かう場所は「Dolphin」の方が明確になっている。→「僕」の行動・向かう目的地ともにより具体的になっている。(2-2.向かう場所)
  • 「ドラマ」「V」では過去の自分に対する後悔や現在の自分に対する焦燥といった自己否定から物語がスタートしているが、「Dolphin」では全面的ではないものの自己肯定から物語がスタートしている。→「僕」の「人間としての成長」が感じられる。(2-3.自己肯定と意志の力)
  • 「ドラマ」「V」には誰かに対する期待が含まれていたが、「Dolphin」では含まれていない。→誰かに何かを委ねるのでなく、自分の意志で進んでいこうとする思いや、もう一歩前に進んで、自分から誰かに働きかけていこうとする「僕」の力強い変化が感じられる。(2-3.自己肯定と意志の力)
  • 「ドラマ」と「Dolphin」に共通する「バトン」「炎」という言葉とその発展。→「受け継いだ意志」そして「自分の意志」を胸に走り続けるという決意が間違いでは無かったと、「僕」は確信できたのではないか。(2-4.「バトン」と「炎」)

各項から推測される「僕」の変化を時系列でまとめてみました。縦棒(|)は考え方や行動の転換が見られた地点、矢印は転換ではなく進化や発展を表しています。

◆2-1

ドラマ→V→Dolphin

◆2-2

ドラマ|V→Dolphin

◆2-3

ドラマ、V|Dolphin

◆2-4

ドラマ→Dolphin

この内容からも三曲は発表された順に時系列で展開されていると考えられます。縦棒が引かれているのは「ドラマ」と「V」「Dolphin」の間(2-2)と「ドラマ」「V」と「Dolphin」の間(2-3)です。

2-2では、「僕」を主体とした動作と方向で「僕」どう在りたいという望みが描かれていると解釈すると、前に進みたいという気持ちを持っていたという点で「V」と「Dolphin」は同じであったと考えられます。

一方、2-3の自己肯定感や能動性という点では「V」は「ドラマ」と同じ域にあることから、前へ進むことを望むもののまだ「僕」自身の行動や在り方に自信は持てていなかったのではないかと推測されます。そういった点から、「V」に描かれる「僕」は「不安」や「焦り」という感情を抱えていると考えられ、不安に駆られてこの曲を作ったという戸塚くんの心情にも一致しているのではないかと思います。

「V」と「Dolphin」には「振り返らず」という言葉が共通して登場しますが、「Dolphin」ではその後に「急ぎ足にならず」という言葉が添えられています。「不安」や「焦り」を抱えていた「V」から自己肯定感が強くなった「Dolphin」という変化が感じられます。

「僕」を変えたのは、きっと自信に裏付けられた自己肯定感でしょう。自分や自分を取り巻く環境に思いを馳せ、学び、感謝し、意志を受け継ぎながら、「僕」自身のこうで在りたいという強い意志を持って前へ進み続けたことが、きっと彼を成長させ、「Dolphin」で歌われたような力強いメッセージを発せられるようにしたのだと思います。

 

3.戸塚くんの変化

ここまで三曲に登場する「僕」の変化を見てきました。

恐らく皆さんが思っていることだと思いますが、この「僕」は、イコール戸塚くんではないものの、ニアリーイコール戸塚くんでしょう。ぼんやりとそう思っていましたが、2017年9月17日に更新された伝打伝助を読み、やっぱり「僕」は戸塚くんだよね、と強く思いました。

少しだけ戸塚くんの言葉を借ります。

なんだかいつも過去と未来に生きていた気がする。

(中略)

1番大切な「今」をしっかり生きることができていなかった瞬間が僕の人生には多かった気がする。

だから、すごく緊張してた気がする。

(中略)

誰にも何にも自分を縛ることはできない。ってことは知っていたけど、それを少しずつ体現して実感できるようになってきている気がする。

この文章を読んだ時、「ドラマ」と「V」で「過去」を後悔したり「未来」に対する不安に駆られ焦ったりしている「僕」が、戸塚くんと重なりました。ベースにあるものを変えることなく「今」の自分を信じて前を向いていく「Doiphin」の「僕」が重なりました。

まだ「Dolphin」の「僕」と同じ感覚ではないかもしれません。でも、最近の戸塚くんの言葉を見ていると何だかもうすぐ近いところまで進んでいるんだろうなと思います。

今夏のツアーで、「Dolphin」を聴いて、その力強いメッセージをのびのびと歌う姿に魅せられました。ついつい心配してしまう私ですが、もうあんまり心配しなくていいかなと思えるほどに。

この三年間、映画に出たり、連続ドラマにレギュラー出演したり、外部舞台で今までになく難しい役どころを演じたり、A.B.C-Zのコンサートの構成を手掛けてみたり。戸塚くんはたくさんの経験をして、それを通して成功体験を得てきたのだと思います。もしかしたら、百点満点の出来ではなかったかも知れないですが、それが「できた」ことは、戸塚くんにとってすごくいい経験だったのではないでしょうか。

そして、A.B.C-Zとして無事に五周年を迎えられたこと。想像していた五周年ではなかったかもしれないし、想像していた通りだったかもしれない。それは戸塚くんや彼らにしかわかりませんが、少なくともとてもいい雰囲気で五周年を迎えることが出来たように私の目には映りました。

そんな経験や現在の戸塚くんを取り巻く環境が「今」の戸塚くんに繋がっているのかなと思います。

 

4.届くことのないラブレター 〜三十一歳の戸塚くんへ

ラブレターを書いてみたいと思いました。手紙が好きで、しょっちゅう戸塚くんにも手紙を書いている私ですが、戸塚くんへ手紙を書く時、心に決めていることがあります。「好き」は、絶対書かない。だから、今まで一度も書いたことがありません。私の中の強いこだわりが、ファンレターに踊る「好き」の文字を許さなかったから。

でも、せっかくだから、今日はラブレターを書いてみたいと思います。いつも同じ熱量を持ち続けることはできないから、きっと、来年の今日を私は同じ気持ちで迎えられないと思います。だから、私の「今」を残しておきたいと思います。以下、スーパーポエムタイムです。

 

ファンになった当時、戸塚くんって自分のことをたくさん話す人だなぁと思っていました。しかも、飾り立てるわけではなく、かっこ悪いところもそのまま書いてしまう。なんだか言葉にすることで、「戸塚祥太」という存在を固定化させようとしているみたいだなぁと思っていました。その印象は今もあまり変わっていません。戸塚くんにとって、自分が自分であることはとても重要なことなんだと思います。折に触れて、自分を私たちに教えてくれる戸塚くん。思っていることをブログに書くことをよくないところだと雑誌(POTATO 2017.12月号)で話していたけれど、私は、出来ればそのままでいて欲しいなぁと思っています。戸塚くんの綴る言葉に「今」の「戸塚祥太」という存在を見つけられた時、たまらなく嬉しくなるから。そして、もう一つ。私は、戸塚くんの言葉にたくさん助けられているから。本当の理由はこっちかもしれません。

10月24日のとつブロで、戸塚くんの「ナンバーワンになりたい」という言葉を見て、私はすごく勇気づけられました。

私は、一番であることの重要性みたいなものをあまり意識していません。寧ろ、その思いに囚われるのはかっこ悪いことだと思っていました。それは、私自身に一番になりたくて必死に努力した時期があったから。でも、一番になれなかった。そうするとなんだか、一番になりたいという気持ちが無駄だった気がして、もうそういうことを考えたくないと思ってしまったからだと思います。

でも、戸塚くんの「ナンバーワンになりたい」が、内側から溢れ出す仕事に対する情熱に後押しされて出てきた言葉だと知った時、一番になりたいって本当はそういう感情なんだなぁと気付かされた気がしました。私はただ誰にも負けたくなくて一番になりたいと思っていたから、すごく苦しかったし、すごく辛かったんだなぁと思います。だから、戸塚くんみたいな気持ちで一番になりたいと思ってみたいなぁ!と思いました。あまり一番に拘っていなさそうな戸塚くんがそういう思いに駆られているからこそ、私は影響を受けたのだと思います。

これは最近あった具体例の一つです。私が戸塚くんを好きになってからの四年間、私にとって戸塚くんは常にそんな存在でした。共感する部分、とても多いです。でも、戸塚くんの言葉をきっかけにして、忘れていた気持ちを思い出したり、知らなかった気持ちを知る機会もたくさんありました。共感することが多いからこそ、そんな瞬間に出会った時、戸塚くんの考えや言葉が私の心にすんなりと入ってきて、伝播していったのだと思います。

尊敬、というとちょっと違うんです。なんだか少し悔しいし。

一番近いのはライバルかなと思います。幼い私が、男の子には絶対負けたくない、と思っていたその気持ちに近いのかもしれないです。反発しかなかったそれに、相手を認める気持ちが追加されたような。だから、戸塚くんが頑張ってるから私も頑張らなくちゃ!と鼓舞されます。(去年も同じことを書いていました。変わってない。)

私にとって人生の道標になった自担は櫻井翔くんで、彼はずっと追いかける存在だったけれど、なんだか戸塚くんは追い抜いたり追い抜かれたりしながら並んで走っているような存在です。そんなことを思いながら戸塚担をやっています。

 

昨年、戸塚くんが三十歳になった時、人生の岐路だなぁと思いました。しかし、戸塚くんが三十一歳になる今年は、何も怖いものなんてないじゃん!まだまだどこまででも行けるじゃん!といった無責任に明るくて楽天的な思考になっています。なんだか頼もしいよね、最近の戸塚くん。すごく伸び伸びと「今」を楽しんでいるよね。とてもポジティブなエネルギーが身体中に漲っているよね。そんな素敵なエネルギーが発せられるようになった理由の一つに、このブログで触れたような成功体験や変化が関係しているのかなぁとも思います。

来春には、ダ・ヴィンチで連載をしていた「ジョーダンバットが鳴っている」の書籍化も決まりました。私が戸塚くんを好きになるきっかけになったこの連載が本になることがとても嬉しく、誇らしいです。

戸塚くん、どんどん新たなステージへ進んでいくね。これからも色んなことを経験して、もっともっと人間として成長し、素敵になっていくのだと思います。私はきっと、そんな戸塚くんから刺激を受けて、負けるもんかと前へ進んでいくのだと思います。 

 

戸塚くんを好きになって本当に良かった。私はたくさんの人を勇気づけたり、助けることは出来ないけれど、せめて周りの人に対してはそういう存在になりたい。そして、戸塚くんみたいにきちんと感謝を伝えられる人になりたい。元々自分の中に在った気持ちではありましたが、戸塚くんを好きになってからますますそう思うようになりました。そして、人に興味を持つようになりました。戸塚担になるまで、戸塚くんがこんな人だって知らなかった。すごくもったいない。きっと、周りにいる人たちにももう少し興味を持って関わっていけば、もっと素敵なことたくさん知れるんだろうなと思いました。戸塚くんのファンになって、こんな素敵なことに気付かせてもらえたこと、とても感謝しています。

重い!!!重いよ!!!!重すぎるよ!!!!!!

担タレだよ!!!!!!!

戸塚くんが書いた歌詞に対して、辛気臭いこと言ってんなぁとか思ってごめんなさい。私も十二分に辛気臭い!

でも、これは本心。戸塚くんを好きということが、「今」の私にとっては、アイデンティティーの一つです。

 

改めて、戸塚祥太くん、お誕生日おめでとうございます。

戸塚くんが三十一歳の一年間を健やかに過ごせますように。笑顔がたくさん溢れる一年間でありますように。幸せな一年でありますように。実り多き一年でありますように。この世界が、戸塚くんにとって優しく素晴らしき世界でありますように。

「Dolphin」を聴いて、戸塚くんがとてもジャニーズが好きで、ジャニーズであることを誇りに思っていることを再認識できて本当に嬉しかったです。30歳の一年間、ジャニーズの、A.B.C-Zの、戸塚祥太でいてくれてありがとうございました!大好き!

これからもずっと応援しています。

 

 

***

 

 

あとがき

もう終わらないかもと心が折れて、本文を半分ぐらい書き終わった時点で、このあとがきを書いています。これを読んでる方がいるということは、私がブログを書き上げられたということ!!褒めて!!

最後の章を追加したら、想像以上に湿っぽくなりました。人のこんな話読んでも楽しくないだろうなぁと思いながらも、書いた。欲望に忠実。

心残りは出典の追加が間に合わなかったことです。撮ってあった写メとかスクショに頼っていたので……。この辺は後日追加できればいいなぁと思います。来年はもっと計画的にやります!来年も祝う気満々。なんとなく、来年も祝っている気がします。来年は同じ熱量で好きじゃないと思うとか言っておいて、同じ熱量で好きだったらどうしよう。こわい。

 

最後におまけとして、「私にとっての三部作」ということで、三曲の好きなところに触れておきたいと思います。本編に入れられなかったので、供養させて。

三曲とも曲調としてとても好きということもありますが、それぞれから感じる光のイメージが美しいと思います。

「ドラマ」は、夏の始めに朝露が東の空から顔を出した太陽の光を受けて揺れて輝くような小さくて繊細な光。それを腕いっぱいに抱えた戸塚くんが気持ち良さそうに歌っているイメージがあります。あとは「恋するヴァンパイア」が公開された年の曲でもあるので、あの映画の中のちょっとくすぐったくて眩い光のイメージもあるかも。

「V」は夕陽とスポットライトの光。この曲を聴いていると自分がステージに立って客席を見ているような気持ちになります。スポットライトの白い光が目に眩しい。ちょっとした寂しさは晩夏の夕暮れ空みたい。オレンジから紫にグラデーションを描く空の端っこで今にも沈もうとしている太陽が一際強い光を放っているようなイメージ。

「Dolphin」は真夏の海と空。青。船の上から目の前に広がる海!空!気持ちいい!晴れ晴れとしていて曇りがない。

……主観でしかない。

 

更におまけで好きなフレーズです。

■ドラマ

磔にしてた 好きの炎

身にまとい 戦うよ

2-4でも触れたフレーズですが、この歌詞を聴いた瞬間にとても胸が熱くなったことを覚えています。

戸塚くんには自分の好きなものを大事にして生きて欲しい。なりたい自分になって欲しい。当時の私はそんな風に考えていました。ファンになった時に、戸塚くんの好きなものへのこだわりがとてもかっこよく感じたし、それを貫き通すところがとても素敵だと思ったからです。

このフレーズを聴いた時に、戸塚くんは「好き」をずっと武器にして生きていくんだととても嬉しく思ったことを覚えています。

■V

華やか過ぎる舞台の上

華やかじゃない位置についた

笑って 泣いたね

あれは僕等の希望

エモさしかない。

デビューするまでの時間をどういう気持ちで過ごしたのかなと考えて、自分だったらと思うとぞっとするところがあります。充実した毎日を過ごしていたとは思いますが、それでも時間が過ぎていくことへの不安は大きかったのではないかなと思います。

それでも、その日々を「僕等の希望」だと捉えているところがとても好きです。

■Dolphin

I love you 今日 I need you 明日

今日を愛せる戸塚くんであることがとても嬉しい。明日を望む戸塚くんであることがとても嬉しい。それだけです。

 

三部作に関しては、本当に書きたくて書きたくて仕方ないテーマだったので、こうして形に出来てよかったです。

長ったらしい文章ですが、ここまでお付き合いいただいた方、いらっしゃいましたら本当にありがとうございました。