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アイドルが好きです。

時には昔の話しようか〜出発を振り返る日記〜

出発ってあの出発?

思いましたよね、あの出発です。なぜ今出発なのか。書きたかったからです。

三年前の話をします。ちょうど私が戸塚くんに担降りをした時の話です。

五周年ということで感傷的になっているのか色々と思い出すことが増えてきた中、この時の記憶はかなり鮮明に思い出すことが出来ました。でも、いつかは色褪せてしまうんだろうなぁと思ったので、今、ここに書いておきたいと思います。

このブログを始めた頃に出発の記事を書いていたのですが、疲れた時に全てをリセットしたくて消してしまったという経緯もあり、いつかまた書きたいなあと思っていました。だから、この機会に残しておきたいと思います。(それでも感想とか解釈はだいぶリリースされてしまったので、ただ私の思い出日記という感じです。)

鮮度が全くないので見ていない方にもわかるようにストーリーに触れたかったのですが、自分が書くとあまりにいい加減だったのでストーリーを知りたい方は「舞台 出発 ストーリー」でGoogle先生に聞いてみてください。無責任ですみません。

ざっくりいうと、父の蒸発をきっかけにした家族の成長物語です。戸塚くん演じる岡山家の長男:一郎と妻:明子、父:八太郎そして岡山家の家族とそこに関わるの人々が織りなす群像劇といったところでしょうか。

 

出発は、私にとってすごく思い出深い舞台です。

私が、戸塚くんに担降りしようと決心したのはこの作品の千秋楽のその日でした。

プレビュー、初日、巡業、千秋楽と観劇し、作品と戸塚くんが変わっていく様子を目の当たりにしました。その様子がすごく胸に響いて、この人をずーっと応援していけたらな、この人の成長を、変化を、見守っていけたらな、と思いました。 

 

雨の北千住

2014年7月9日。梅雨明け前の東京はこの日も雨でした。初めて足を踏み入れた北千住。初日を前にしたプレビュー公演です。

この日の会場の空気感は本当に独特で、今でも割と鮮明に覚えています。戸塚くんを好きになるまで、自担の個人舞台というものに縁がなかった私にとっては新鮮でした。でも、少し怖かった。

プレビューを観れたのは出発だけなのですが、他の舞台の時もソワソワピリピリしてたのでしょうか。それともそうじゃなかったんでしょうか。

開演の数分前、ざわめきが消えて、しんと静まり返る会場。まさに固唾を呑むという感じでした。

舞台中央のスクリーンに映し出されるオープニング映像に合わせて手拍子が起こります。(こういうのも初体験だったので、わぁ〜と一人テンションが上がってました。)

映像が終わり、ポスターの写真が映し出され、聴こえてくるアコースティックギターの音。歌うのは加藤登紀子さんの「時には昔の話を」。昭和感をとても感じました。

スクリーンの向こうから現れた戸塚くんは、すごくすごくすごくかっこよかった!!!!!!(ファン歴0年の感想なんてこんなもんです。)

トニトニには通い過ぎてもうちょっとで13月に行きそうになってたし、えび座も何回も見たけど、ステージの真ん中でピンスポを浴びてギターを弾き語る戸塚くんは凄まじくかっこよかった。昭和感溢れる衣装がまた戸塚くんに合ってて、わ〜〜、わ〜〜、と心の中でジタバタしていました。

ストーリーには追々触れていくとして、初見で思ったことは、「あ、戸塚くんって男の人だった!」でした。

もちろんかっこいいとは思っていたけど、出発を見るまではお顔の可愛さと全体的な雰囲気から、どうしても「かわいい」が先に立っていて、男性だなぁという感じがしなかったんです。でも、明子を演じる村川絵梨さんの隣に立つ戸塚くんを見た瞬間に、男を感じてびっくりしました。

わかりにくいと噂のつか作品に初めて触れ、頭の中がぐちゃぐちゃで、一体どういう話なのかこの時点では全く理解できていなかったように思います。でも、言葉では言い表せないパワーを感じて、なぜだか涙が止まりませんでした。

 

夏の京都

初日は京都、南座でした。プレビューの日とは打って変わって京都は暑かった。夏の京都に行くのは初めてで、じりじりと焼けるような暑さに辟易としました。

四日間の南座での公演は初日と翌日だけ観劇しました。本当は初日だけのつもりだったのだけど、見たくなって京都に発つ前日にチケットを譲っていただいたことを覚えています。

南座に行くのは初めてでしたが、とても歴史ある建物で感動しました。祇園祭宵山が近い京都の街。終演後、鴨川の納涼床を横目に四条通りを歩くと夏の夜の空気が気持ちよかった。

私が出発の中で好きだったシーンの一つに、出て行こうとする明子を止めるために戸塚くん演じる一郎がスーパーマンを演じるシーンがあります。

母に捨てられて父と二人きりで過ごしてきた明子は、母というものを知らずに母になることに恐怖を感じているし、もっといえばぬくもり溢れる岡山家の中に居る自分を信じられていないようでした。居心地が悪いわけではないけど、その中に居ていいのかなと思い続けている感じ。幸せな時ほど、それが現実なのかわからなくなるし、そこに自分なんかがいていいのかなと思うこと、あるよね。ある、わかる。幸せの中に孤独を感じてしまうと、とても寂しくてどうしようもない気持ちになります。明子はきっとそんな孤独とずっと付き合ってきたんだろうなと思います。

一郎は亭主関白というか、古典的な夫像を絵に描いたような人物で、口は悪いし手は上げるし、女は黙って男の後をついてこい!みたいなキャラクターではあるものの、色んなところに優しさが散りばめられているキャラクターでした。そして、すごく責任感が強いキャラクター。当たり前のことなのかもしれないけど、常に長男であろうとしている。だから、父がいなくなった家族を支えようと懸命に奔走していました。

このシーンの前のシーンで弟である六助をツテを頼って就職させてやり、六助は恋人のみどりと二人で沖縄に旅立っていきます。家で燻っていた弟をやっと送り出してホッとしたのに、今度は明子が出て行こうとする。

岡山家の家族が立派なのに自分なんて……と自分を卑下する明子に対して、そんなことないと伝えたくて、なぜか自分がスーパーマンだという一郎。(弟の六助がオオサンショウウオという小ネタを受けて、弟はオオサンショウウオ、自分はスーパーマンという寄せ集めの家族だから、明子が入り込む余地があり過ぎることをアピールしたもの)着ていたシャツを脱ぐと、あのスーツの模様が描かれたTシャツが。

ふるさとがないという明子に、自分がふるさとになってやると告げるも、なおも出て行こうとする明子を引き止めるために必死に道化を演じます。泣いてる明子を、なんとか笑わせようとする一郎はすごく健気で優しくてかっこ良かった。それでも泣き止まない明子に対して、笑顔を守れなかったから星に帰ると行って飛ぶ真似をするんです。

真似なの。真似なんですけど、本当に何度も何度もジャンプして、もちろん飛べるわけなんてないから、何度も何度も失敗して転んで、汗だくになりながらヘトヘトになっても飛び続ける。「飛べるんだ」「飛ぶんだ」って、悲痛な程懸命に。

ちょうどこの頃、Myojoの10000字インタビューで、「飛ぶんです」と言っていた戸塚くん。その戸塚くんと劇中の一郎が重なったんです。泥くさいけど、とにかく一生懸命飛び続ける一郎が。ちょっと胸が熱くなりました。

私はもともと戸塚くんの雰囲気が好きで、A.B.C-Zならとっつーが好き!と言い続けていました。でも、人柄はあまり知らなかった。だから、気になり始めて、色々な映像を見て・テキストを読んで、戸塚くんを知っていくうちに、こんな考え方する人だったんだ、とすごく驚きました。好きになってから読んだ10000字で「飛ぶ」と言う戸塚くんを見て、きっと今、戸塚くんは、こんがらがってもいないし、すごく前向きなパワーが溢れているんじゃないかなとなんだか胸が熱くなりました。だから、飛ぶために何度も何度も転んでは起き上がる一郎の姿に、より一層胸を打たれたのだと思います。

「飛ぶんだ」「飛べるんだ」と飛ぶ真似を何度も何度も繰り返す姿を見て、明子の心が徐々に解れていきます。このシーンの明子はどんな気持ちだったのかなぁ。くだらないことを一生懸命にやっている一郎にちょっと呆れつつも、それでも自分を一人にせずそばに居てくれる一郎にほっとしたんじゃないかな。どこにも行かずに自分たちのふるさとになって欲しい、と言う明子に、一郎は、どこにも行くわけなんてないと応えます。

ふるさとって場所ではなくて人なんだなぁと改めて思います。もちろん場所に感じることもあるけれど、大部分がその場所で誰かと過ごした思い出なんじゃないかな。家族を持つというのは、またひとつ自分にとってのふるさとが増えることのように思います。明子の不安は単純に見えてとても根深くて、根本から解決することは決して出来ないでしょう。例えどんな言葉で慰められても、大丈夫だと言われても、きっと明子の心は癒えない気がします。どうしたら彼女の心は癒されるのだろうと思うと、やっぱり思い出を作っていくしかないんじゃないかなと思います。たぶん自信なんてないし、間違うこともあるし、だけど、新しい家族と新しい思い出を作っていくしかない。

そう考えると、一郎が明子の全てを受け止め、ふるさとになると言ってくれたことは、明子にとってすごく心強かったのかなと思います。

この後、一郎はまた「時には昔の話を」を歌います。その表情は切ないものの愛に溢れていました。一郎が、馬鹿げていたようにも思える若かりし日々を愛おしむこの曲を歌うのは、無意味な過去なんてないというメッセージなのかなと私は思っていました。

 

あずさに揺られて

南座での公演を終えて、愛知、長野、群馬、山梨、福島と一座は巡業へ。舞台をほぼ見たことがない私にとって、地方巡業という概念自体が新しくて、本当に旅の一座みたいな感じなんだなぁと驚きました。

当初は巡業には行くつもりがなかったのだけど、これも本当に直前に行くことを決めたんだったと思います。ギリギリにバスを予約して新宿から高速バスに乗りました。

初めての山梨は本当に何もせずに帰ってきてしまったので記憶が全くありません。甲府駅の駅ビルでポストカードとsnidelのお洋服を買いました。なぜ甲府で買った……。バスで劇場まで行ったのですが、みんな同じ行き先だなぁと心がホカホカしました。知らない街なのに心強い。

ちょうどこの頃戸塚くんが髪を切って、舞台中なのに切るの?!と驚いた記憶があります。最初の頃はポスターのキーヴィジュルに近い長めの髪型だったんだけど、襟足さっぱりの刈り上げにカットされて、私の中でリヴァイ*1だと話題でした。運動量もすごいし、消耗する舞台だから仕方ないけど、もうこの頃には結構痩せてて髪もさっぱりしたからそれが目立つなぁと思っていました。

山梨公演はすごく独特の空気感で、戸塚担と地元の人たちが入り乱れていてとても面白かったです。私の周りは割と地元の人たちが多くて、高校の演劇部の子たちかなぁという感じの話も聞こえてきて新鮮な気持ちになりました。客入りはまずまずというところでしたが、こういう普段では見てもらえないであろう方たちに見ていただけるっていいなぁと思っていました。

プレビューも南座も割とドキドキという空気感だったので、巡業でのなんだかのびのびとしている空気感は新鮮で、いいもの見れたなぁと思いました。心なしか演者の皆さんのアドリブも多かったように思います。明子の父を演じる佐藤蛾次郎さんが、戸塚くんの紹介も兼ねてA.B.C-Zというグループ名前も出してくれて、この客層だからこういうアドリブになるんだと興味深かったです。ありがとうございました。この日は、蛾次郎さんのアドリブで笑いが止まらなくなる戸塚くんというかわいいものを見れたのもとても良かったです。

帰りは、信玄餅買ってあずさに飛び乗りました。山梨はそうでもなかったんだけど、東京は雨だった気がします。「あずさ」という電車にはちょっとした思い入れがあって、この日やっと乗れたのが嬉しかった。弾丸過ぎる一日だったけど、自由な空気感でお芝居をしている様子を見ることが出来て、本当に良かったです。

 

そして、千秋楽

巡業を終えて、新橋演舞場での六日間の公演が始まりました。もうこの頃にはとても暑くて、暑いなぁ嫌だなぁと思いながら劇場に向かっていました。すごくたくさん見た気がしましたが、新橋でも三公演しか見ていなかったようです。体感と全くあっていない不思議。

巡業を終えた一座は、なんとなく一体感が増したように感じました。最初の頃、明子と一郎の雰囲気はまぁ普通でしたが、この頃にはすっかり夫婦という感じになっていました。序盤に二人が踊るシーンがあるのですが、二人とも本当に慈愛に満ちた表情で見つめ合っていてすごく感動しました。二人だけでなく、一座全体にいい雰囲気が流れていて、巡業でたくさんの時間を一緒に過ごして、同じ釜の飯を食べたから(実際に食べたかは知らない)なのかなぁなんて思いました。

出発の好きなシーンの一つは前述の通りですが、もう一つ好きなシーンがあります。最後の父と一郎のシーン。この物語の核心とも言えるシーンです。

二人のシーンの前に、父役の石丸謙二郎さんが舞台に一人で立ち、語るシーンがあるのですが、やっぱりすごいなぁと感動しきりでした。演出ももちろんだけど、大事なことを話す時は声の質感が変わって、一瞬で客席を演技に引き込んでしまうんですよね。東北の思い出を語っていて、その描写がすごく胸に迫るものがありました。苦しかった。

その後、一郎が出てくるのだけど、出てきた瞬間から泣きそうな顔で、悲しみを堪えているような様子です。劇中でいつも一家の大黒柱であろうとしていた一郎が、このシーンでは子供の表情をしています。そんな他のシーンとの対比がひどく印象的でした。

「アルバムがなくなった」という一郎。「新しい思い出がなくなった」という台詞もこの辺りだったかな。そして、一郎は、父の旅立ちの歌、「帰っていく」歌を作っている。初見の時に、お父さんは亡くなっているのかなぁと思っていて、途中でいや生きてるかもと思ったけど、最終的にはやっぱり亡くなっていると解釈しています。(劇中で奥の細道の序文が語られるのだけど、この序文には、旅への憧れ、旅の上で死ぬことへの覚悟、そして移り変わる人の世が詠まれていて、それを踏まえても、やはりお父さんはもう戻ってこないのだなぁと思います。)

ここからは本当に重くて苦しくて毎回辛かったです。涙が止まりませんでした。旅立つ父に向けて、つか芝居のお決まりでもある長台詞があります。毎回毎回すごい迫力で、戸塚くんが瞬きをしないから、こちらも瞬きが出来なくて、戸塚くんは泣いているのか汗が目に入ってるのかわからないけど、とにかく涙を流していて、私も涙が溢れてきて、終わったあと毎回頭が痛かったです。でも、このシーンのおかげで、戸塚くんのお芝居が好きになったし、戸塚くんが好きになりました。戸塚くんはすごく演技が上手いわけではないかもしれない。でも、戸塚くんの命を燃やすようなお芝居は本当にすごい。胸ぐらを掴まれて、逃げ道を絶たれて、耳元で思い切り心の内を吐露されているような気持ちになります。(これ、前にもブログで書いた気がします。)このシーンを演じている戸塚くん、きっとしんどいだろうなぁと毎回思っていました。それでも、いつも全力だった。演じているということを忘れるほど、一郎そのものだった。そして、命を燃やすようなお芝居をしている戸塚くんは、びっくりするほど輝いていました。こんな言い方すると、戸塚くんがどこかへ行っちゃうみたいで、すごく下手くそな喩えなんだけど、星が燃え尽きる瞬間の光みたいに爆発的で神秘的な美しい光を放っていました。

このシーンの中で、悲痛な顔をしている一郎を笑わせようとお父さんがおどけるシーンがあるのだけど、それが明子と一郎のスーパーマンのシーンに重なって、一郎はやっぱりお父さんの背中を追っていたのだなぁと思いました。最後の最後に「父さんは後ろ姿さ」という一郎の台詞があるんです。子供は父の背中を見て育つというけれど、一郎が目指したのはやはりお父さんだったし、お父さんが去った後、一郎は岡山家の父となるけれど、きっとその前にいつもお父さんの背中が在り続けるのだと思います。戸塚くんはよく家族の話をしているし、お父さんに対して憧れを持っているんだろうなと感じていたから、何故かこのシーンのこの台詞だけは、一郎だけの台詞ではなく、戸塚くん自身の台詞のような気がしていました。

そして、千秋楽。本編を終えて、カーテンコールで出てきた戸塚くんの表情がすごく魅力的でした。二階の最前列で見ていたのだけど、とにかく晴れやかでさっぱりした顔だった。北千住でのプレビュー公演で見た表情も良かったんだけど、それの何倍も良かった。一ヶ月にも満たない期間で、人ってこんなに違う顔をするようになるんだなぁと感心してしまった。

この日まで、私はもう戸塚担なんだろうなぁと思いながらもなかなか踏ん切りがつかなくて、担降りという言葉を避けてきたんです。でも、もうダメでした。こんな風に人が成長する姿を見て、それもこんなに魅力的に成長する姿を見て、好きにならずにはいられなかった。一気に心の中に入ってくる魅力的な演技をする戸塚くん、声を枯らしても伝えたいことを伝えようと必死に叫び続ける戸塚くん、客席を本当に幸せそうな顔で見つめる戸塚くん。そんな彼を好きにならずにはいられなかった。ずっと見ていたいし、これからも戸塚くんが変わっていくところが見ていたいと思ってしまった。

だから、この日から、「私は戸塚担です」と言おうと決めたのでした。

 

ここからはすごく個人的な話です。当社比三倍ポエムを読みます。

ちょうどあの春、私は仕事の影響で体調を崩していました。仕事はすごく楽しかったんだけど、とにかく忙しくて、毎日毎日泣きながら仕事をしていました。ジャニ伝の再演中に張り詰めていた糸が切れて小休止を打つことを決意したけれど、その頃の記憶はあまりありません。それまでの睡眠不足を補うように毎日寝てた。人間って本当に疲れると体の機能が停止するのか寝ることしか出来なくなるみたい。そんな状況が2ヶ月ぐらい続きました。なんだか真っ暗な海の底にいるみたいだった。潮の流れもゆっくりで、ほとんど変化のない時間をただ生きていたという感じ。雨と灰色の空の記憶。色付いてるのは日生劇場のそばの花壇に咲いてた躑躅の鮮やかなピンクぐらいかも。えび座もそれなりに見たけど、やっぱり心からは楽しめなかった。

私の記憶に色が戻ってきたのは、ちょうど出発が始まったぐらいの頃でした。急に視界が開けて、世界が輝いて見えました。海の底に一筋の光が射し込んで、海面へと向かっていく小さな気泡で自分が息をしているのがわかり始めたような気持ちになりました。

出発は、私の体と心が回復する過程にあった作品だったのだと思います。だから、この舞台を思い出すと頭の中に太陽が燦々と輝く明るく澄んだ青空のイメージが浮かびます。そして、不思議と心が軽くなるような気がします。
コンテンツの良し悪しって、そのもののパワーももちろんあるけれど、結局受け手が人間である限り、受け手の置かれている状況や精神状態に左右されるものだと思っています。出発がすごく良かったのかときかれると判断に困るけれど、少なくとも当時の私の置かれた状況にはとても合っていて、とても響いた話ではあったと思います。成長の物語を見ることで、そして、戸塚くん自身が成長していく姿を見ることで、私のカラカラに乾いていた心は少しずつ水を含んで潤っていった。私も飛べるかもなぁなんて思えるようになっていった。

偶然か必然かはわからないけれど、あの夏、私は出発という舞台に出会えました。千秋楽の戸塚くんの晴れやかな笑顔を見ながら心が温かくなりました。自分の気持ちを言葉にするのが好きだし、得意な方だとは思うけど、この時の気持ちだけはうまく言葉では表せません。ただ、よかったんだよね。よかったんだ。

敢えて言うなら、あたたかくて、眩しくて、なんだか太陽の光を素肌に感じたみたいだった。

たぶん、あのタイミングじゃなかったらこんなにたくさん見ることも出来なかったし、こんなに心に響くこともなかったのかもしれないと思います。そういう意味でも、本当に巡り合わせだと思います。

 

A.B.C-Zを好きになって、いいものに触れる機会が格段に多くなって、コンテンツとしてはもっといいものにたくさん出会ったけれど、やっぱり特別なのはこの舞台です。ずっと大事にしようと思います。できるだけ、忘れてしまわないようにしようと思います。

 

2017.11.1 加筆修正しました。

*1:進撃の巨人のリヴァイ兵長