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彼が守ろうとしたものは〜Defiled観劇覚書2〜

Defiled、2回目の観劇を終えました。

初見に比べて、冷静な気持ちで観れたので、ハリーという人間について、彼が起こした行動の根底にある部分は一体なんだったのか、それについて少し考察をしてみようと思います。

いつも通り、主観ばかりで申し訳ない考察です。

頭固いなぁ〜思い込み激しいなぁ〜と思いながら、書いています。

そういう捉え方もあるのね、と思っていただければ幸いです。

 

***

 

考えれば考えるほど、戸塚くんが、ハリーの気持ちがわからないと言ったこと、すごく納得できるなぁと思いました。

何故ならば、ハリーの根底にあるのは、飢餓だと思うから。物質的な意味ではなく、愛情への飢餓。

 

 ハンカチをお忘れではありませんか?〜Defiled観劇覚書〜 - I like what I like

初見後、ハリーは『親に捨てられそうな子供』に見えると書きましたが、それはこの愛情への飢餓から引き出された表情なのではないでしょうか。

親や家族から愛情を十分に注がれなかったことが、彼の未成熟な人格を作り出したのではないかな、なんて思いました。

自尊心が低いからこそ、人より優位に立ちたくて、そのために理論武装して、相手の言葉尻を捉えて徹底的に論破しようとする。

都合が悪くなると癇癪を起こして、相手を威嚇して、自分の主張を通そうとする。

ハリーは、とにかく子ども。しかも、反抗期の子どものよう。

十分に愛情を注がれた子供はあるがままの自分を受け入れられるけれど、そうでないと理想の自分を守ろうと必死に努力して、時には邪魔なものを排除してまで無理を通そうとする。

私の目には、ハリーは必死に自分を守ろうともがいているように見えました。

 

劇中で、ハリーが守りたかったのは、本当に図書館という神聖な場所だったのか、とふと思いました。

きっと、それだけではないと思います。

もちろん、彼にとって図書館は神聖な場所だったことには変わりないでしょう。

いうなれば、キリスト教にとっての教会であり、イスラム教徒にとってのモスクであり、ユダヤ教徒にとってのシナゴーグだったのかもしれません。

普段は礼拝堂には行かないと言った彼は、毎日図書館で祈りを捧げていたのかもしれません。彼のことを絶対に裏切らない家族でもあり、友人でもあり、恋人である『本』という存在に。

これはあくまで個人的な考えですが、本を読むのは、救いを求めることに似ていると思います。空想の世界を楽しむため、世界の理を知るため、自分の感情に名前をつけるため。そうすることで、持て余している何かをどうにかできるかもしれないから。

きっと、ハリーはたくさん本に救われたんだと思います。知りたいことを教えてくれる。道を示してくれる。そして、彼のことを傷付けず、いつも味方でいてくれる。それは彼にとって、神に等しい存在だったのかもしれません。

そういう意味では、本の住む場所である図書館は教会よりもっと高次の神殿のような場所だったのかもしれないと思います。

そこに置かれている目録カードは、彼にとって神の姿を探す手掛かりになる地図のようなものであり、神を守る者(司書)たちが刻んできた聖なる場所の歴史であったのではないでしょうか。だからこそ、ハリーはそれを守りたかった。

そんな神聖な場所(図書館)・もの(目録カード)、そして神そのもの(本)を守りたいという気持ちは嘘ではなかったと思います。だって、彼にはそれが全てだったから。

一方で、そんな神聖な場所に居る自分を神聖な者、言うなれば、神に選ばれた者として捉えていた側面もあるんじゃないかなと思います。

ハリーの主張を聞いていると、最初は「神聖な場所を守る」ことが目的だったのに途中から「神聖な場所を守るための聖戦をやり遂げる」ことが目的になっているように感じました。

前者はあくまで守ることが目的でそのための手段は多岐に渡っているはずだけど、後者は自分の手で守らなければならなくて、しかも、戦うことに意味を見出してしまっている。

目的のために戦う自分で在ることを守りたい、という感覚に近いのかなと思います。

冒頭の爆弾を書架に置くシーンで、目録カードが入っているチェストの上に足を掛けるとき、ハリーは靴を脱ぎました。やっぱり大事なものを土足では踏み躪ることが出来なかったのかもしれないなと思います。

でも、中盤でそのチェストの上に、靴を履いたまま上がったのが、なんだか腑に落ちなくて、その時にはもう目的が摩り替わっていたのかなぁと思いました。

彼が守りたかったものは、自分という一人の人間の尊厳だったのかもしれません。

 

ハリーがすごく身勝手な人間のように表現してしまったけれど、きっと本質的にはそうではなくて、彼にとっての譲れないものがそこにあったから、こういう行動を取ってしまったのかなと思っています。

それを考えるとき、

ハリーがなぜそこまでレガシーなものに執着するのか、

なぜそこまでテクノロジーを敵視するのか、

この二つが大きな鍵になっているのかなと思います。

 

私が考えたのは、レガシーなものは母の象徴であり、テクノロジーは父の象徴ではないかということ。

劇中で、ディッキーに対して小さい頃に本を読んでもらわなかったのか、という問い掛けをする場面があって、それを不幸なことのように捉えていたのは、ハリーにとっては、幼い頃本を読み聞かせてもらったことが幸福の象徴になっていたのではないかと思います。おそらく母親からもらった大切な思い出だったのではないでしょうか。

ハリーは、母というか母性に対して過剰なまでの執着を見せているように思います。彼が祈るのは母の命日だけということや、女性に対する過度な期待も。

きっと、ハリーにとって、お母さんの存在はとても大きくて大切なもの。

そのお母さんが読んでくれた本や、母が好きだった教会を大事に思うのは何も不自然なことではなくて、当たり前のこと。

作中では描かれていないから想像にしか過ぎないけれど、ハリーの中のレガシーなもの、たとえば紙の本であったり、整備されていない街の景色であったり、市場やカフェで感じる人の温もりであったり、それらに付随する思い出であったり、それを愛する気持ちの根底はお母さんの生き方を愛する気持ちなのではないかなぁと思います。

打って変わって、父に対しては反抗心や憎しみの描写が見受けられます。

彼が語る父との思い出は、合理的でないから、彼の望むコリーは買ってくれず、小さな犬を買ったという思い出。そして、それに反抗するように今コリーを飼っている。

お父さんがいつ亡くなったのかはわからないけれど、ハリーは彼とは和解することが出来ないままだったんだろうと思います。

現実にも、思い出の中ででも、ハリーはお父さんと和解することが出来ないまま大人になったのではないでしょうか。

だからこそ、合理的なことに対して徹底して反抗している。

だから、単純に目録カードがなくなることだけではなく、レガシーなもの(目録カード)が、テクノロジー(コンピューター)に淘汰されるということが許し難かった部分が少なからずあるのではないかと思いました。

目録カードに代わるものがもう少しローテクノロジーなものであれば、ハリーの反感はもう少し和らいだかもしれません。

彼の中にあるレガシーなものへの愛情を守るために、テクノロジーへの憎しみがより深くなっていく。ある意味で、母への愛と父への憎しみの代理戦争のよう。

だからこそ、彼はその聖戦に勝たなければならないと思ったのではないでしょうか。

目録カードを、図書館を、本を、ハリーの色々な意味での愛の証明として守りたかったのかもしれないなと思います。

 

もし、ハリーのご両親がもっと長く生きていたら、彼は父との思い出を意味があるものに出来たかもしれません。

あるいは、思い出はつらい思い出のままでも、お父さんと和解できていたら、合理的なものに対してもう少し寛容になれたかもしれません。

変わっていくことをもう少し受け容れられたかもしれません。

彼の愛情に対する飢えが少しは満たされたかもしれません。

そんな風に思います。

不幸な巡り合わせだと思います。

遣る瀬無いと思います。

どんなに上手く噛み砕こうとしても、やっぱり私には上手く噛み砕けません。

だからこそ、涙を流しながら、胸が張り裂けそうな思いになりながら、この作品のことをずっと忘れないでいようと思います。