I like what I like

アイドルが好きです。

時には昔の話しようか〜出発を振り返る日記〜

出発ってあの出発?

思いましたよね、あの出発です。なぜ今出発なのか。書きたかったからです。

三年前の話をします。ちょうど私が戸塚くんに担降りをした時の話です。

五周年ということで感傷的になっているのか色々と思い出すことが増えてきた中、この時の記憶はかなり鮮明に思い出すことが出来ました。でも、いつかは色褪せてしまうんだろうなぁと思ったので、今、ここに書いておきたいと思います。

このブログを始めた頃に出発の記事を書いていたのですが、疲れた時に全てをリセットしたくて消してしまったという経緯もあり、いつかまた書きたいなあと思っていました。だから、この機会に残しておきたいと思います。(それでも感想とか解釈はだいぶリリースされてしまったので、ただ私の思い出日記という感じです。)

鮮度が全くないので見ていない方にもわかるようにストーリーに触れたかったのですが、自分が書くとあまりにいい加減だったのでストーリーを知りたい方は「舞台 出発 ストーリー」でGoogle先生に聞いてみてください。無責任ですみません。

ざっくりいうと、父の蒸発をきっかけにした家族の成長物語です。戸塚くん演じる岡山家の長男:一郎と妻:明子、父:八太郎そして岡山家の家族とそこに関わるの人々が織りなす群像劇といったところでしょうか。

 

出発は、私にとってすごく思い出深い舞台です。

私が、戸塚くんに担降りしようと決心したのはこの作品の千秋楽のその日でした。

プレビュー、初日、巡業、千秋楽と観劇し、作品と戸塚くんが変わっていく様子を目の当たりにしました。その様子がすごく胸に響いて、この人をずーっと応援していけたらな、この人の成長を、変化を、見守っていけたらな、と思いました。 

 

雨の北千住

2014年7月9日。梅雨明け前の東京はこの日も雨でした。初めて足を踏み入れた北千住。初日を前にしたプレビュー公演です。

この日の会場の空気感は本当に独特で、今でも割と鮮明に覚えています。戸塚くんを好きになるまで、自担の個人舞台というものに縁がなかった私にとっては新鮮でした。でも、少し怖かった。

プレビューを観れたのは出発だけなのですが、他の舞台の時もソワソワピリピリしてたのでしょうか。それともそうじゃなかったんでしょうか。

開演の数分前、ざわめきが消えて、しんと静まり返る会場。まさに固唾を呑むという感じでした。

舞台中央のスクリーンに映し出されるオープニング映像に合わせて手拍子が起こります。(こういうのも初体験だったので、わぁ〜と一人テンションが上がってました。)

映像が終わり、ポスターの写真が映し出され、聴こえてくるアコースティックギターの音。歌うのは加藤登紀子さんの「時には昔の話を」。昭和感をとても感じました。

スクリーンの向こうから現れた戸塚くんは、すごくすごくすごくかっこよかった!!!!!!(ファン歴0年の感想なんてこんなもんです。)

トニトニには通い過ぎてもうちょっとで13月に行きそうになってたし、えび座も何回も見たけど、ステージの真ん中でピンスポを浴びてギターを弾き語る戸塚くんは凄まじくかっこよかった。昭和感溢れる衣装がまた戸塚くんに合ってて、わ〜〜、わ〜〜、と心の中でジタバタしていました。

ストーリーには追々触れていくとして、初見で思ったことは、「あ、戸塚くんって男の人だった!」でした。

もちろんかっこいいとは思っていたけど、出発を見るまではお顔の可愛さと全体的な雰囲気から、どうしても「かわいい」が先に立っていて、男性だなぁという感じがしなかったんです。でも、明子を演じる村川絵梨さんの隣に立つ戸塚くんを見た瞬間に、男を感じてびっくりしました。

わかりにくいと噂のつか作品に初めて触れ、頭の中がぐちゃぐちゃで、一体どういう話なのかこの時点では全く理解できていなかったように思います。でも、言葉では言い表せないパワーを感じて、なぜだか涙が止まりませんでした。

 

夏の京都

初日は京都、南座でした。プレビューの日とは打って変わって京都は暑かった。夏の京都に行くのは初めてで、じりじりと焼けるような暑さに辟易としました。

四日間の南座での公演は初日と翌日だけ観劇しました。本当は初日だけのつもりだったのだけど、見たくなって京都に発つ前日にチケットを譲っていただいたことを覚えています。

南座に行くのは初めてでしたが、とても歴史ある建物で感動しました。祇園祭宵山が近い京都の街。終演後、鴨川の納涼床を横目に四条通りを歩くと夏の夜の空気が気持ちよかった。

私が出発の中で好きだったシーンの一つに、出て行こうとする明子を止めるために戸塚くん演じる一郎がスーパーマンを演じるシーンがあります。

母に捨てられて父と二人きりで過ごしてきた明子は、母というものを知らずに母になることに恐怖を感じているし、もっといえばぬくもり溢れる岡山家の中に居る自分を信じられていないようでした。居心地が悪いわけではないけど、その中に居ていいのかなと思い続けている感じ。幸せな時ほど、それが現実なのかわからなくなるし、そこに自分なんかがいていいのかなと思うこと、あるよね。ある、わかる。幸せの中に孤独を感じてしまうと、とても寂しくてどうしようもない気持ちになります。明子はきっとそんな孤独とずっと付き合ってきたんだろうなと思います。

一郎は亭主関白というか、古典的な夫像を絵に描いたような人物で、口は悪いし手は上げるし、女は黙って男の後をついてこい!みたいなキャラクターではあるものの、色んなところに優しさが散りばめられているキャラクターでした。そして、すごく責任感が強いキャラクター。当たり前のことなのかもしれないけど、常に長男であろうとしている。だから、父がいなくなった家族を支えようと懸命に奔走していました。

このシーンの前のシーンで弟である六助をツテを頼って就職させてやり、六助は恋人のみどりと二人で沖縄に旅立っていきます。家で燻っていた弟をやっと送り出してホッとしたのに、今度は明子が出て行こうとする。

岡山家の家族が立派なのに自分なんて……と自分を卑下する明子に対して、そんなことないと伝えたくて、なぜか自分がスーパーマンだという一郎。(弟の六助がオオサンショウウオという小ネタを受けて、弟はオオサンショウウオ、自分はスーパーマンという寄せ集めの家族だから、明子が入り込む余地があり過ぎることをアピールしたもの)着ていたシャツを脱ぐと、あのスーツの模様が描かれたTシャツが。

ふるさとがないという明子に、自分がふるさとになってやると告げるも、なおも出て行こうとする明子を引き止めるために必死に道化を演じます。泣いてる明子を、なんとか笑わせようとする一郎はすごく健気で優しくてかっこ良かった。それでも泣き止まない明子に対して、笑顔を守れなかったから星に帰ると行って飛ぶ真似をするんです。

真似なの。真似なんですけど、本当に何度も何度もジャンプして、もちろん飛べるわけなんてないから、何度も何度も失敗して転んで、汗だくになりながらヘトヘトになっても飛び続ける。「飛べるんだ」「飛ぶんだ」って、悲痛な程懸命に。

ちょうどこの頃、Myojoの10000字インタビューで、「飛ぶんです」と言っていた戸塚くん。その戸塚くんと劇中の一郎が重なったんです。泥くさいけど、とにかく一生懸命飛び続ける一郎が。ちょっと胸が熱くなりました。

私はもともと戸塚くんの雰囲気が好きで、A.B.C-Zならとっつーが好き!と言い続けていました。でも、人柄はあまり知らなかった。だから、気になり始めて、色々な映像を見て・テキストを読んで、戸塚くんを知っていくうちに、こんな考え方する人だったんだ、とすごく驚きました。好きになってから読んだ10000字で「飛ぶ」と言う戸塚くんを見て、きっと今、戸塚くんは、こんがらがってもいないし、すごく前向きなパワーが溢れているんじゃないかなとなんだか胸が熱くなりました。だから、飛ぶために何度も何度も転んでは起き上がる一郎の姿に、より一層胸を打たれたのだと思います。

「飛ぶんだ」「飛べるんだ」と飛ぶ真似を何度も何度も繰り返す姿を見て、明子の心が徐々に解れていきます。このシーンの明子はどんな気持ちだったのかなぁ。くだらないことを一生懸命にやっている一郎にちょっと呆れつつも、それでも自分を一人にせずそばに居てくれる一郎にほっとしたんじゃないかな。どこにも行かずに自分たちのふるさとになって欲しい、と言う明子に、一郎は、どこにも行くわけなんてないと応えます。

ふるさとって場所ではなくて人なんだなぁと改めて思います。もちろん場所に感じることもあるけれど、大部分がその場所で誰かと過ごした思い出なんじゃないかな。家族を持つというのは、またひとつ自分にとってのふるさとが増えることのように思います。明子の不安は単純に見えてとても根深くて、根本から解決することは決して出来ないでしょう。例えどんな言葉で慰められても、大丈夫だと言われても、きっと明子の心は癒えない気がします。どうしたら彼女の心は癒されるのだろうと思うと、やっぱり思い出を作っていくしかないんじゃないかなと思います。たぶん自信なんてないし、間違うこともあるし、だけど、新しい家族と新しい思い出を作っていくしかない。

そう考えると、一郎が明子の全てを受け止め、ふるさとになると言ってくれたことは、明子にとってすごく心強かったのかなと思います。

この後、一郎はまた「時には昔の話を」を歌います。その表情は切ないものの愛に溢れていました。一郎が、馬鹿げていたようにも思える若かりし日々を愛おしむこの曲を歌うのは、無意味な過去なんてないというメッセージなのかなと私は思っていました。

 

あずさに揺られて

南座での公演を終えて、愛知、長野、群馬、山梨、福島と一座は巡業へ。舞台をほぼ見たことがない私にとって、地方巡業という概念自体が新しくて、本当に旅の一座みたいな感じなんだなぁと驚きました。

当初は巡業には行くつもりがなかったのだけど、これも本当に直前に行くことを決めたんだったと思います。ギリギリにバスを予約して新宿から高速バスに乗りました。

初めての山梨は本当に何もせずに帰ってきてしまったので記憶が全くありません。甲府駅の駅ビルでポストカードとsnidelのお洋服を買いました。なぜ甲府で買った……。バスで劇場まで行ったのですが、みんな同じ行き先だなぁと心がホカホカしました。知らない街なのに心強い。

ちょうどこの頃戸塚くんが髪を切って、舞台中なのに切るの?!と驚いた記憶があります。最初の頃はポスターのキーヴィジュルに近い長めの髪型だったんだけど、襟足さっぱりの刈り上げにカットされて、私の中でリヴァイ*1だと話題でした。運動量もすごいし、消耗する舞台だから仕方ないけど、もうこの頃には結構痩せてて髪もさっぱりしたからそれが目立つなぁと思っていました。

山梨公演はすごく独特の空気感で、戸塚担と地元の人たちが入り乱れていてとても面白かったです。私の周りは割と地元の人たちが多くて、高校の演劇部の子たちかなぁという感じの話も聞こえてきて新鮮な気持ちになりました。客入りはまずまずというところでしたが、こういう普段では見てもらえないであろう方たちに見ていただけるっていいなぁと思っていました。

プレビューも南座も割とドキドキという空気感だったので、巡業でのなんだかのびのびとしている空気感は新鮮で、いいもの見れたなぁと思いました。心なしか演者の皆さんのアドリブも多かったように思います。明子の父を演じる佐藤蛾次郎さんが、戸塚くんの紹介も兼ねてA.B.C-Zというグループ名前も出してくれて、この客層だからこういうアドリブになるんだと興味深かったです。ありがとうございました。この日は、蛾次郎さんのアドリブで笑いが止まらなくなる戸塚くんというかわいいものを見れたのもとても良かったです。

帰りは、信玄餅買ってあずさに飛び乗りました。山梨はそうでもなかったんだけど、東京は雨だった気がします。「あずさ」という電車にはちょっとした思い入れがあって、この日やっと乗れたのが嬉しかった。弾丸過ぎる一日だったけど、自由な空気感でお芝居をしている様子を見ることが出来て、本当に良かったです。

 

そして、千秋楽

巡業を終えて、新橋演舞場での六日間の公演が始まりました。もうこの頃にはとても暑くて、暑いなぁ嫌だなぁと思いながら劇場に向かっていました。すごくたくさん見た気がしましたが、新橋でも三公演しか見ていなかったようです。体感と全くあっていない不思議。

巡業を終えた一座は、なんとなく一体感が増したように感じました。最初の頃、明子と一郎の雰囲気はまぁ普通でしたが、この頃にはすっかり夫婦という感じになっていました。序盤に二人が踊るシーンがあるのですが、二人とも本当に慈愛に満ちた表情で見つめ合っていてすごく感動しました。二人だけでなく、一座全体にいい雰囲気が流れていて、巡業でたくさんの時間を一緒に過ごして、同じ釜の飯を食べたから(実際に食べたかは知らない)なのかなぁなんて思いました。

出発の好きなシーンの一つは前述の通りですが、もう一つ好きなシーンがあります。最後の父と一郎のシーン。この物語の核心とも言えるシーンです。

二人のシーンの前に、父役の石丸謙二郎さんが舞台に一人で立ち、語るシーンがあるのですが、やっぱりすごいなぁと感動しきりでした。演出ももちろんだけど、大事なことを話す時は声の質感が変わって、一瞬で客席を演技に引き込んでしまうんですよね。東北の思い出を語っていて、その描写がすごく胸に迫るものがありました。苦しかった。

その後、一郎が出てくるのだけど、出てきた瞬間から泣きそうな顔で、悲しみを堪えているような様子です。劇中でいつも一家の大黒柱であろうとしていた一郎が、このシーンでは子供の表情をしています。そんな他のシーンとの対比がひどく印象的でした。

「アルバムがなくなった」という一郎。「新しい思い出がなくなった」という台詞もこの辺りだったかな。そして、一郎は、父の旅立ちの歌、「帰っていく」歌を作っている。初見の時に、お父さんは亡くなっているのかなぁと思っていて、途中でいや生きてるかもと思ったけど、最終的にはやっぱり亡くなっていると解釈しています。(劇中で奥の細道の序文が語られるのだけど、この序文には、旅への憧れ、旅の上で死ぬことへの覚悟、そして移り変わる人の世が詠まれていて、それを踏まえても、やはりお父さんはもう戻ってこないのだなぁと思います。)

ここからは本当に重くて苦しくて毎回辛かったです。涙が止まりませんでした。旅立つ父に向けて、つか芝居のお決まりでもある長台詞があります。毎回毎回すごい迫力で、戸塚くんが瞬きをしないから、こちらも瞬きが出来なくて、戸塚くんは泣いているのか汗が目に入ってるのかわからないけど、とにかく涙を流していて、私も涙が溢れてきて、終わったあと毎回頭が痛かったです。でも、このシーンのおかげで、戸塚くんのお芝居が好きになったし、戸塚くんが好きになりました。戸塚くんはすごく演技が上手いわけではないかもしれない。でも、戸塚くんの命を燃やすようなお芝居は本当にすごい。胸ぐらを掴まれて、逃げ道を絶たれて、耳元で思い切り心の内を吐露されているような気持ちになります。(これ、前にもブログで書いた気がします。)このシーンを演じている戸塚くん、きっとしんどいだろうなぁと毎回思っていました。それでも、いつも全力だった。演じているということを忘れるほど、一郎そのものだった。そして、命を燃やすようなお芝居をしている戸塚くんは、びっくりするほど輝いていました。こんな言い方すると、戸塚くんがどこかへ行っちゃうみたいで、すごく下手くそな喩えなんだけど、星が燃え尽きる瞬間の光みたいに爆発的で神秘的な美しい光を放っていました。

このシーンの中で、悲痛な顔をしている一郎を笑わせようとお父さんがおどけるシーンがあるのだけど、それが明子と一郎のスーパーマンのシーンに重なって、一郎はやっぱりお父さんの背中を追っていたのだなぁと思いました。最後の最後に「父さんは後ろ姿さ」という一郎の台詞があるんです。子供は父の背中を見て育つというけれど、一郎が目指したのはやはりお父さんだったし、お父さんが去った後、一郎は岡山家の父となるけれど、きっとその前にいつもお父さんの背中が在り続けるのだと思います。戸塚くんはよく家族の話をしているし、お父さんに対して憧れを持っているんだろうなと感じていたから、何故かこのシーンのこの台詞だけは、一郎だけの台詞ではなく、戸塚くん自身の台詞のような気がしていました。

そして、千秋楽。本編を終えて、カーテンコールで出てきた戸塚くんの表情がすごく魅力的でした。二階の最前列で見ていたのだけど、とにかく晴れやかでさっぱりした顔だった。北千住でのプレビュー公演で見た表情も良かったんだけど、それの何倍も良かった。一ヶ月にも満たない期間で、人ってこんなに違う顔をするようになるんだなぁと感心してしまった。

この日まで、私はもう戸塚担なんだろうなぁと思いながらもなかなか踏ん切りがつかなくて、担降りという言葉を避けてきたんです。でも、もうダメでした。こんな風に人が成長する姿を見て、それもこんなに魅力的に成長する姿を見て、好きにならずにはいられなかった。一気に心の中に入ってくる魅力的な演技をする戸塚くん、声を枯らしても伝えたいことを伝えようと必死に叫び続ける戸塚くん、客席を本当に幸せそうな顔で見つめる戸塚くん。そんな彼を好きにならずにはいられなかった。ずっと見ていたいし、これからも戸塚くんが変わっていくところが見ていたいと思ってしまった。

だから、この日から、「私は戸塚担です」と言おうと決めたのでした。

 

ここからはすごく個人的な話です。当社比三倍ポエムを読みます。

ちょうどあの春、私は仕事の影響で体調を崩していました。仕事はすごく楽しかったんだけど、とにかく忙しくて、毎日毎日泣きながら仕事をしていました。ジャニ伝の再演中に張り詰めていた糸が切れて小休止を打つことを決意したけれど、その頃の記憶はあまりありません。それまでの睡眠不足を補うように毎日寝てた。人間って本当に疲れると体の機能が停止するのか寝ることしか出来なくなるみたい。そんな状況が2ヶ月ぐらい続きました。なんだか真っ暗な海の底にいるみたいだった。潮の流れもゆっくりで、ほとんど変化のない時間をただ生きていたという感じ。雨と灰色の空の記憶。色付いてるのは日生劇場のそばの花壇に咲いてた躑躅の鮮やかなピンクぐらいかも。えび座もそれなりに見たけど、やっぱり心からは楽しめなかった。

私の記憶に色が戻ってきたのは、ちょうど出発が始まったぐらいの頃でした。急に視界が開けて、世界が輝いて見えました。海の底に一筋の光が射し込んで、海面へと向かっていく小さな気泡で自分が息をしているのがわかり始めたような気持ちになりました。

出発は、私の体と心が回復する過程にあった作品だったのだと思います。だから、この舞台を思い出すと頭の中に太陽が燦々と輝く明るく澄んだ青空のイメージが浮かびます。そして、不思議と心が軽くなるような気がします。
コンテンツの良し悪しって、そのもののパワーももちろんあるけれど、結局受け手が人間である限り、受け手の置かれている状況や精神状態に左右されるものだと思っています。出発がすごく良かったのかときかれると判断に困るけれど、少なくとも当時の私の置かれた状況にはとても合っていて、とても響いた話ではあったと思います。成長の物語を見ることで、そして、戸塚くん自身が成長していく姿を見ることで、私のカラカラに乾いていた心は少しずつ水を含んで潤っていった。私も飛べるかもなぁなんて思えるようになっていった。

偶然か必然かはわからないけれど、あの夏、私は出発という舞台に出会えました。千秋楽の戸塚くんの晴れやかな笑顔を見ながら心が温かくなりました。自分の気持ちを言葉にするのが好きだし、得意な方だとは思うけど、この時の気持ちだけはうまく言葉では表せません。ただ、よかったんだよね。よかったんだ。

敢えて言うなら、あたたかくて、眩しくて、なんだか太陽の光を素肌に感じたみたいだった。

たぶん、あのタイミングじゃなかったらこんなにたくさん見ることも出来なかったし、こんなに心に響くこともなかったのかもしれないと思います。そういう意味でも、本当に巡り合わせだと思います。

 

A.B.C-Zを好きになって、いいものに触れる機会が格段に多くなって、コンテンツとしてはもっといいものにたくさん出会ったけれど、やっぱり特別なのはこの舞台です。ずっと大事にしようと思います。できるだけ、忘れてしまわないようにしようと思います。

 

2017.11.1 加筆修正しました。

*1:進撃の巨人のリヴァイ兵長

夏は終わるけれど終わりじゃない〜A.B.C-Z 5Stars 5Years Tour 55〜

9月15日金曜日、仙台サンプラザホール。2017年の夏が終わった。
楽しかったー!!楽しかった!!すごく楽しかったです!!!!
それに尽きるけれど、せっかくなので楽しかった理由を紐解いてみようと思います。

例のごとく、個人的な日記すぎるので後半ポエムしかないです。子供の頃はこんなポエマーじゃなかった。

前回のブログでも少し触れたことではありますが、今回のコンサートの構成がすごく好きでした。
自然な流れで流れていくし、ラストにちゃんと意味を持たせてくれる構成。可愛いもかっこいいも全部が自然と詰め込まれた素敵な時間。
飛び飛びで入ったせいもあってふわふわしたまま終わってしまったけれど、せっかくなのでホールでのセトリをなぞりながら好きだったところを残しておきたいです。
長いので読み飛ばしてくださって結構です。有益な情報は一ミリもございません。今回、戸塚くん好き好き期間の真っ最中だったので、自分でもびっくりするほど戸塚くんのことしか見てなかったので、すぐに戸塚くんの話をし始めます。そしてファンサ曲の記憶がほぼほぼない。

***

🌟OP
これまでの衣装を着たメンバーが一人一人映し出されて、五人の乗った宇宙船が地球に到着します。
最初見た時、せっかくだったら五人揃いの衣装が良かったなぁと思ったけど(画的に)、でも、ここはこれじゃなきゃダメだったんだなぁ。過去から今への演出だもんね。
🌟Reboot‼︎
🌟Take a "5" train
一番最初で再起動するのか終盤で再起動するのかどちらかだと思っていたら、最初から再起動してくれました。デビュー前の曲を入れないセトリとしてはすごく自然。(といいながら、横アリでアトラク歌ったのすごい面白かったです)
塚田くんが怪我をして、踊ってる四人を頑張れ頑張れって応援してるのすごくグッときました。塚田担や塚田くん自身はとても悲しかっただろうし、私だって切ない気持ちになったし、全くもってあって良かったということではないんだけど、何かあった時の乗り越え方みたいな部分にA.B.C-Zの良さが出たような気がします。
Take a〜も踊れないけど塚田くんが曲に参加してくれるのも嬉しかったし松葉杖使って汽車ごっこしてるのもなんだか微笑ましかった。
当たり前かもしれないけど悲壮感はなくて、今出来る範囲で楽しませようとしてくれる心遣いが伝わりました。
🌟Walking on Clouds
ホールから互いの夢重ねるふみとつが話題すぎたこの曲。回を重ねるごとに調子に乗って楽しげになっていくふみとつ可愛すぎ。この瞬間のふみとつはとても中学生男子感出ています。子供に戻ったみたい。それがまたこの曲にあってるから困っちゃう。
実は、A.B.C-Zのシングル曲でこの曲が一番好きなんです。青い空に浮かぶ雲とA.B.C-Zの親和性高いと思います。
🌟REMIX(SPACE TRAVERS〜5 Rings〜In The Name Of Love〜SPACE TRAVELERS)
このリミックスの流れがとても好き。セットを上手く使って視覚的にも飽きない。
5 Ringsをここに入れることに戸塚くんの拘りを感じました。戸塚くんって本当に愛の人なんだなぁ。その曲を自分がセンターで歌ってしまうところがとても可愛くて愛おしい。
後で触れようと思いますが、戸塚くんってつながり・循環というイメージをとても大切にしているなぁと思います。そういう意味でも、『輪』であるこの曲は大事な曲なのかな。
🌟YOU ARE A FLYER
🌟Dolphin
アコギが好きなんです。好きな男に弾いて欲しいのはアコースティックギター
仙台でのアコースティックのVからDolphinへの流れとても好きでした。
ここ三年のソロ曲について色々書きたいことがあるので、それはまた今度にしようと思っているんですが、この三年で、五周年という記念の年にこの境地に戸塚くんが辿り着いてくれたことがとても嬉しかったです。
仙台で初めて三階席に座って双眼鏡で戸塚くんをじっと見ることができたのだけど、戸塚くんはこの曲を歌いながら会場のあちこちをくまなく見ているんだなと思いました。もしかしたら、お客さん一人一人にこの歌を自分の気持ちを伝えようとしてくれているのかな。
結果的に毎年似たようなテイストの曲とはなってしまったものの、それぞれが伝える言葉は似ているものの少しずつ変化していて、その心がすごく嬉しい。多分全てずっと心の中にあったものなんだろうけど、それをこういうタイミングで形にしてもらえたのが嬉しい。
🌟OTAGAI☆SUMMER
河合くん、かっこいい。ふざけない河合郁人って本当にかっこいい。
この曲はアリーナでJr.引き連れて踊って、花道を進んで来るのがすごく好きでした。バックありの方が映える曲だと思っていたので、仙台で五関くんが出てきた時にはちょっとテンションが上がりながらも、かわごの人たち、生きてるかな?と心配にもなりました。それにしても最後の最後でこんなことが起こるから、ジャニーズっぽいコンサートだなと思います。
🌟Endless Summer Magic
🌟Summer 上々‼︎
この二曲、最高にhappyで天国だった。踊れるの楽しい。コンサートの醍醐味という感じ。
Summer 上々のはしとつが加速していくのもすごく面白かったし、どんな席で入っても毎回双眼鏡を震える手で握りしめながら覗き込んでいました。防振買ったんだけど、このシーンだけは自分の体が震えてるからまったくもって防振されませんでした。解せぬ。仙台ではしちゃんの肩口から腰周りを摩り始めた瞬間にもう一思いに殺してくれないかなと思ったけれど、そのあとはしちゃんがとつかくんの髪をすごく優しい手つきで撫で始めた瞬間に生きてて良かったなぁと思いました。要するに我々の業界(はしとつ可愛い業界)ではご褒美でした。
🌟アツあつ⁉︎夏フェス☆‼︎
🌟Deliciousな愛
毎年思うけど、塚田くんの頭の中って本当にすごい。天才だなと思う。根っからのエンターテイナー。(私はへそのおもとても好きだった)
初見の時に、私は一体何を見せられているのかな?と何度も首を傾げたけど、毎回毎回楽しみでこのコンサートの見どころの一つといっても過言ではなかったです。橋本くんと五関くんは割と彼氏と認めてもらえているのに、戸塚くん扮するEDM彼氏が最後まで彼氏と認めてもらえなかったのとても面白かった。ひどい。
Deliciousな愛を最後に一人で歌う塚田くん、かっこよかったね。こういう塚ちゃんじゃない塚田くんの部分もっと見たい。あと、どうでもいいけど、最後のVTRのリカは薄目で見るとマジで有村架純ちゃんに見えます。
🌟Moonlight walker
🌟MC
MWの戸塚くんが、とてもかっこいいんですよ!!
直前のリカソロで金髪のヅラを被るから髪の毛がぺちゃんこになっていて、それを割と無造作に撫で付けて出てきたりして、踊ってるうちに前髪が落ちてきて鬱陶しくなってくるの……。今の髪型だからこそという奇跡の瞬間。
MWで大抵汗だくになっているため、MCの戸塚くんはとてもセクシーです!
MC色々面白いことあったんだけど、はしとつの人としては仙台で河合くんのソロに登場した五関くんの不思議な掛け声の話題から始まった茶番がとても微笑ましかったです。橋本くんに構ってもらえると一気に楽しくなっちゃう戸塚くんなんなの。橋本くんが兄離れしちゃって寂しいね。ドンマイ。
🌟Glory Days
私、この曲の戸塚くんがだっっっっっっっいすきでした。
歌ってる間すごくいい顔してるの、ちょっと眩しそうだけど(多分物理的にも眩しい)満ち足りた顔をしてるの。思わず愛が溢れてしまったような眼差しでした。バラード曲ってついついダレがちなのだけど、バラード 歌ってる戸塚くんは本当にいい顔しているから、双眼鏡構えずにはいられません。
🌟Lily-White
🌟Whippy
🌟Fantastic Ride
このコンサートの見どころの一つ。しっとり歌い上げた後に、空気感を引き継ぎつつもよりディープな世界に引き込んでいく感じ。ここ三曲まとめて詰め込んだところがすごく良い。
みんな大好きリリホワ。私も好きです。ヘッドセットつけるの無造作すぎてちょっとへたっぴな(私の主観です)戸塚くんもすきです。
リリホワは福ちゃんの振り付け。体全体を大きく使う振りが多かったように思います。普段見れないA.B.C-Zのダンスだったので新鮮。人が振り付けた振りを踊っている五関くんが私は大好きなので、もう一対目があったらもっと五関くんを見たかったなぁと思います。
Whippyは言わずもがな。A.B.C-Zはおしゃれな曲が似合う雰囲気があるので、もっとこういう曲をやって欲しいなぁと思います。いつもはうれしい楽しい大好き的な雰囲気があるけど、見せる技術があるからこそおしゃれな曲やるととても映えるので。戸塚くんの声がこういう曲にとてつもなく合うから大好きというただ私が聴きたいだけというのもありますが。
Fantastic Rideの戸塚くん、他担にも褒めてもらえてすごく嬉しかったんですが、すごくご機嫌で楽しそうでした。マイクスタンド持ってくるくる回ってるの本当に微笑ましい。
🌟今日もグッジョブ‼︎!
ここにグッジョブ持ってきたの面白すぎて、初見では転けそうになったんだけど、グッジョブピースフル過ぎてもう何でも良かったです。可愛い。
🌟Mr.Dream
今回のソロで一番好きだったかもしれない。五関くんのための歌としか思えなかった。神々し過ぎた。
ホールでセルフバックやってくれたのもとても良かったです。五人だけのコンサートという感じがして。五関ソロのバックの戸塚くんは、何か体の中に降ろしちゃった感じがすごかったです。目付きが違う。怖い。舞台とかで見る今一人殺ってきたでしょ?って目付きに似ているようにも感じました。憑依型。
🌟Fire in Love
🌟花言葉
FiL自分のソロからぶっ続けで踊る五関くん化け物だなぁといつも思っていました。皆がどのタイミングで位置についてるのかわかんなかったんだけど、戸塚くんは衣装の替えが割とギリギリで余計なお世話ですが私はドキドキしていました。
結構軽めに踊ってるんだけど、アウトロになった瞬間にスイッチ入ってガシガシ踊り始める戸塚くんがすごく好きでした。かっこいい。
終わったーと思った瞬間には花言葉のイントロが流れて一気に切ない気持ちになるんですよね。
花言葉は終盤の曲の雰囲気があるからあーもう終わりが近いなぁって思っちゃう。(実際はまだまだ終わらないのだけど)自担の「幸せになろう」お当番をちゃんと見れたのよかったです。お当番系にまったく縁がないんだけど、今回はわりとちゃんと見れている。でも、一番良かったのは仙台の五関くんの「幸せになろう」でした。五関くんは声がいいよね。
🌟Love To Love You
全部が橋本くんらしくて、橋本くんの世界だった。今の橋本くんの容姿と幸薄そうな歌詞の相乗効果で涙を誘う……。次はいい女と幸せになる歌を歌っておくれ。どこの誰だよ、こんな綺麗な橋本くんを袖にする女は…⁈と実在しない女にイライラする数分間でした。
🌟ドキナツ2017
🌟テレパシーOne! Two!
戸塚くんにはそんな私たちの心の声が聞こえていたかな?と思う落差です。
五周年にメンバー作詞で作る曲がこれってA.B.C-Zってすごいグループだと思いませんか?どんだけハッピーでピースフルなおじさんたちなの、いつまで中学生みたいな気持ちで生きてるの、優勝!!
A.B.C-ZA.B.C-ZによるA.B.C-Zのための一曲でした。幸せ過ぎてついつい笑顔が溢れちゃう。
そして、テレワン。本当にこの曲歌ってもらって良かった。でも、もしこの曲を歌ったのが去年だったら一昨年だったら、こんな風にハッピーな気持ちになれなかったかもしれないなと思いました。ステージの上の五人ももしかしたらこんなにいい雰囲気じゃなかったかもなぁなんて。全ては想像だけど。
この二曲を聴いてると、何故か自分がジャニオタ一年生だった頃を思い出すんです。コンサートが楽しくて、アイドルと一緒にキラキラした時間を過ごしてるのが幸せで、気をつかわない仲間たちと笑いながらステージに向かって声を上げていた時間。ずっとずっとこの幸せな時間が続いて欲しいなぁって思っていた最高に楽しい時間。
感じ方については、私の気持ちの変化もきっとあるんだろうけど、どこか懐かしくて幸せな二曲でした。
仙台では噂の公私混同「僕と塚田のパスワード」を聞けたのもハッピーすぎて良かったです。
🌟Za ABC 〜5stars〜
前回書いたブログでも少し触れたので割愛するけれど、やっぱりデビュー曲って特別でした。
直前のこれまでのMVを巻き戻していくVTRも感慨深かったです。
〜EC〜
🌟Shower Gate
ペンラ芸コーナー。やっぱ綺麗だなー。みーんな素直に消すから、A.B.C-Zのファンってすごいねと思いました。
🌟Twinkle Twinkle A.B.C-Z
🌟挨拶
いきあたりばったりな挨拶が可愛い戸塚くんですが、仙台では結構まとまったことを言ってたので、きっとこれはちゃんと考えてきたんだろうなぁと思いました。偶数で刻んできた時は何が起こったのかと思ったけど。
確かに戸塚くんの言う通り、この五年間派手な活動があったわけではないかもしれないけれど、だからこそ、こういう優しさに溢れるような空気感が作れたんじゃないかな。五年前の自分に今の自分が最高だって堂々と言ってくれる戸塚くんはとてもかっこよかった。
ちょっとはしとつの話をすると、橋本くんが戸塚くんのことを最後まで気にかけてくれたのもとてもありがたかったです。はしとつって似ているところがあるし、橋本くんは自分で自分のソロコン作り上げることをしているから、より戸塚くんのナーバスさが伝わったのかなぁと思います。これまで同じように戸塚くんが橋本くんをフォローすることもあったんだろうなぁと思います。それを確りと返してくれる橋本くんは最高にいい男でした。大きくなったね。
🌟サポーターズ
楽しかったー!楽しかったんだよ!!
いっぱい言いたいことあるから、これは後述。
〜WEC〜

例のあれです。ルーレットで恥ずかしい映像を公開されることになった五関くんの映像が満を辞してここで登場。

忘年会で五関くんが泣いた話を聞いた時に、どういうことよ…と思っていましたが、こういうことだったんですね。彼らにとって昨年はちょっと辛い一年だったのかな。なんだかちょっとずつうまくかみ合っていないというか、言いたいことをぐっと飲み込んでしまうような一年だったのかなぁなんて、少し思うこともあったりして。

A.B.C-Zってとても模範的というか優等生なグループだと思います。それぞれ個性はあるんだけど、仕事のためにはその個性を少し抑えて全体最適を目指せるような。

思ってること言えばいいのにな、なんて傍観者は言えるけど、彼らには出来ない事情があったのかもしれない。

何度か語られた忘年会の話は、そんなフラストレーションを発散することが出来るいい機会だったんだろうなと思っていました。五周年に向けて一度リセットして新たなスタートを切る機会になったんだろうなって。

そんな忘年会のまさかの流出映像だったわけですが、恥ずかしいというよりいい話過ぎて会場全体が興奮しながらも息を呑むという不思議な感じ。

戸塚くん、抱き締めてたとは聞いていたけど、そんながっつり抱き締めてるとは思わなかったよ。しかもなだめるように腕を擦っているのが、もう堪らなかった。

そっと手を差し伸べるイメージが強い戸塚くんだけど、やっぱりその胸の内には熱い炎を秘めているんだなと思いました。
🌟ずっとLOVE
〜TEC〜
もう終わっちゃうかなぁと思ったんだけど、もう一度出てきてくれた。んだけど、なぜかちょっと叱られる。さよならの寂しさを消そうとしてくれているのだと私は捉えました。
普通に袖にはけていくA.B.C-Zの背中を見ながら、Endless Summer Magicの歌詞が流れていきました。
夏は終わるけれど、終わりじゃない。今年の夏は終わってしまうけど、終わりじゃないね!

 

***

今春にSexyZoneの五周年コンサートを経験して、そちらはすごくドラマティックでもう涙なしには語れないような内容だったのだけど、きっと夏のA.B.C-Zのコンサートはこういう風にはならないんだろうなと思っていました。別にそれは悪い意味ではなくて、A.B.C-Zって辛い時でも苦しい時でもとにかく辛い表情は見せず笑って前を向いて進んでいくというようなプロ意識とポジティブさがあるグループだと思っていたから。
蓋を開けてみて、やっぱりベースにあるのは「楽しい」なんだけど、ただ「楽しい」だけじゃないコンサートになったなぁと思いました。
楽しくて、あたたかかった。

さっきも少し触れたけれど、A.B.C-Zって本当に優等生だなぁと思います。何事もそつなくこなしていけるようなグループ。一人一人は別に優等生っていうわけではないんだけど、グループになるとそうなっちゃうのすごく不思議。それはきっと、彼らが長い間先輩のバックで経験を積んで、仕事とはなんたるかをその目で見てとその体で覚えてきたからなのだと思います。

凸凹 の凸の面を少しずつひっこめて、引っ掛かりのないようにスムーズに進むように均一な自分たちの成果物を生み出すことが出来る。それってとても素晴らしいことで、きっと作り手側からしたらありがたいことなんだろうけど、時には面白みに欠けてしまうこともある。

もっと伸び伸びしてほしいなぁ、いびつでもいいからありのままの「今」の彼らを見せてくれたらなぁ、なんて私は思っていました。

Rebootの発売あたりから(本当はきっと忘年会あたりから)なんだか目に見える彼らも少しずつ変わってきたように思っていて、個人個人でも充実した仕事があったり、刺激を受けることあったりしたことも関係しているとは思うけど、なんとなく「今」の彼らはとてもいい関係なんじゃないかなぁと思っていて、それがこのコンサートを通して、気のせいじゃなかったんだなぁって思えるようになりました。

塚田くんと橋本くんの怪我というハプニングもあって、きっと望む形では終えられなかったと思います。でも、次はもっと素敵なコンサートになるなぁと確信できるコンサートでした。だって、楽しそうだったから。

コンサートを楽しんでほしい。毎年毎年私は思い続けてきました。楽しんでたよ!という人もいると思います。でも、私はまだまだ楽しめるよと思ってしまっていた。こんなことを思ってしまって、本当にごめんなさい。

でも、もう今年は思わなかった。だって、楽しそうだったから。そして、楽しかったから。

詰まる所、私の楽しさの理由って、みんなが楽しそうだからなんだなぁと思います。楽しいってすごい感染力。特に好きな人が楽しそうだと絶対に抗えない。

そういえば、仙台のオーラスで一人一人挨拶をした後にサポーターズを歌って、客席が大きな声を上げているのを見ている五人を見ながら、胸の中にキラキラした思い出が蘇ってきました。私がA.B.C-Zっていいなと思ったワーホリの最終回、シドニーに向かう車の中で夢を語ってくれた五人。ゴールしたシドニーでお互いに感謝の気持ちを伝えあった五人。それを見ながら、あの時感じたすごく眩しくてすごく幸せで希望に満ちた感覚。これから何かが始まっていくという感覚。A.B.C-Zを好きになってよかった。「今」のA.B.C-Zが本当に大好き!

終わった後、本当にいい話だったなぁと一つの物語を見終わった気持ちになりました。ゴールではないけれど、ここまでの五年間は彼らが紡ぐ物語の第一章だったのではないでしょうか。第二章でどんな出来事が待ち受けているのかその道はどこに続いているのか。未知の先に在るものを知ることは出来ないけれど、今はすごく楽観的になっています。きっと良いことしかないやって。

もしかしたら、来年の今頃にはまた暗い気持ちになっているかもしれないけど、その時にまたこの気持ちを思い出せるようにこの記事を書きました。それぐらいキラキラしてた。最高だった!みんなもそうだよね?!

 

最後に戸塚くんの話をします。

戸塚くん、本当によく頑張りました!と心の底から思います。戸塚くんのことだから、色々悩み苦しんだんだろうなぁと思います。でも、その苦しみを乗り越えてくれた戸塚くんはとても輝いて見えました。ホールの戸塚くん、緊張から解き放たれてすごく良い顔してた。最高。
今回のセットリストを、構成を、戸塚くんがどういう気持ちで考えていたのかなぁと思うとすごく胸に来るものがあります。

リミックスのところで触れたけれど、戸塚くんってつながり・循環といったイメージをとても大事にしているんじゃないかなぁと思うことが良くあります。特に戸塚くんの書く文章や歌詞に顕著に表れているように感じて、家族の話もそうだし、歌詞の頻出語句であるバトン*1というワードもそう。誰かのおかげで自分がいるとか、与える⇔与えられるがセットになっているということも。

彼の中で、つながっていたり、循環しているものって何なのだろうと思うと、やっぱり「愛」なんじゃないかなぁと思うんです。

戸塚くんの行動や言葉から感じる「愛」はすごく柔らかくて優しいなと思います。きっとそれは戸塚くん自身が与えられてきた「愛」がそんなかたちをしていたからなのかなぁ。そんなことを考えているとそれを次の誰かに渡していくために戸塚くんは生まれてきたんじゃないかな・アイドルになったんじゃないかな。すごい、やばい、愛の戦士じゃん。みたいな気持ちになりませんか?

今回のコンサートは本当に戸塚くんの「愛」に溢れていたような気がします。最たるものはやっぱりサポーターズ。たぶん、A.B.C-Zの他の誰かがセットリストを考えたらこの曲をここには持ってこなかったんじゃないかな。歌わなかったんじゃないかな。

応援屋の期間中に戸塚くんが好きな曲ってなんだろうね?という話になった時に、私はきっとサポーターズだなぁと思いました。この歌歌ってる時の戸塚くんの表情の晴れやかさといったらもう。応援屋のコンセプトでもあった「幸せを循環させる」という言葉が色濃く表れていたこの曲は戸塚くんにとったらすごく素敵な曲だっただろうなと思います。

今回のツアー中ずっとLOVE合戦しよう!と言い続けた戸塚くん。感謝や愛を受け取って、それを返していこうとした戸塚くん。すごくかっこよくありませんか?かっこいいです。本当に「愛」の人なんだなぁと改めて思いました。

そんな戸塚くんの「愛」をしっかり受け止めて最高の形にしてくれたメンバーやスタッフの方には感謝しかないです。

私が見ていない序盤ではちょっとうまく自分と付き合えなかったのかもしれないけど、それ以降はとてもいい表情をしていました。

伝伝*2の言葉を借りると「今」をしっかり生きていた。四人と一緒に「今」をしっかり生きていた。それも、とびきり楽しそうに、戸塚くんらしく。

戸塚くんが戸塚くんで在ってくれることが本当に嬉しいなぁと改めて思いました。バンダナ見れてよかった。戸塚くんの考えてること知れてよかった。戸塚くんの笑顔が見れてよかった。

戸塚くんが「今」を生き始めた五周年、2017年。戸塚祥太の「今」をしっかり目に焼き付けてやるぞ!と私は、また新たな気持ちで戸塚担を始めていこうと思います。

心の底から、戸塚くんが好き!!!!!!!

 

今年の夏の物語は終わってしまったけど、A.B.C-Zの物語は現在進行形で真っ白なページに一文字一文字綴られていっていると考えるとなんだか寂しくないなぁ。びっくり。

その物語を楽しみつつ、また来年の夏を心待ちにしようと思います。

本当に楽しい思い出をありがとう!A.B.C-Zが大好き!

*1:ソロ曲「ドラマ」「Dolphin」

*2:公式サイト個人連載「伝打伝助」2017/9/17更新分

この世は沼ばかり〜ジャニオタがFantasy on Ice 2017に行ってきた話〜

足を踏み入れてはいけないと思っていたものの一つにとうとう足を踏み入れることとなったので、ご報告をさせていただきます。

生まれてこのかたうん十年、ジャニーズ畑の真ん中でぬくぬくと育ってきた私にとって未知の世界ではありましたが、驚くほどジャニオタのツボを刺激するポイントが溢れていました。
私が富豪なら、フィギュアスケートにちょっと興味があるという世のジャニオタ全員にチケットをプレゼントしたい。私が連れて行ってあげる!と言いたい。
残念ながら富豪ではないので、1えび座〜2ジャニワの間の価格帯のアイスショーのチケットなどプレゼント出来ません。

全く別のものだとわかっていて、アイスショーアイスショーで楽しんだんだけど、時折潜在的なジャニオタ魂に訴えかけられので、その辺を中心に残しておこうと思います。

※後半はただただ私がスケーターに沸いているだけです。

 

さて、今回アイスショー行ってみよっかな?となったきっかけは、某フィギュアスケートアニメかなと思います。しかし、もともと大ちゃんこと高橋大輔さんがすごく好きだった私にとってフィギュアスケートは遠くはない存在でした。

行ってみよっかな、なんて気軽な気持ちでデビューしてみたものの、チケット取るの大変なんですね。今回はお相伴にあずかったのですが、来年以降怖い。

競技のオフシーズンはアイスショーがあるということを知ってはいましたが、内容は未知なのでおっかなびっくりで向かった幕張メッセ

どんな感じなのか想像もつかないって緊張しますね。久々に現場前に緊張した。最近、コンサートや舞台じゃ初日だろうがオーラスだろうが全く緊張しなくなってた私にとっては懐かしい感覚でした。ただ幕張はめちゃめちゃ遠くて心折れた。

会場に入ってまずリンクサイドの壁がないことに驚きました。ショートサイドのお席だったんですが、客席から1メートルもない場所までリンクがあって、こんな近くで見れるんだなぁとびっくり。

あと寒かった。連れて行ってくださった方に寒いと言われていたので膝掛けを持っていっていたから耐えられたものの足元から冷気がすごい。冷える。

会場の中は、照明がキラキラしてて、結構大音量で音楽が鳴ってて「これはコンサートですか?」と戸惑い、客電が落ちてオープニングが始まった瞬間「やっぱりこれはコンサートでは?」と疑い、終わった後には「結果、コンサートだった!」と確信しながら帰ってきました。

生演奏もあるので本当にコンサートではあるものの、私が言いたいのは『ジャニオタ的イメージのジャニーズのコンサートと通ずる部分があった』ということです。

 

例えば、オープニングやエンディング。出演者が総出で氷上で踊る姿。国内外の有名スケーターが一つのリンクの上で、一緒に滑って、楽しそうに踊ってるわけですよ。

ここは天国かな?

※幕張公演の出演スケーターはこちらでご確認ください。

Fantasy on Ice 2017 | ファンタジー・オン・アイス 2017 公式サイト / スケーター紹介や公演日程、チケット情報など

私がフィギュアスケートを一番よく見ていたのはトリノ五輪からバンクーバー五輪あたり、といったところでフィギュアスケートに明るい方はお分かりになると思いますが、はっきり言って神が一堂に会したレベル。

その錚々たる面子が、同じステージ(リンク)の上で踊る(滑る)んですよ。

ジャニオタ的にわかりやすく例えれば、ジャニーズカウントダウンコンサートかジャニーズワールド(初演)かな。東西南北 老若男女 過去の自担、現在の自担、未来の自担が同じ板の上に勢揃いしてしまうあの感じ。

豪華過ぎて目が二つじゃ足りない。私は、百目になりたい。

 

あと、歓声の温度感がコンサート過ぎました。

オープニングで満を辞して羽生くんが登場した瞬間、幕張メッセ揺れたよね。

個人的にはあのレベルの歓声を巻き起こせるのは、山田涼介(Hey!Say!JUMP)か、羽生結弦か、というところです。

件の羽生くんについて、私個人としては普通に応援はするけれど、そこまで好きではないと思っていたわけです。

そう、生の彼を見るまでは。

いやー、びっくりした。すごく……なんていうか……美しかった。美しかったんですよ。彼の周りだけ光の粉でも舞ってるのかな、と錯覚するほどキラキラ輝いていた。すごい。

最初は歓声がすごくて驚いてしまいましたが、見れば見るほど、歓声が湧き起こるのも当たり前だなぁという気持ちになり、結果的には冷静に見ることが出来なくなってしまいました。

※羽生くんについての色々は後述。

 

アイスショー全体の流れとしては、全員でのOP後、アーティストとのコラボとスケーター一人一人がプログラムを滑るパートが順々にあるような感じ。1時間半ぐらいで休憩時間を挟んで、後半パートへ。こちらも同様にアーティストとのコラボと一人一人のプロ。そして、エンディングにもう一度全員でのスケーティングという形です。

ざっくりいうと、ソロがたくさんあるコンサートをイメージしてください。

正直、行く前は3時間(予定)も見てられるかなぁと不安だったんですが、始まってみると本当にあっという間の時間でした。

スケーターが変わるというのもあるし、構成としても飽きさせないように緩急がついていて、ショーとしてとても楽しかったです。

最初から最後まで本当に全く飽きることなく楽しめた3時間半(結果)でした。

あと、時間と同列ぐらいで不安だったのが、画角的に楽しめるかということ。

テレビ放送だといい感じにカメラが追ってくれて、常にそこそこいい画角で見せてくれるけれど、生ってことは定点観測なわけで、それってどうなのかなぁ…って思ってたんですけど、全く無駄な心配でした。全然大丈夫。

 

フィナーレ的な部分では、いつもコンサートで感じている、あぁ……終わっちゃう、終わってほしくないなぁ……、という気持ちにもなりました。

本当に夢みたいな時間でした。

コンサートとアイスショー、会場の雰囲気だとかプログラムとかそういう部分で似通っている部分もあるけれど、やっぱり一番似ているのは本質的な部分だと思います。同じように夢みたいな世界でした。

夢を見ていられるのはたったの数時間で、夢から醒めると現実の世界に戻ってしまうけれど、その瞬間の煌めきと感動を心の中に残してくれる。かっこよくて綺麗で美しくて気高い、魔法使いみたいな人たちが集まっている素晴らしい空間。そりゃ楽しくないわけがない。

 

競技としてのフィギュアスケートは、技術や芸術性を競うものだから緊張感もあるし、何よりも彼らはアスリートの表情をしていて、見ている側としても楽しむというよりは応援するという気持ちになってしまいます。

でも、アイスショーの彼らは、スケートが上手でスケートが好きなエンターテイナーの表情をしているように思います。のびやかで楽しそうな、ある意味子供のような表情。それを見ているとやっぱり楽しくなっちゃう。

テレビでは競技者としての一面しか見れていないんだなぁと思うと、なんだかもったいないなぁという気持ちになってしまいました。

この数年間、行こう行こうと思いながら、ずっと行かずにいたことが勿体無かった。

興味があるならぜひ行ってください、と心から思います。ほんと楽しいから。

でもね、気をつけた方がいい。ここもきっと沼です。

 

***

 

さて、せっかくなので、私が感じた特に印象に残った出演者についてメモ書き。

イメージとフィーリングなので、違う部分があったらすみません。一応Wikipediaは見ましたが(笑)、全然知識がない!詳しい方がいらっしゃったら、訂正がてら是非色々教えてください。全体的に敬称略。

そして、お気付きかと思いますが、私は!男子フィギュアが!好きです!

(女子に対する記述が少なくてすみません) 

◆アンナ・カッペリーニ / ルカ・ラノッテ

競技ではなかなか見る機会がないアイスダンス。ちゃんと見たのはこの日が初めて出来たが、本当に綺麗でドキドキしてしまいました。見惚れることが本当に多かった。

当たり前ですが、二人だからこそできる表現というのがとても多くて、シングルにはない美しさと見応えがありました。

テレビ放送が少ないせいもあり、なかなか見ることがない種目だったけど、もっと見てみたいなぁと思いました。

ハビエル・フェルナンデス

安藤美姫の彼、というイメージが強すぎた彼。二曲のプロのうちの一曲を彼女がお手伝いしていたのは期待を裏切らなかった(笑)

コミカルでユーモア溢れる演技をする選手というイメージ通り、とても楽しませてくれました。表現としてはおどけていて可愛らしさがあるんだけど、力強さも感じられ見応えがあります。

◆エラジ・バルデ

はじめまして、のスケーターでしたが、とにかく大活躍だった!いうなれば仕事人の出来ジュです。

身体能力がとにかく高い。バックスピン(要するにバク宙)を連発していました。くるっくるまわる。塚田くんかな?

楽しそうに滑っているので見ていて楽しくなる。そういうところも仕事人。

エフゲニー・プルシェンコ

フィギュアスケート界のレジェンド。

オーラがすごい。リンクの上にいると視線が吸い寄せられます。ブラックホールかな。これだけ錚々たるメンツの中でも少し格が違うなぁと思ってしまうほどでした。

立ち姿が美しい、ジャンプが高い。一瞬で場の空気を作って、観客を彼の世界へと引き摺り込んでしまう。

すごいことは知っていたけれど、本当にすごかったです。

二曲滑ったうち、一曲目の東日本大地震の被災者の方へ捧げるプログラム。表現の仕方が芸術家でした。終わった後、なんだかよくわからないけどすごいものを見てしまったなぁと思う。

二曲目は、Sex Bomb。有名なEXナンバーらしいですね!私はここで初めて見たから、度肝を抜かれてしまいました。こんな面白いこともするんだ……と思ったけれど、ググってるとスケートの上手い芸人なのかな?と思う動画がザクザク出てきてびっくり。

100回見たら100回唖然とするし笑える。

プルシェンコ 2001 画質良好SexBomb - niconico

一人で滑ってる時ももちろんすごいんだけど、大勢の中にいてもオーラがすごかった。見ちゃう。

ステファン・ランビエール

王子様だった。優雅すぎる。貴族みたい。王子様だった。

清塚信也のピアノに合わせての戦場のメリークリスマスとプリンスのSometimes It Snows In April。どっちも素晴らしかったんだけど、プリンスの方は衣装も含めて本気で王子様かな?と思いました。なぜ放送してくれなかった……。

流水みたいに滑らかな滑りがとても印象的でした。全部がきちんと繋がっていて、説得力がある。変な表現だけど、一筆書きをしてるみたいな滑りだと感じました。スピンはやっぱりすごく綺麗。ため息出ちゃう。

あと、フィナーレでリンクのギリギリまで滑ってきてくれるところで目の前がランビだったのだけど、ひとつふたつズレたとこにスイスの国旗を持った方が居て、すかさず彼女のところにサービスして去っていくところも王子様すぎました。

すごくどうでもいいけど、彼の身のこなしを見ていると、戸塚担の血が騒ぎます。ちょっと似た空気感がある。

※後日動画をたくさん見ていたら、若い頃の落ち着きのない会見動画が散見されてとってもキュートな人なんだなぁと驚きました。ジョニーと戯れてるのかわいい。時々小学生男子(もしくは幼女)に見えるのなんでですか?

※一日一回見てる動画 【KOI】ツンデレジョニーとしょんぼりランビ【保護者ジュベ】 - niconico

ジェフリー・バトル

とてもダンサブルなプログラムだったのだけど、本当に氷の上で踊っていた。マジで踊ってた。体の使い方は見慣れているダンスに近いものなのだけど、それが氷上を滑りながらだとこういう表現になるんだなぁと感心しました。活き活きと楽しそうに踊っているから、見ているこちらの気持ちも高揚していきます。やんちゃな男の子みたいで可愛かった。

彼自身のプログラムもさることながら、OPとEDでは振付師としても大活躍で、盛り上げ方がすごいなぁと思いました。 

ジョニー・ウィアー

大ちゃんと並んで好きだったスケーターです。通称ジョニ子。彼のスケートの独特の世界観や常に背後に薔薇を背負っているようなお耽美な雰囲気がとにかく好きで、ジョニーが滑る間は瞬きするのすら惜しいと思っていました。そして、中性的な容姿がとても魅力的に感じていました。密かに妖精と呼んでいた。

そんなジョニーが清塚さんのピアノに合わせて滑るBaby, God Bless You。切なさと優しさが溢れる演技で胸が締め付けられました。ジョニーの素晴らしい表現力が前面に出ていて思わず涙が溢れました。すごく美しかった。綺麗よ、ジョニー……。

表現は繊細で柔らかなんだけど、滑りは力強くてしなやかなところがたまらなく好きです。弾力性があって安定感のあるスケーティングだと思います。体幹がしっかりしてるのかな。

しかし、これはなぜ放送されなかったのでしょうか? ちょっと根に持ちそうです。後半のHow it Endsもよかったけど、私はBaby〜が好きだったから本当に悲しい。

そして、ジョニーはいまだに可愛かったです!若い頃のジョニーは本当に妖精みたいな可憐さだったけど、三十路を過ぎたジョニーはセクシーでかわいい!エロかわいい!という感じでした。

※ジャニオタ的にはランビが白王子でジョニーが黒王子のシンメだったら、女子供に精神的な死をもたらせるほど最強だろうなぁと思いました。(すぐこういうこと言う) 

安藤美姫

結構意外だったのが彼女。すごく好きなスケーティングだった。

女性らしさと力強さがいいバランスで共存している感じ。ある意味男性的な表現だなぁと感じるところがあって逞しい女性だなぁと思いました。

織田信成

好感しかない。大黒摩季とのコラボで、本当に楽しそうに滑っていてこちらも幸せな気分になりました。人柄がでるというか、とにかく会場が明るくなる。

思いの外近くで見る瞬間があったのだけど、すごく自然体でそこも好ましかったです。 

◆本田真凛

細くて可愛かった。新しいEXプログラムだったのだけど、小悪魔な感じがキュートでした。とても彼女に似合っていたと思います。こういう曲を出来る時間は限られてるから、子供から大人に向かう今この瞬間に選ぶ曲としてはすごく最適ではないでしょうか。本当に可愛かった。 

宇野昌磨

想像以上に小さくて可愛かった。このメンツの中にいるからか余計に子供に見える。男の子ではあるものの可憐という言葉がよく似合う。

でも、スケーティングは本当に素敵だった。すごく滑らかで伸びやか。滑っている時は、表情がとても精悍でそのギャップも堪らない。 

羽生結弦

当たり前のことを言いますが、羽生くんってとてもスケートが上手なんだなぁと思いました。スピード感やジャンプの高さ、回転速度までなんだかすごかった。上手い下手を判断できる程の目はないんだけど、素人目に見てもとにかく研ぎ澄まされていた。否応無しに圧倒されてしまう感じ。

オーラもすごい。彼を中心に据えた演出になっているということもあるんだろうけど、とにかく目立つ。キラッキラしてる。

あと、気迫がすごかったです。テレビで見てる時にも思っていましたが、演技中の羽生くんは、生きるか死ぬかの戦場にいるような目をしています。集中力がすごい。

一つ次元を飛び越えて、高次な空間に存在しているみたい。綺麗とか美しいとかかっこいいとか、そういうレベルじゃなかったです。いい意味で鬼気迫っていて怖かった。点数もつかないし誰かと競うわけでもないアイスショーでこんな雰囲気を感じるんだから、試合の時はどうなっちゃうんだろうと思いました。

当たり前のことですが、やっぱり人気がすごいですね。彼が登場した瞬間、会場が揺れる。まじで揺れる。会場全体が待ち侘びていた感じがひしひしと伝わってきます。

滑ったのは、今期のSPバラ1。4T-3Tのコンビネーションまで入れててまるで試合みたいでした。滑り終わって、アイスショーなのに納得いかないという表情をしていたのも印象的でしたね。いつでも自分と戦っているんだね……。

※これ以上ハマるのが怖いので、彼の動画はあまり見れません。それをやったらもう終わる。

 

ところで、一週間見るのを我慢したテレビ放送を見ながら書いたんですが、私が見たいところが全然放送されなかったのびっくりした!残念!そして、カメラが追うところが私が見たいところじゃないいいいってなりました。マルチアングル……マルチアングルください……

人生で一番いいコンサートを経験しました〜Sexy Tour2017 STAGE〜

Sexy Tour2017 STAGEに行ってきました!

よかった!すごくよかった!!

こんなコンサート出来ちゃうんだなぁ!5年ってすごいな!

そして、やっぱり、5人でこの瞬間を迎えられてよかった!!!!

それに尽きます。

振り返ろうと思うとこの5年間が走馬灯のように駆け抜けて、もう私死ぬのかなぁ、でもこれで死ねるなら本望だなぁと思いました。

ジャニオタ冥利につきます。

 

5年前、初めてのSexy Zoneの現場は2012.2.12の国際フォーラムでした。

デビュー当時、仲良くしてくれているお友達の間ではとても話題になっていたし、なんとなく漂うお祝いムードみたいなものは感じていたけれど、その頃の私はそこまで興味を持っていなかったです。

興味を持ったきっかけは、当時お友達と行ったファンの方主催?のクラブを貸し切ってのオールナイトイベントで、デビュー曲Sexy Zoneが流れた瞬間の異常な盛り上がりに圧倒されたこと。

周りの盛り上がりもさることながら、私自身もSexyZoneのイントロのドラマチックさで、何かが始まる時のワクワクドキドキする感覚を覚えて、一気にアドレナリンが放出されました。そうして、メンバーの名前と顔も一致していないにも関わらず、急に気になる存在となったのでした。

そんな気持ちのままにお友達についていく形で行ったのが国際フォーラムでのファーストコンでした。

あれから5年。盛り上がり盛り下がりはあったし、ずっと全力だったわけでもないし、一番だったわけでもないけれど、まさかこんな長い間好きでいられるなんて。当時の私はまったく想像していなかったと思います。

 

ところで、5年ってあっという間だけど案外長いんですよね。

産まれたての赤ちゃんがハイハイし始めて、立って歩いて、言葉を話し始めて、もう来年は小学一年生だね〜ってぐらいの年月なんですよね。

ということで、5年前と今の私の中の5人とSexy Zoneの話をします。

今も昔も基本的に現場オンリーで知らないことの方が多いので、あくまでイメージです。

 

🌹マリ🌹

5年前:お人形さん(リカちゃん系)。かわいい。日本語がんばって。\ほとんどだけどー/

今:お人形さん(バービー系)。感性がすごい。

何を隠そう、私がファーストコンで買ったうちわはマリウスくんでした。

どうだ、驚きだろう??

とにかく可愛くて可愛くて可愛かった。日本語もそんなに上手ではなくて、不安なりに笑顔を振り撒いているマリウスくんが健気で可愛かった。

それがどんどんどんどん背が伸びて、今では180センチ?どうなってるんだ。

昔は本当に子供で、風磨くんが愛情ゆえに揶揄うともうっ!ってなっちゃうこともあったけれど、今ではうまく受け流せるようになったマリウスくんの成長がMCの平和さを生みました。おかげで私の心の平穏が保たれています。

カタコトだった日本語もめきめき上達したね。歌や踊りだけでなく、生活の基盤まで変わってたくさんの初めてを抱え、誰よりも学ぶことが多かったであろう彼が、今こうして遜色ないパフォーマンスを実現できるのは、紛れも彼の無い努力の成果だと思います。

マリウスくんの努力を当たり前のように受け止めているところや、みんなを幸せにするのが夢!それが嬉しい!と胸を張って言える素直さが素晴らしいと思います。純粋培養すぎて、親御さんに子育て本を出版してもらいたいジャニーズNo. 1。

マリウスくんの感性には何度もハッとさせられたことがあります。大人に近付いてもその感性が失われていないのはとても喜ばしいことで、Sexy Zoneにとっても財産だと思います。
いつか、マリウスくんが考えたコンサートが見てみたい。それまでは死ねないなと思います。

 

🌹聡ちゃん🌹
5年前:小さい動物のようだ。歌声が綺麗。ファンサが丁寧。\ほとんどだけどー/

今:努力家で頑張り屋さん。前に向かって進んでいく力がすごい。上昇志向。

小さい頃は、小動物感がすごかった。ニコニコ笑って客席に手を振ってる印象がとても強いです。セクゾコンに行くまであまりファンサというものに縁がなかった私が、あ、ファンサってこういうものね!と実感したのは聡ちゃんを見てからでした。

歌声がとても綺麗。声変わり前の聡ちゃんの天使のような歌声がすごく好きでしたが、声変わりを経た、綺麗で優しい耳に馴染む声も大好きです。その声でまっすぐに歌う聡ちゃんの歌がとても好きです。

ダンスもピカイチで、いつも一生懸命。小さな体を物ともせず、全身をフル活用したダンスはステージの上でひときわ際立つ存在感を放っています。

マリウスくんと同じく、今そういう風に感じられるのも、それ相応の努力があったからなんだろうなぁと思います。

最近では、聡ちゃんの上昇志向が、Sexy Zoneの雰囲気をとても良いものにしていると思います。

いつもにこにこしていてあまり自分を見せない聡ちゃんだけど、言わずもがな悔しい思いをしたこともあるだろうし、その思いをバネに頑張った部分もあるのではないかなと思います。

最近の緑のペンラ率は、成長ももちろんあるだろうけれど、聡ちゃん自身の努力で勝ち取ったものではないかなぁとぼんやり思うことがあったりします。

聡ちゃんって案外頑固で意思が強そうだなと思うことがありますが、そんな直向きさをSexy Zoneというグループに持ち帰ってくれた聡ちゃんに感謝しています。  

 

🌹勝利🌹

5年前:神様に作られた美しきエリート。顔小さい。頑張れ、頑張れ…。

今:誠実で優しい。容姿に内面の美しさが滲み出ている。Sexy Zoneの安定感担当。

天は二物を与えずというけれど、そんな言葉が嘘だということを体現している美しき私たちのセンター。

恵まれ過ぎた容姿に最初はとにかく驚愕しました。こんな綺麗な顔の子がいるんだなぁ〜と感心してしまいました。そのまま大人になったのも奇跡だと思います。ビジュアル面では安定感半端ない。

一方で、私が心の中で(頑張れ、頑張れ……)と呟いた回数は一番多いと思います。親のような目で見守り続けていましたが、今は全然!全く!心配ない!安心安全の我が軍のゼロ番です。

昔はただただ綺麗な子という印象だった勝利も、今では深みのある美しい人になりました。

センターに立っているからこそ、Sexy Zoneを背負っているからこそ、きっと遣る瀬無さを感じることもあったのではないかなぁと思います。その想いを歌や言葉を通して、どうにかして伝えようと努力してくれる勝利はとても優しいし誠実な人だと思います。

案外感激屋で泣き虫なところも可愛い。そのまっすぐさが安心感を生んでいます。

トーク面では、てんでバラバラでボケたがりと天然しかいないSexy Zoneの中で、唯一の良心となるツッコミ役に成長してくれたこともとても喜ばしいことです。

 

🌹風磨くん🌹

5年前:爆モテ。スクールカーストてっぺんのノリがこわい。見ててハラハラする。

今:白くてかわいい、マシュマロかな?情に厚くていいやつ。私の中のオンナを呼び起こす。

たぶん周りからすると、私が風磨くんを好きになることは予定調和だったと思いますし、私自身も今ではなるべくしてそうなったと思っていますが、最初はとにかく怖くて苦手でした!

今までの人生で、スクールカースト上位の男子は怖いとか、ガキ大将タイプ怖いとか刷り込みされていたから、なんとなく苦手だったんです。

それがどういうことかうちわを持つようになり、あまつさえ私史上初のファンサ落ちというものを経験したのも風磨くんでした。ファンサもらうと肌が綺麗になるって本当だったんだなぁと翌日しみじみ思いました。

そんなきっかけのせいもあり、風磨くんのうちわを持っている私はただのオンナに成り下がっています。

基本はふわふわのマシュマロなので、かわいいかわいいと愛でているけれど、ちょっと褒めてくれたり微笑みかけてくれたり手振ってくれたりするとただのオンナになるんです、自分がこわい。

昔は今日のご機嫌はどうかな?とハラハラすることもあったり、反抗期の風磨くんを許容できなかったこともあったけど、今ではすっかり丸くなって、仲間思いで情に厚いところが前面に出る“いいやつ”になってくれたことが私は本当に嬉しいです。

正直、23歳ぐらいまでは彼の反抗期に付き合うつもりでした。思ったよりも早く雪解けがやってきて肩透かしをくらいつつも、本当に本当に良かったと思っています。

ジャニオタ人生の中で特別な自担のひとりです。今後ともよろしくお願いします。

 

🌹健人くん🌹

5年前:なんだかよくわかんないけど、人生楽しんでそうだし、アイドル楽しんでそう。あと顔がかわいい。

今:人生楽しんでそうだし、アイドル楽しんでそう。大人。

デビュー当時はまだしも日に日にインパクトが強くなっていって、とにかくインパクトが強くてキャラが強烈だった。

とにかくインパクトが強くてキャラが強烈だった。

割と顔から好きになる私にとって、こんなに顔がかわいいのに、担当に出来そうにないことってあるんだなぁ〜とつくづく思った人でした。

本当はどんな人なんだろう……?と考え続け5年。今になってやっと、本当も何も本当に彼はこのままの人なのかもしれない、と思えるようになった人。

パーソナリティがわかりにくいというか、あまりに現実離れしすぎていて、神様に選ばれアイドルとして生まれついた人間なのか、はたまた現在のアイドル事情を憂慮した未来人が人類の叡智の結晶として産み出し現代に送り込んだアイドル特化型アンドロイドなのか、はてどっちだ?と思っていました。もちろん、人間ですけども。

今考えると、デビュー間もない頃から、健人は考え方が大人だったのかなぁと思います。それは彼の頭の良さゆえ。

私には物分かりがよすぎるように見えてしまった時期もあったんだけど、それも健人が大人だったからなのかなと思いました。

昔は、自分がSexy Zoneを引っ張らないと!頑張らないと!と孤軍奮闘しているなぁと感じることもあったけれど、最近はメンバーの成長とグループの雰囲気の良さからか、少し肩の力を抜いて遠くから眺めていることも多くなったように思います。なかなか休日のお父さん感もしくは子育てを終えたお母さん感が出てきていて愛おしいです。

 

🌹Sexy Zone🌹

5年前:キラキラアイドル。ふまけんとちびーず。

今:中身もキラキラなアイドル。みんないい子すぎて100回は産んだ。5人でSexy Zone

冒頭でも触れた通り、デビュー時のキラキラ輝いて希望に満ち溢れているSexy Zoneから5年。

こんなに紆余曲折あるアイドルって他にはいないだろうし、今後一切出てきてほしくないと思っています。

メンバーが脱退することは他のグループに担当がいた時にも経験していたけれど、脱退ではなくて分裂のような形になることなんて前代未聞だろうと思っています。

デビューからしばらくは、ふまけんとちびーずの間にある壁というものをひしひしと感じたし、上手く噛み合わない歯車を誤魔化しながらどうにかこうにか回している感覚もありました。

ふまけんはふまけんで、仲が良いときは三人を置き去りにして二人の空気を作ってしまうし、仲が悪いときは目すらあわせないし。3人時代以外でもちょっともやもやすることもそれなりにあったように思います。

そういうぎこちない時代を越えてこそいいグループになれるというのは、W杯デビュー組が持っている宿命かもしれませんが、時には、本当にその日が来るのか不安に思うこともありました。

それでも、その日が来たよ!と、今なら胸を張って言える気がします。

最初はSexy Zoneという箱にぽんと入れられた寄せ集めの5人だったけれど、今では最初の箱に収まりきらず、その箱を飛び出して体ひとつで勝負していける正真正銘のアイドル。

それを作ったのは、彼らの人間としての素直さや努力を惜しまない姿勢だったのかなと思います。

ジャニーズのタレントさんは、みんな努力家ですし、すごく素直な人ばかりだから、Sexy Zoneが特別素晴らしいというつもりは全くないけれど、本当に頑張ったねと花マルをあげたいです。

もちろん、努力が全て報われるわけでもないし、素直であれば万事上手くいくわけでもありません。

運が多分に味方した部分もあるとは思うけれど、その運を掴めるような力強い意思の力を、彼らに今感じています。

結果論にはなりますが、5人で5周年を迎えることが出来て本当に良かった。
彼らと彼らの周りの大人たちに感謝しています。

 

全然コンサートのことに触れてないのに既に5000字も費やしていました。

さて、今回のコンサートですが、感傷的になる部分はさておき、とてもいいコンサートでした。

私の中のいいコンサートの基準は、パッケージに残して欲しいな、早く見たいな、と思えるかどうかなんですが、今回のコンサートはまさにそれでした。

まず、花道を作らずにショウとして完成させたのがとても良かったです。5年でこのステージまで来るんだなぁとただただ感心。

そして、オタクの心を読んだかのような演出が憎かった。

例えば、メンバーの過去のソロ曲・ユニット曲を他のメンバーも出て来て歌う。過去をなぞったようなエモい演出。そして、選曲もなかなかにオタク好み。見たかった、聞きたかった!を形にするコンサートでした。

風磨くんがこのコンサートを作れたのは、彼がソロコンを通して得た確かな手応えのおかげかなと思います。彼が、自分の頭の中のイメージを形にし、それが一定の評価を得たことはやはり大きかったのではないでしょうか。

風磨くんが作るコンサートはストーリーがはっきりしていてわかりやすいコンサートだと思っています。かっこいい部分、面白い部分、可愛い部分、全部詰め込まれているけれど、終わった時にすべてがいい意味で予定調和だったなと思える。エンディングに向かって収束していくいいコンサートを作っているなぁと思います。

構成や演出全てに5人それぞれの年月を感じられるとても素敵なコンサートで、それだけでもすごく見応えがあり、楽しいと心から思えるものでした。

 

そんなコンサートの中で、やはり一番印象に残っているのはWith youからアンコールのSexyZoneまで。

正直、泣かせにきたなと思ったけれど、泣かずにはいられなかったです。そして、周りからこんなにすすり泣きが聞こえたコンサートも初めてでした。

With youを当時の振り付けのままでパフォーマンスすると、振りが少ないせいかすごく間延びして感じて、そこに5年という年月とその間の彼らの成長を色濃く感じました。

そして、改めて聴くと、With youの歌詞とSTAGEの歌詞ってなんとなく通づるところがあるんですよね。未来に向かっていく力強さや、絶対に離さないという決意だったり。

それを5年の時を経た今歌うからこそ、説得力が増していると思います。

そこから続く5人ひとりひとりからの挨拶はすごく素敵で、彼らの5年間が詰まっていたように感じられました。

オーラスの挨拶で私が好きだったところ(ニュアンス)を、ここに少し残しておきたいと思います。

 

笑顔でいられるのはすごく素敵なこと。僕らの元気の源(聡ちゃん)

みんなをずっと幸せにしたい。みんなを笑顔にしたい(マリ)

みんなはよく「可哀想」って同情してくれるけど、俺らはそんな気はない(風磨)

厳しい現実が夢を壊すことがあるのなら、今度は夢で現実を壊してもいい(健人)

日本に来て右も左もわからないときに成長させてくれたのはこの4人(マリ)

自分が思うくらいだから、本当にすごい5人だと自信を持って言えます(勝利)

あんまり言いたくないけど、俺結構Sexy Zone好きなんだよね(風磨)

いまこうして俺らは一つになっています(健人)

10周年、20周年、何十周年先までみんなを幸せにしていくという自信があります(勝利)

約束します。ここだけではなく色んな景色を見せます(聡ちゃん)

 

私は、健人がメンバーそれぞれについて話しているあたりから泣き始めて、風磨くんがSexy Zoneが好きだと言った瞬間に泣き崩れそうになりました。

泣くとは思っていたけど、こんなに泣けるとは思っていませんでした。

そんな感動的な挨拶から歌うSTAGE。今の彼らの歌。

どの部分を切り取ってもすごく素敵な歌だけれど、私は毎回「最低、最低…」のところでぼろぼろ泣いていました。

悲しい思いをさせてしまった、つらい思いをさせてしまった、と口々に言うし、それは事実ではあるものの、彼らだってつらい思いをしたんだという当たり前のことに気づかされて、なんだか情けなくなりました。

離れようと思えば離れることが出来る、見ないでおこうと思えば見ずにいられるけれど(逆に好きだからこそそれが出来ないから辛いというのももちろんあるけれど……)、彼らはどんな状況でもSexy Zoneで在り続けなければならない。人前に立つ時は笑ってなきゃいけない。それって、結構キツイことだったのではないかなぁと思います。

5年前、大人たちに決められてただ回り続ける地球の上でがむしゃらにもがきながら自分たちの道を探していた彼らが、今度は自分たちの手で地球を回そうとしている。決められたやり方ではなくて、自分たちの力で未来を創ろうとしている。レールのない未知の世界へと足を踏み出そうとしている。

STAGEは、ファンへのラブソングであり、今は道が分かれてしまった人々への感謝の歌であり、彼ら自身の強い決意を表した歌でもあるように思います。

オーラスのSTAGEの曲中で、これまで涙を見せることがなかったマリと聡ちゃんが見せた涙には、この5年間の色々な感情が詰まっていたんじゃないかなぁと思います。

強くて頑張り屋さんな二人の涙を見て、二人がその肩に背負っていたものが少しは軽くなったかもしれないと、私は少し安心しました。

この歌を力強く安らかな気持ちで歌い、聴きながら、本編最後を迎えられるって本当に幸せなことだなと思います。

そんな感動も冷めやらぬままアンコール。SexyZoneのイントロが流れます。

当時のままの衣装、演出。それぞれの手に携えた5本の薔薇。オーラスでは客席いっぱいに咲く2万弱の薔薇。すごく綺麗で感動的でした。

デビュー曲ってやっぱり特別ですし、SexyZone自体がとてもドラマチックな曲だから、あの頃感じた高揚を体が思い出しました。

そんな曲なのに、5人そろった形で聴けないときもあって、それがすごく悲しかったことも思い出しました。

思い出すことはたくさんあったけれど、目の前にあるのは、あの頃と同じだけど全く違う、今の5人のSexyZoneでした。

 

私はやっぱりコンサートが好きです。

コンサートの空気がすごく好きです。

いいパフォーマンスを見せようと、みんなに夢のような時間を与えようと、一生懸命になっているステージの空気も、与えられるだけじゃなく伝えようと一生懸命になっている客席の空気も、それを支えているたくさんの人の気配も。すべてがすごく愛おしいと思います。

たぶん、2017.5.7のSexy Tour2017 STAGEが今までの私の人生の中で一番いいコンサートです。

色々な偶然や必然が重なったからこそ、こんなに心に響いて結果的に今まで一番いいコンサートだと感じたんだと思います。

だけど、これ以上のコンサートはないだろうなとは思えなくて、私が応援している人たちがこのコンサートを超えるコンサートを見せてくれる日が楽しみで仕方ない、そういう希望に満ちた気持ちにもなれるコンサートでした。

そういえば、コンサートの終わりはいつも寂しいけれど、今回は何故かあまり寂しくなかったんです。

それは、これからも彼ら5人のSTAGEはずっと続いていくんだなぁと思えたからかもしれません。

 

さて、最後に風磨くんの話をします。

風磨くんは、私にとって週刊少年ジャンプの主人公みたいな人です。「友情」「努力」「勝利」を地で行く、生まれついての正義の味方みたいな人。

私が、3人時代一番しんどいなぁと思っていたのは、本人たちがどういう気持ちでその時を過ごしているのかわからなかったからでした。

私は、風磨くんが好きだからどうしても3人側の目線で見てしまいます。3人側の目線で見た時、彼らは何を思って今活動しているんだろう、今の状況をどう受け止めているんだろうと考えることが何度もありました。時にはよくない考えが浮かんで不安が大きくなったし、勝手に不満を感じていた部分もあります。

信じなきゃという思いと信じられなくなりそうな不安の間で、信じることが義務になって、少し疲れてしまっていたんだと思います。

そんな時、風磨くんは折に触れて5人を感じさせてくれました。それが、私にとっては救いだったし、そんなところがすごく好きでした。

案外器用でうまく生きることも出来る人だとは思うけれど、そのうまく生きることだけを良しとしない姿勢がすごくかっこよかった。

今回の挨拶を聞いて、改めて風磨くんってかっこいいなと思ったし、好きだなと思いました。

みんなが抽象的な言葉でぼやかして語る中で、言葉を選ばずに切り込んで、自分の思っていることをはっきりと伝えてくれる風磨くんは、一方から見たら配慮が足りないかもしれないけれど、一方から見たら誤魔化さないまっすぐな人。そのまっすぐさがすごくかっこよかった。

どんなことにも意味がある、山あり谷ありの方がいい、自分たちは可哀想じゃなかった、という風磨くんの言葉に私は概ね賛同できます。

それは、私自身の気質もあるだろうし、3人の側に担当が居たからというのもあると思います。

風磨くんの考え方が全てではないとは思います。けれど、彼はそういう風に思いながら今までやってきたんだなぁ、可哀想じゃないと思うことが彼を強くさせたのかなぁ、と思うと、なんだか涙が止まりませんでした。

本人も言っているけれど、色々なことがなければ、風磨くんのグループへの愛情はここまで大きくならなかったんじゃないかな。あるいは大きくなったとしても、もう少し時間がかかったんじゃないかな。そう思います。

風磨くんは、根っからの長男気質で、仲間思いで一度懐に入れたら守り続けるという思いが強い人だなと思います。そんな人だからこそ、悲しくて厳しい現実に直面した時に、自分がSexy Zoneを守らなければと強く思うようになったのではないでしょうか。

正直に話すと、デビューから2、3年は風磨くんを見ながら、つまんないんだろうな、不満なんだろうな、と何度も感じたことがありました。

Sexy Zoneよりも仲の良いJr.時代の仲間たちと一緒にやりたかったんだろうなと思うこともありました。彼の中で燻っている自分が置かれた状況や周囲への不満が抑えきれずに外に出てしまっているんだろうなと思うこともありました。自分より年上で気安くてぶつけやすいからこそ、割とあからさまに健人くんに対して不満をぶつけているように見えることもありました。

全ては私の主観なのに、その度にいい加減にしなよと憤り、すこし悲しい思いになって、見えない敵と戦っているような気持ちになったことがあります。とても疲れる時期でした。

でもね、今は、今後そんな思いをすることはないのかもなぁと思っています。

この5年で、本当に大人になったね。

あと個人的にとても嬉しかったのは、最後の最後までなかなかうまく噛み合わないなぁと思っていた健人くんとの関係が変わったことです。

ファーストコンで欲望のレインを見て、シンメっていいものだなぁと思いました。正反対の個性を持っているからこそ、二人であることがその個性を際立たせているし、そんな風に個として完成されていても、二人が並ぶと足りないものを補い合うようにぴったりとはまっている。

そんなふまけんに魅力を感じたからこそ、風磨くんが早く大人になってくれたらなぁと思いながら私は二人を眺めていました。

健人はずっと風磨くんの中のやりきれない思いに気付いていて、それにそっと寄り添ってくれていたんだと思います。

ハリネズミみたいに体を包んでいた棘が健人くんを遠ざけていたのかなぁと思うけど、それが取り去られた今はその頃より近い距離に二人はいると思っています。

“風磨くんが今置かれている状況を愛せるようになって欲しい。”

私が抱いていたその想いは5年の時を経て、初夏の高くて青い空に吸い上げられていきました。

自分より悲しんだ人たちの気持ちを無視はできないし、これでよかったなんて言うつもりはないけれど、菊池風磨を好きな私は、この5年間には絶対に意味があったと思えます。

変わった部分と変わらない部分、大人にはなったけれど、大人になりきらない。そんな風磨くんが好きです。

今はもう研いだ爪を隠すことが出来るだろうけれど、理不尽なことや信念に反することには牙を剥き続けてほしい。そのギラギラした美しさを持ち続けてほしい。

翔さんのリリックではないですが、そんな風に思います。

 

思い返してみると、Sexy Zoneのツアーで生で見ていないのは2012年のアリーナツアーだけでした。

たまアリの夏コンは、私生活が一番辛い時期で、その時ばかりはもう疲れたなぁと思ったけれど、それ以外で不安にはなれど絶望したことって意外となかったかもしれません。

辛くても悲しくても、なんだかよくわかんないし根拠はないけどきっと大丈夫という気持ちでいられた気がします。

それはどんな時でも、彼らが一生懸命だったからかもしれません。

このツアーが終わってしまった今、残されたのは確かな手応えと大きな希望でした。

出来ればこれからも、彼らの夢と成長を見届けられたらいいなと思います。

 

***

 

おまけ感覚でコンサートで好きだったところをセトリとともに列挙します。

ただの忘れないためのメモ書きです。

(ふまけんソロに対して笑い過ぎているので先に謝ります。ごめんなさい。)

 

🌹OP〜ROCK THA TOWN

🌹Celebration!

🌹High!! High!! People

Aメロの健人パートで聡マリに両側から挟まれてほっぺチューされるの可愛すぎ。中島、お父さんみ半端ない。

🌹Miss Mysterious

少クラ見てなかったから、久々にふまけんの背中合わせにぎゃってなった。

ふまけんが脱ぎたがるのがウケる。

🌹マリウストーク〜Why?

マリウスのシェイクスピア感ハンパない。そして、マリウスは魔法使いであった。

🌹過去のソロ曲映像〜Teleportation

懐かしすぎて死んだ。エモすぎる。テレポのイントロでまた死んだ。しかも、5人だったからもう生きられない。

先述の通り、ソロ曲をみんなでやる(ないしはセルフバック)というジャニオタ好みのツボを的確に押さえすぎ。

なお、歌割りも完璧な模様。

あと、健人くん赤が似合いすぎて、生きるのつらい。

🌹King & Queen & Joker

オルゴールアレンジのSilver Moonの肩透かしがひどかった。レーザーを使ったマリオネットみたいなダンスがすごくきれい。そこからオルゴールアレンジのKQJイントロ。おもちゃ箱みたいで幻想的な演出だった。

🌹ダンケ・シェーン

オーラスで泣いた。割といつも泣きそうになるんだけど、Cメロの歌詞がとんでもなくハピネスでピースフル。

マリがいつも言ってることをそのまま歌詞にしたみたいで、むしろこっちがありがとうしかないと思う。

今この場所で歌ってくれてありがとう。日本に来てくれてありがとう。

🌹よびすて

🌹Lady ダイヤモンド

🌹キャラメルドリーム

snow風演出が可愛すぎ。こういうの思いつくのは若さゆえだなぁと思う。何がかわいいって自分で顔を合わせにいってるところがかわいい。風磨くんは割といつもあってない。

目の前のたった一人に〜のところで、健人に指さされて、わぁ♡ってなってる風磨くんのブリブリさにイラッとしつつもご褒美すぎてつらい。

聡ちゃんのDa Ba DAが面白すぎ。勝利と聡ちゃんがちょけてるのも、健人に果敢に向かっていく聡ちゃんもかわいい。産んだ。

🌹ぶつかっちゃうよ / Hey you!

こういう時に全力になるのは健人のお家芸だったのに、聡ちゃんが華麗に奪取していった。

Hey you!ツムツムは至高。天才かよ

🌹MC

Sexy ZoneのMC本当に面白くなったね!

昔と流れはあまり変わってないんだけど、風磨くんの好きな子いじめちゃう感はだいぶ緩和されたし、みんなが話せるように話を振るようにしているんだろうなって思うし、ハラハラすることが少なくなってほんとよかった!勝利が良心でいてくれてよかった!聡ちゃんとマリウスがいじられキャラでよかった!健人は健人のままだけど、張り切りすぎなくなってよかった!

🌹君だけFOREVER

🌹Sweety Girl

着ぐるみ聡マリの身長差がすごい。\ほとんどだけどー!/

風磨くんは兎の首を獲った風のポーズほんとやめてください。笑いすぎて死ぬ。5/4夜かな?サザエさんの真似をして、健人くんに足蹴にされる風磨くんにとてつもなく興奮しました。性癖です。

🌹私のオキテ

マリウスの着替えエロい。

とにかく脚が綺麗すぎて顔を見るのを忘れて脚をガン見した。結果脚の記憶しかない。

🌹It's Going Down!

風磨くんのソロでは一番好きだから、ここで聴けてよかった。

レーザーを駆使した演出がかっこよすぎるし、歌割りがすごい。マリの声とこの曲が合いすぎ。無垢なのにエロティックで、神聖なのに魔性。

🌹24-7

🌹Break out my shell

聡ちゃんのことを聡ちゃんと呼ぶのが憚られる。松島さん。

🌹Slow Jam

心地いいR&B。ステージぼんやり見ながらゆらゆらしてた。酒が飲みたい。

🌹rouge

5年の年月は、この曲をここまで変えるんや。TDCで聴いたrougeとは全く別の曲。

自担のソロで笑ってはいけない数分間を過ごす私の気持ちになってください!好きだ!バカ!

🌹Hey!! Summer Honey

引き続き笑ってはいけない数分間の予定が堪えきれず笑ってしまう。ふまけん、相変わらずキャラ濃い。

このコンサートで一番元気が出る。蜜を吸われる準備をするブルーオーシャン(客席)日本語でお願いしていいですか?

見所は、自分でキラキラを振り撒く中島。

🌹Stand up! Speak out!

🌹勝利の日まで

🌹Sexy Summerに雪が降る

未だに、夏なの冬なの、発売は秋だけどね、というこの曲の謎は深まる。こんなトンチキソングなのにコンサートでは欠かせない曲になりました。

最弱王風磨くんがじゃんけんに勝ってソロを歌った。(5/7)

🌹With you

🌹STAGE

いい曲だなぁ(落涙)

聡マリが泣いてしまった後、風磨くんに連れられた5人が一箇所に集まって肩を寄せ合って歌う姿は永遠に心のフィルムに焼き付けておきたい瞬間。

涙で前が見えなかったから、出来れば映像に残して欲しいんだけどなぁ。

〜EC〜

🌹Sexy Zone

胸が熱い(落涙)ここから始まった。

オーラスの薔薇のサプライズを見た勝利の顔がすごくよかったー!泣きそうになりながら歌ってるのよかったー!なんて愛おしいの!

🌹カラフルEyes

🌹Make my day

🌹Congratulations

上手に歌うと風磨くんが上から目線で褒めてくれる曲。私が猫だったら、ヘソ天でゴロゴロ喉を鳴らしている。

最初は、トニトニで3人で歌っていたこの曲が紆余曲折を経て5人の曲になった時は泣いた。今ではとてもいい曲。

〜WE〜

🌹Silver Moon

歌う曲ねーんだけど!みんな歌えるんだったらもう一曲やるよ!と煽りまくったおかげで、ほぼフルコーラス驚きの大合唱だった。なかなかない光景で感動した。

ステージセットにタイトルがあるのに歌ってくれなくてやきもきしていたので、イントロが流れて、タイトルが光った瞬間夢かと思った。華麗なるフラグ回収。私が一番好きで一番聴きたかった曲。(たぶん聴きたかった人は多そう)

みんなが待ってる曲を、満を辞して披露するSexy Zone出来る子すぎる。

彼が守ろうとしたものは〜Defiled観劇覚書2〜

Defiled、2回目の観劇を終えました。

初見に比べて、冷静な気持ちで観れたので、ハリーという人間について、彼が起こした行動の根底にある部分は一体なんだったのか、それについて少し考察をしてみようと思います。

いつも通り、主観ばかりで申し訳ない考察です。

頭固いなぁ〜思い込み激しいなぁ〜と思いながら、書いています。

そういう捉え方もあるのね、と思っていただければ幸いです。

 

***

 

考えれば考えるほど、戸塚くんが、ハリーの気持ちがわからないと言ったこと、すごく納得できるなぁと思いました。

何故ならば、ハリーの根底にあるのは、飢餓だと思うから。物質的な意味ではなく、愛情への飢餓。

 

 ハンカチをお忘れではありませんか?〜Defiled観劇覚書〜 - I like what I like

初見後、ハリーは『親に捨てられそうな子供』に見えると書きましたが、それはこの愛情への飢餓から引き出された表情なのではないでしょうか。

親や家族から愛情を十分に注がれなかったことが、彼の未成熟な人格を作り出したのではないかな、なんて思いました。

自尊心が低いからこそ、人より優位に立ちたくて、そのために理論武装して、相手の言葉尻を捉えて徹底的に論破しようとする。

都合が悪くなると癇癪を起こして、相手を威嚇して、自分の主張を通そうとする。

ハリーは、とにかく子ども。しかも、反抗期の子どものよう。

十分に愛情を注がれた子供はあるがままの自分を受け入れられるけれど、そうでないと理想の自分を守ろうと必死に努力して、時には邪魔なものを排除してまで無理を通そうとする。

私の目には、ハリーは必死に自分を守ろうともがいているように見えました。

 

劇中で、ハリーが守りたかったのは、本当に図書館という神聖な場所だったのか、とふと思いました。

きっと、それだけではないと思います。

もちろん、彼にとって図書館は神聖な場所だったことには変わりないでしょう。

いうなれば、キリスト教にとっての教会であり、イスラム教徒にとってのモスクであり、ユダヤ教徒にとってのシナゴーグだったのかもしれません。

普段は礼拝堂には行かないと言った彼は、毎日図書館で祈りを捧げていたのかもしれません。彼のことを絶対に裏切らない家族でもあり、友人でもあり、恋人である『本』という存在に。

これはあくまで個人的な考えですが、本を読むのは、救いを求めることに似ていると思います。空想の世界を楽しむため、世界の理を知るため、自分の感情に名前をつけるため。そうすることで、持て余している何かをどうにかできるかもしれないから。

きっと、ハリーはたくさん本に救われたんだと思います。知りたいことを教えてくれる。道を示してくれる。そして、彼のことを傷付けず、いつも味方でいてくれる。それは彼にとって、神に等しい存在だったのかもしれません。

そういう意味では、本の住む場所である図書館は教会よりもっと高次の神殿のような場所だったのかもしれないと思います。

そこに置かれている目録カードは、彼にとって神の姿を探す手掛かりになる地図のようなものであり、神を守る者(司書)たちが刻んできた聖なる場所の歴史であったのではないでしょうか。だからこそ、ハリーはそれを守りたかった。

そんな神聖な場所(図書館)・もの(目録カード)、そして神そのもの(本)を守りたいという気持ちは嘘ではなかったと思います。だって、彼にはそれが全てだったから。

一方で、そんな神聖な場所に居る自分を神聖な者、言うなれば、神に選ばれた者として捉えていた側面もあるんじゃないかなと思います。

ハリーの主張を聞いていると、最初は「神聖な場所を守る」ことが目的だったのに途中から「神聖な場所を守るための聖戦をやり遂げる」ことが目的になっているように感じました。

前者はあくまで守ることが目的でそのための手段は多岐に渡っているはずだけど、後者は自分の手で守らなければならなくて、しかも、戦うことに意味を見出してしまっている。

目的のために戦う自分で在ることを守りたい、という感覚に近いのかなと思います。

冒頭の爆弾を書架に置くシーンで、目録カードが入っているチェストの上に足を掛けるとき、ハリーは靴を脱ぎました。やっぱり大事なものを土足では踏み躪ることが出来なかったのかもしれないなと思います。

でも、中盤でそのチェストの上に、靴を履いたまま上がったのが、なんだか腑に落ちなくて、その時にはもう目的が摩り替わっていたのかなぁと思いました。

彼が守りたかったものは、自分という一人の人間の尊厳だったのかもしれません。

 

ハリーがすごく身勝手な人間のように表現してしまったけれど、きっと本質的にはそうではなくて、彼にとっての譲れないものがそこにあったから、こういう行動を取ってしまったのかなと思っています。

それを考えるとき、

ハリーがなぜそこまでレガシーなものに執着するのか、

なぜそこまでテクノロジーを敵視するのか、

この二つが大きな鍵になっているのかなと思います。

 

私が考えたのは、レガシーなものは母の象徴であり、テクノロジーは父の象徴ではないかということ。

劇中で、ディッキーに対して小さい頃に本を読んでもらわなかったのか、という問い掛けをする場面があって、それを不幸なことのように捉えていたのは、ハリーにとっては、幼い頃本を読み聞かせてもらったことが幸福の象徴になっていたのではないかと思います。おそらく母親からもらった大切な思い出だったのではないでしょうか。

ハリーは、母というか母性に対して過剰なまでの執着を見せているように思います。彼が祈るのは母の命日だけということや、女性に対する過度な期待も。

きっと、ハリーにとって、お母さんの存在はとても大きくて大切なもの。

そのお母さんが読んでくれた本や、母が好きだった教会を大事に思うのは何も不自然なことではなくて、当たり前のこと。

作中では描かれていないから想像にしか過ぎないけれど、ハリーの中のレガシーなもの、たとえば紙の本であったり、整備されていない街の景色であったり、市場やカフェで感じる人の温もりであったり、それらに付随する思い出であったり、それを愛する気持ちの根底はお母さんの生き方を愛する気持ちなのではないかなぁと思います。

打って変わって、父に対しては反抗心や憎しみの描写が見受けられます。

彼が語る父との思い出は、合理的でないから、彼の望むコリーは買ってくれず、小さな犬を買ったという思い出。そして、それに反抗するように今コリーを飼っている。

お父さんがいつ亡くなったのかはわからないけれど、ハリーは彼とは和解することが出来ないままだったんだろうと思います。

現実にも、思い出の中ででも、ハリーはお父さんと和解することが出来ないまま大人になったのではないでしょうか。

だからこそ、合理的なことに対して徹底して反抗している。

だから、単純に目録カードがなくなることだけではなく、レガシーなもの(目録カード)が、テクノロジー(コンピューター)に淘汰されるということが許し難かった部分が少なからずあるのではないかと思いました。

目録カードに代わるものがもう少しローテクノロジーなものであれば、ハリーの反感はもう少し和らいだかもしれません。

彼の中にあるレガシーなものへの愛情を守るために、テクノロジーへの憎しみがより深くなっていく。ある意味で、母への愛と父への憎しみの代理戦争のよう。

だからこそ、彼はその聖戦に勝たなければならないと思ったのではないでしょうか。

目録カードを、図書館を、本を、ハリーの色々な意味での愛の証明として守りたかったのかもしれないなと思います。

 

もし、ハリーのご両親がもっと長く生きていたら、彼は父との思い出を意味があるものに出来たかもしれません。

あるいは、思い出はつらい思い出のままでも、お父さんと和解できていたら、合理的なものに対してもう少し寛容になれたかもしれません。

変わっていくことをもう少し受け容れられたかもしれません。

彼の愛情に対する飢えが少しは満たされたかもしれません。

そんな風に思います。

不幸な巡り合わせだと思います。

遣る瀬無いと思います。

どんなに上手く噛み砕こうとしても、やっぱり私には上手く噛み砕けません。

だからこそ、涙を流しながら、胸が張り裂けそうな思いになりながら、この作品のことをずっと忘れないでいようと思います。

ハンカチをお忘れではありませんか?〜Defiled観劇覚書〜

Defiled初見を終えたので、今思ったことを覚書として残しておきたいと思います。

もうね、めっちゃつらい。つらくてつらくて、終わった後にどうしようもない喪失感に襲われて、席を立って帰り支度をしながら、心が体を離れてどこかにいってしまったような気持ちになりました。

お話の内容について多分に触れているので、まだ見られていない方でネタバレを見たくない方は読まれないことをオススメします。

とはいっても、メモなしで一回見ただけなので、記憶違いももちろんありそうです。なので、ネタバレ見たい方にもオススメしません。

なんとなく全体通してそういう感じだった、というぼんやりした感じ。

とにかく自分が書かないと死にそうなほど落ち込んだから、なんとか文字にして昇華したくて、この記事を認めています。

 

***

 

涙腺が緩みすぎていると度々言われる私ですが、今回も案の定涙腺は緩みすぎていました。

開始1分で号泣。最短記録かもしれません。

オープニング、薄暗い図書館の中に一人きりで、黙々と書架に爆弾を置いていくハリーの背中を見た瞬間に涙が溢れてきて止まらなくて、自分でもびっくりしてオロオロしました。

あらすじでハリーの人物像を少し知っていたからこその涙だと思うんです。彼にとって神聖であった図書館を爆破しなければならないと思うほど彼を追い詰めたのは何だったのか、ここに至るまでどんな感情の変遷があったのか。そういうことを考えてると涙腺が壊れてぼたぼた涙が落ちてきました。

いいシーンだったんですよ。一時間四十分の中で、このたった数分のシーンが一、二を争うぐらい印象に残っています。

舞台上に現れたハリーを見た瞬間に、きっとこの人はとても強い意思を持った人間なんだろうなぁって思ったんです。戸塚くんすごい。瞳に宿る強い光や佇まいが、すごく良かったんです。決意を感じさせるというか、とにかくグッとくるものがあったんです。

(そもそも目録カードを存続させるためだけに図書館を爆破しようと思って、思うだけじゃなくそれを実行しようとすること自体が彼の意思の強さの表れではありますが。)

そして、オープニングの数分間、薄暗い静かな空間で爆弾を並べていく彼の様子が、神様に祈っているように感じられたのも心を揺さぶられた理由だと思います。

丁寧に、慎重に、書架にひとつひとつ爆弾を置く様子は、手順を踏んで、願いが叶うように、苦しみが取り除かれるように、人々が神様に祈るよう。その仕草は神聖に感じられるのに、その神聖さと行使しようとしている暴力とのギャップが少し怖くて、なんとも言えない恐怖感がふつふつと湧いてきて。

これは、やばい舞台を観に来てしまった……と怯えました。

 

もちろん、私がそんな怯えを抱いていることは関係なくお話は進んでいきます。

ディッキーが交渉のために図書館に入ってきて色々話をしていく中で、最初はとにかく頑なだったハリーの様子が徐々に変わっていく。なんだか子供みたいな表情や様子になっていく。無邪気だとかそういう陽の意味ではなくて、迷子の子供のような。

戸塚くんのこの辺りの表現は、とても自然で、上手で、更に彼の神様に愛された容姿がとにかくフル活用されてて、とにかく放っておけない気持ちになりました。

ディッキーと話していくうちに、彼の心の表層の固くゆるぎない部分にひびが入ってその中のやわい部分が見え隠れするようになるんです。

ディッキーに勧められたコーヒーを飲んだり、爆弾の起爆装置をしまって欲しいという要求に応えたり、徐々にディッキーに歩み寄っていくのがすごく自然に描かれていて、とても興味深かったです。

個人的には、本人が認識してるかどうかには関わらず、やっぱりハリーは寂しかったんだろうし、誰かに助けてもらいたかったんだろうなぁって思います。孤独だったんだろうなって。

きっと長い間、そばにいてくれる家族も、信頼できる友人も、味方でいてくれる恋人もいなくて、光も音も温度もない自分だけの世界で生きていて、その孤独な人生の中に存在していた唯一の宝物が、本と図書館だった。だからこそ、図書館を理想の形にしておくために目録カードにそこまで執着したんじゃないかなと思います。

でも、彼がしたことが正しいとは思えないです。自分の気持ちを伝えるためにはもっと言葉も時間も心も尽くす必要があるし、相手の立場を理解する必要もある。それを彼が行なったとは思えない。(きっと、目録カードのこと以外でも)そんな怠惰さと傲慢さが許せないとは思うけど、彼だけを責めることは出来ない。

彼の生き方はすごく不器用だと思います。生きるためには、世界が自分の思い通りにならないことを知らなきゃいけないし、一時的にでも諦めることをしなきゃいけない。そんな不器用さが悲しいと思うけれど、それが悪だと思うことは出来ない。

そんなことを考えてたら、頭の中ぐるぐるぐるぐるしてきて、あーもー疲れたぁって思いながら、ハリーとディッキーの言い争い(というかハリーが一方的に反抗してる)を見ていると、本当にハリーのめんどくささにイライラしてきて。

勘弁してよと思いながらも、そのシーンにやたらと既視感を感じて、ハッと気付いたんです。

あれ、これ、中高生の頃の私では……?

ハリーの様子が、反抗期に母親と大喧嘩してる自分みたいでとても怖かった。自分が自分の(誰かの)理想の姿で在れないならもう死んだ方がマシ、とかそういう風に考えていた頃の自分を見ているようで怖かった。

母親とは、もういい、あんたには何にもわかんない!あんたが死なないなら私が死ぬ!ダッ(家を飛び出して捜索される)みたいな喧嘩をたくさんしました。あの頃はすごくパワーが有り余ってたんだと思います。内向きに向かっていた力を私の体では受け止め切れなくて、溢れ出たそれは外に向いてしまった。それを表現する術がなくて、言葉という一番鋭利な刃物を手にしてしまった。

でも、当時の私はそんなことを言いながらも、心の中では、もう自分ではどうしようもないから、誰か助けて!と必死に叫んでいたし、それでも見捨てられないことへの甘えと、見捨てないでほしいという切実な願いがあったから、ハリーにもそういう部分があるんじゃないかと思えてしまった。

だから、どうか誰か彼を助けて欲しい、と今度はこちらがお祈りモードに。

ディッキーが図書館から出て行こうとした時のハリーの動揺や、彼が本当に出て行ってしまった後、外してあった受話器を元に戻した行動は、親に捨てられそうな子供のようで、正直見ていられなかったです。

あーもう!早く戻ってきてよ!そして今すぐ、彼を抱き締めてあげてよ!

そう思うとまた涙がぼたぼた落ちて、若干嗚咽が溢れました。

 

劇中で、ディッキーが難しい交渉と簡単な交渉の話をするんです。

その基準は、時間がかかるかどうかではなくて、簡単なのは、相手が投降したがっている場合、難しいのは、相手がまっとうな理論が通じる相手じゃない場合、という話。(難しい時の表現は別の言葉だったのだけど、使うことが憚られる言葉なので置き換えました。)

ハリーとの交渉について、ディッキーは簡単だとは思っていないけど、難しくはないと感じているようでしたが、私もかなり終盤までは同感だったんです。

投降したいわけではないけれど、話をしてお互いに折り合いがつくところが見つかれば、もしくは、ハリーが諦めれば、きっとなんとかなるよね、とすごく楽観的に考えてました。

私がハッピーエンド至上主義というか、みんなが幸せになれる世界が好きだから、出来ればそうなって欲しいという希望もあって。

なので、ディッキーがした提案にハリーが頷いて、握手をして、抱き合った時、心底ホッとしました。これで穏やかな気持ちで帰れると安心したんです。

安心したんです。

それなのに、それなのに……ハリーが図書館へ新刊カードに拘って戻った瞬間、その行動の意味がわからなくて混乱はするし、それによって引き起こされる結末はとても悲しくてなんでなんだろうと遣る瀬無い気持ちでいっぱいになるし、結局、私の頭の中って、お花畑なんだなぁとショックを受けるし、とにかくびっくりして、悲しくて、つらくて。

一番しっくりくる言葉は『虚しかった』。

ハリーの気持ちがわかるとは言わないけど、なんとなく想像はついて、でも、ディッキーの言い分もよくわかる。だから、すごく遣る瀬無いよね。

もういいじゃん、新刊の目録カードなんて諦めなよ、きっとそれよりもっと大事なものってあるよ、という常識的な部分と、いや自分にはこれしかないから、普通の、日常の生活なんていらない、思い通りにならないなら死んだ方がマシという偏った部分。

どちらも想像出来るから、どちらにとっても救われない結果になったのはすごくつらかったんです。

もし、あの場面で誰かがハリーを撃たずに、もう一回交渉をしていたなら、もしかしたら結果は変わったかもしれないけれど、あの場面で彼を撃った誰かの行動も理解出来る。

全体的に、どれも頭ではわかるけど、気持ちがついてこなくて、だから、終わった後、放心状態になってしまって、ハリーの最期の辛そうな演技を見ていてじゃんじゃん流れてた涙がすんと引っ込んでしまいました。

 

一日、色々整理して思ったのは、

主張も信念も素晴らしくて間違ってなかったとしても、そのやり方を間違えれば悲しい結果になるんだなぁってこと。

ありきたりな表現ではあるけど、暴力は暴力しか生まない。一度拳を振り上げてしまうと、同じように相手も拳を振り上げるしかなくなっちゃう。

小学生ぐらいの頃に、ニュースを見ながら、ふと思った疑問を父親に投げ掛けたことがありました。

殺人を犯した人にもそうしなきゃならない理由があったんじゃないの?

そんな私の純粋な疑問に、父は答えたんです。

そうでない場合も、そうである場合もあるけれど、理由があるかどうかが問題じゃない。理由があったとしても、それが誰かを傷付けていい理由にはならない、って。

そりゃそうだ。

ハリーは誰かを殺したかったわけではないけれど、彼が訴えようとしたのはまぎれもない暴力で、理由があっても暴力を振るっていいわけじゃない。

だから、それは彼が間違っている。

けれど、その彼の理由を無視してしまうのはやっぱり横暴に感じちゃう。理由も聞かずに捩じ伏せるなんて、救われないと感じてしまう。

そういう意味では、ハリーはほんの少しだけ救われた部分もあるのではないかと思います。人生の最後に、理解は出来なくても彼の気持ちをなんとか理解しようと歩み寄ってくれて、一緒に問題を解決しようとしてくれたディッキーに出会えたことは幸せだったのかもしれないと思います。

でも、やっぱり辛いけどね。

またあまちゃんなことを言うけれど、ハリーがもっと早くにディッキーのような人と出会っていたら、彼の人生はまた少し違っていたのかもしれないなぁと思うから、やっぱり辛いです。

 

最近、とてもタイムリーに誰かに対して「理解できないなぁ」とか「面倒だなぁ」と思った時ほどきちんと向き合わなきゃいけないなぁ、と思うようになっていたんです。

私にとって取るに足らないことでも、その人にとってはすごく大事なことで、どうしてもクリアにしておきたい問題だからこそ、声を上げているのだとすると、それを邪険に扱われたらその人はすごく悲しい思いをするんじゃないかなと思ったから。

それを知人に話した時に、「志は素晴らしいけど、心を尽くしても伝わらない相手もいるよ」と言われて、正直ショックを受けました。でも、そんなことないよね、意味のあることだよねって思うことで自分を奮い立たせようとしていたんです。

でもね、この舞台を見て、話のレベルは全然違うかもしれないけど、あぁ、伝わらないこともあるんだな、って痛感しました。それならどうしたらいいのかなぁ、って少し悩んでしまいました。

悩んだけど、もしも伝わらなかったとしても、私はきちんと向き合いたいなぁって、誰かの理由に寄り添っていきたいなぁってそういう風に思いました。

私は、わかってもらえないことも、一人になることも、やっぱり少し寂しいから。

 

本当にすごくすごく考えさせられる舞台。

今回は目録カードが神聖なものとして扱われていて、やり方は誰も巻き込まずにただ図書館を爆破するというやり方だったけど、もっともっと色んなかたちで同じようなことが世界中で起こっているんじゃないでしょうか。

大事なものって人によって違う。だからこそ、大事なものを守ろうと今日も誰かが必死になっているし、そのせいで悲しい思いをしている人もいる気がします。

もうほんと勘弁してほしい辛すぎるよ〜、と思いながら書いてたら涙と鼻水がぼたぼた落ちてきて、苦しいのなんのって。

だからこそ、思考停止せずに思ったことをこうして残しておきたいなと思いました。

今回は個人的な事情でとても偏った部分にしか触れられないまま五千文字を消費したのだけれど、他にも、アンチテクノロジーだとか紙の本の良さだとかいっぱい思うこともあったし、戸塚くんと勝村さんの演技や舞台の演出という観点でも、とても心を揺さぶられる舞台だったから、落ち着いたらもう一回感想を書けたらなぁと思っています。

 

総括すると、ハンカチは二枚持っていくべきだった。

人生は人を欺かない〜映画「黄色い涙」〜

どうしても好きな作品というものがある。映画でも本でも音楽でも、いつでも心の隅っこに静かに在って、ある瞬間に突然思い出して触れたくなる作品。

私にとっての「黄色い涙」は正しくそんな作品だ。

黄色い涙 【初回限定版】 [DVD]

黄色い涙 【初回限定版】 [DVD]

 

 

初めて見たのは大学生の時。それから折に触れて何度か見返してる。面白いわけではない。何も起こらないし、大団円なわけでもない。それなのに、じんわりと染み込むように心の奥に入ってきて、自然とそこに住み着いてしまう。そんな不思議な力を持っている作品だと思っている。

 

あらすじについてはこちらを。

黄色い涙 | 最新の映画ニュース・映画館情報ならMOVIE WALKER PRESS

 

 

この作品が描いているのは「人生」だ。

漫画家、歌手、小説家、画家。目指すものは違うけれど、それぞれの夢を追い掛ける四人が、自分の好きなことだけをする「自由」な夏を共に過ごす。夏が終わった後、結果的に好きなことを続けていたのは栄介一人だった。

栄介の姿勢は一貫している。大勢に流されず、自分の好きな漫画を描きたい、時代の流れに乗れなくても、自分が信じたものを描き続ける、そんな強い信念が感じられる。ひと夏をかけて描き上げた原稿は、出版社では受け取ってもらえなかったけれど、汽車の中の子どもを笑顔にすることは出来る。母の葬儀から戻って、かつての恋人であったかおるが自分の夫を担ぎ出してまで持ってきた連載の話を自分の信念にそぐわないから断ってしまう。迷いながらも愚直なまでにその姿勢を貫いてゆく。

圭と竜三は、夏が終わると同時に夢を捨ててしまう。章一がどこで夢を捨てたのかははっきりと描かれてはいないけれど、おそらくラジオ放送で戻り雨を歌った後直ぐではないだろうか。栄介への手紙の中で、圭はこう綴っている。

絵や小説のためだけには生きられない。

隣に人がいれば、その人の為に何かをやってしまう。

1人になると、すぐ誰かを探しに出歩いてしまう。

意志の弱い、平凡な人間達だった。

そういう普通の人間達だったという事です。

もしかしたら、栄介のアパートに三人が転がり込んできた時から、この結末は決まっていたのかもしれないなと思う。

好きなことだけを続けることは、時にとても孤独なことだ。誰からも理解されないことだってきっとたくさんある。その中で、好きだから、という強い意思の力でずっと続けていかなければならない。費やした時間と労力が報われなかった瞬間の挫折感は言い知れないものがある。それでも、立ち上がって続けていかなければならない。それしか自分にはないのだから。それが、好きなことだけを続けるということではないだろうか。だからこそ、それはきっと、誰にでもできることではない。

三人は、この夏を通して自分がそれを出来る人間ではないと気付いていしまったのだろう。

三人の中で、きっと一番にそれに気付いていたのは竜三だったと思う。もしかすると、冒頭の栄介の母のために一芝居打つシーンより前に、竜三は自分が好きなことだけのためには生きていけないと気付いていたのではないかと思う。(栄介が竜三に声を掛けた時に、竜三は求人広告を見ていた。)それでも、まだ燻る夢への思いがあったから、同じように夢を追い掛けている栄介の元へやってきたのだろう。けれど、竜三は夏の間、小説を書かなかった。書けなかったという側面もあるだろうが、きっと、書かなかったのではないだろうか。作中でモンテルランの詩の一部を口にするシーンは、竜三の迷いの表れで、夢を捨てる自分の背中を押そうとしているようにも感じられる。圭と章一も、竜三と同じように、自分一人では不安で、誰かのそばに居たくて、栄介を訪ねてきたのではないだろうか。

結局、三人は三人とも、夢のために孤独になることが出来ない平凡な人間だった。普通の人間だった。そのことに、この夏を通してそれぞれの形で気付いてしまった。

栄介の元を去る三人からの別れの言葉として送られたモンテルランの詩はとても印象的だ。

人生を前にしてただ狼狽するだけの
無能な、そして哀れな青春だ
今、最初のシワが寄るころになって得られるのが
人生に対するこの信頼であり この同意であり
相棒、お前のことなら分かっているよ
という意味のこの微笑みだ
今にして人は知るのだ
人生は人を欺かないと
人生は一度も人を欺かなかったと

 

努力や苦悩が必ず報われるとは思わない。報われないこともきっとたくさんある。(もしかすると、報われないことの方がたくさんあるかもしれない。)けれど、それが無駄なことだとは思わない。目に見える、思い通りの結果に繋がらず、花を咲かせることはできないかもしれない。けれど、それは自分という土壌の中に蓄積されて肥料となり、咲かせたかった花とは別の花かもしれないけれど、必ず美しい花を咲かせることが出来る。

この夏、夢を諦めた三人は「挫折」したのではなく、「成長」したのだろう。この夏の経験は、彼らの人生を豊かにすることに繋がっているのだと思う。

 

夏のはじめ、「自由」とは何か、と栄介が問いかけた。圭は「好きなことを好きなようにやっていくこと」と答える。「自由」なひと夏の結果、三人は好きなものを手放すこととなった。

では、彼らは「自由」ではなくなったのだろうか。私は、そうは思わない。

私の考える「自由」は、自分で決めた道を歩むために、自分で考え行動し生きていけること。彼らが選んだ道は、好きなことをする道ではなくなってしまったけれど、それでもやっぱり「自由」だと思う。だからこそ、SHIPでの同窓会で皆は笑っていたのではないだろうか。彼らが「自由」である限り、きっと、人生は、彼らを欺くことはない。

 

ところで、四人に目が行きがちなこの映画で、意外といい味を出しているのが、祐二だと思う。

祐二は四人と違って堅実さを絵に描いたような青年。四人と交わりながらも、それに流されることなく、自分の道を歩み続ける。東京オリンピックを目前にした浮き足立った世相を表すような四人との対比で、地に足のついた生き方をしている祐二が描かれていることで、最初から最後まで普通の人間として生きる選択肢を提示しているようにも感じられる。

 

人生って、とても恐ろしい。
道はいつも真っ暗な闇の中にあって、進んでいるのか、戻っているのかすらわからない。先の見えない不安に時々押し潰されそうになることもある。でも、「黄色い涙」を見た後は、少しだけ気持ちが軽くなる。これでいいんだ、と思える。

楽をせずに、少しずつでも、たとえ進む方向が変わってしまったとしても、今思う進むべき道を進んでいけば、きっと、人生は私を裏切りはしない。きっと、今やっていることは無駄ではない。そんな気持ちにさせてくれる。