読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

I like what I like

お好きにどうぞ

4.しなやかなダンス〜とつかしょうたのすきなところ〜

ダンスについては門外漢なんだけど、ただ、私は戸塚くんのダンスが好き。
戸塚くんを好きになってから、当たり前のようにいつも戸塚くんのダンスを見ているけれど、たまに他のメンバーが同じ曲を踊っているところを見ると、全然違う振りでびっくり!ということがあるほどに、戸塚くんのダンスって、特徴的だと思っている。
好きなところ、あげるときりがないから、今日は3つ。

しなやかさ

戸塚くんのダンスは滑らかで一見すると女性的なんだけど、体がしっかりしているからか、力強い印象も受ける。
よくわからないけど、体が柔らかくてしっかりしてるからこういう動きになるのかなぁと私は思ってる。
滑らかで前後の動きに連続性があるから、細かい振りが少し飛んでしまうときもあるし、ちょっと遅れ気味なこともある。
でも、まるで物語を体でなぞって表しているかの様な戸塚くんのダンスはすごく綺麗だと思う。
余裕をもったリズムで動きの連続性を大事に踊るような振りで戸塚くんの良さってとてもよくわかると思う。

目を逸らさない

当たり前のことなんだけど、ステージに立って、「見せる」曲を踊っている戸塚くんはずっと前を見ている。
これが好きなんだと気付いたのは、本当につい最近で、本当にそれぐらい当たり前のことなんだけど。
振り以外ではほとんど俯かないし、客席から目を逸らさない。
その視線の先に彼の目指すものがあるのかと思ってしまうほど、まっすぐ一点を見つめて踊っている。
目を逸らさない戸塚くんは、すごく自信があるように見えるし、迷わずその先へ進んでいってくれるような安心感があって、穏やかな気持ち見ていられる。

空を飛んでいるみたい

踊っている戸塚くんを見ていると、時々、戸塚くんが空を飛んでいるみたいに感じることがある。
独特の浮遊感があるからなのかな。踊る戸塚くんの周りは、少しだけ空気の流れが違って、ふとした瞬間にその気流に押し上げられるようにふわりと空中に漂っているように感じる。
伸びやかさとかちょっとしたタメのせいなのかなぁと思うんだけど、その浮遊感がとても綺麗。


ジャニーズを好きになってもう随分と経つけど、自担のダンスが好きと思わせてくれたのって、戸塚くんが初めてだった。
ダンスがここまで好きじゃなかったら、現場をここまで好きにならなかったと思う。
多分、戸塚くんに限らずA.B.C-Zが好きな人って、ダンスが好きな人も多いんじゃないかな。
それは、やっぱり彼らのこれまでの経験や重ねてきた努力がそうさせているのかな。過去と今の連続性って本当に嬉しいものだと、私は思う。

3.かぞくを大事にする〜とつかしょうたのすきなところ〜

戸塚くんは、よく家族の話をする。子供時代の話から、今の話まで。
戸塚くんが話す子供時代のエピソードは、なんだかとても昭和っぽい。
絶対的な存在の父、家族のために働く母、兄弟思いの兄、しっかりした妹。
その中で、やんちゃな戸塚くんがのびのびと生きている様子が目に浮かぶようなエピソードばかり。
今も、舞台やコンサートにはいつも来てくれているし、戸塚くんがその話を聞かせてくれることもある。

戸塚くんが話す家族の話は、微笑ましいし、心がぽっと温かくなるから、とても好き。

それに、戸塚くんって家族の話をしているとき、文面を通してでも、(きっと、楽しそうに、そして誇らしそうに話してるんだろうなぁ〜)って想像できるんだよね。

 

それもあって、私は、戸塚くんって家族ととてもいい関係なんだなぁ、と思ってる。

いい関係を築ける理由は、彼が家族一人一人のことをひとりの人として尊敬しているし、きっと彼の家族も戸塚くんに同じ気持ちを向けているからじゃないのかな。

お父さんの話をするときも、お母さんの話をするときも、お兄さんや妹さんの話をするときも、戸塚くんの言葉の隅々から一人一人に対する尊敬と愛情が感じられるから。

 

私が、家族(特に両親)との関係のことを考えるとき、「20代にしておきたい17のこと」という本を思い出す。
一時期とても流行った自己啓発本

タイトル通り、筆者が自身や周囲の成功者かつ幸せな人の考えをもとに、20代の時にしておきたいことをまとめた内容となっている。
17のうちの一つに「両親と和解する」という項目があった。
要約すると、両親と和解できていないと人生で安心感を持つことが出来ない、ということ。
父親と和解できてると、キャリアを積んだり、人生で何か挑戦しようということに感情的な抵抗が少なくなるし、母親と和解できてると、今の自分を受け入れることが楽になるらしい。
私は、この考えに共感したし、感覚的にそれがわかる気がした。
だって、私の中には、多かれ少なかれ両親から受け継いだ性質が流れていて、それが私が経験したことや感じたことと混ざり合って「私」というものが成り立っているんだから。

「私」は撚糸みたいなもので、「受け継がれたもの」と「経験したこと」を撚り合せて出来ている。「受け継がれたもの」を受け入れられず、なかったことにしてしまうなら、「私」は弱くなる。
両親を認めて大事にすることって、自分を認めて強くすることに帰結すると思っている。

 

そう考えると、家族といい関係を築けている戸塚くんって、すごく強い人なんじゃないだろうか。

戸塚くんの家族に対する温かさも、戸塚くんの強さも、すごく好きだなぁ。

2.つらぬき通す~とつかしょうたのすきなところ~

アイドル(に限らず、自分や自分の作品を商売道具としている人)って、本当に強い。
きっと、彼らの周りには、悪意のない期待や要望や意見が溢れていて、それにまとわり付かれながら自己を貫き通しているのって、とてもすごいことだと私は思う。

 

戸塚くんの持つ雰囲気は、とても柔らかい。けれど、その中には絶対に揺らがない核があって、その核があるからこそ、戸塚くんってあんな雰囲気を纏えるんじゃないかな。自分の核を大事に出来ているからこそ、寛容になれるんじゃないかな。

その核の一部には、戸塚くんの強い拘りもあるんじゃないか、と、私は思っている。


私が、戸塚くんの拘りが端的且つ顕著に表れていると思っているものがある。それは、彼のファッションに関する拘り。
戸塚担になる前に、何度か戸塚くんを生で見たことがあるけれど、そのうちの一回がどうしても忘れられない。


Sexy ZoneのJapan Tourに戸塚くんと塚田くんが見に来た時。たまたま近くで彼を見ることが出来たけれど、正直、顔についての記憶がない。当時の現場メモを見返すと「テンガロン・・・」と今にも死にそうな字で書いてある。

テンガロンって何やねん?といまだに思うけど、本当に一時期ずっと被ってたじゃん、戸塚くん。


戸塚くんに興味を持って調べ始めた頃にも、『私服が変』という言葉をたくさん見かけた。
私は、戸塚くんのファションええやん!って思っているけど、ここでは、実際に私服が変かどうかについてはおいておいて。

私はそのファッションに表れる彼の生き方がすごく好き。
流行や誰かの意見に流されずに、「自分の好き」を貫くところが、が好き。

1.とびきりの笑顔~とつかしょうたのすきなところ~

私が戸塚くんを認識したのは、2000年から2001年ごろの事だったと思う。
初めてファンクラブに入って、初めてコンサートに行った頃、いうなれば私のジャニオタ元年だった。

少クラは毎週欠かさず見ていたし、ドル誌は毎月全部買ってたし、有り余る時間とエネルギーのすべてを画面や紙面の向こうのジャニーズにかけ始めたころのこと。


黄金期ほどではないかもしれないけれど、Jr界隈もそこそこ活気があって、それなりの露出もあった頃で、中学生女子にとってジャニーズは話の種になり得る存在だった。
クラスの女子が集まって、同い年のJrで誰が好き?という話題になったとき、私は迷わず「とっつー!笑顔が可愛いもん!」と答えていた。
成長途上の子供らしいやわらかさが残る戸塚くんが、無邪気に笑う顔がとても可愛い!と思っていたことを覚えている。


あれから15年あまり。

戸塚くんの笑顔は、夢に胸を躍らせていた中学生の少年だったあの頃のような輝きを失わない。
中学生の頃、音楽室の片隅でこっそり持ってきた雑誌を広げて、とっつーの笑顔がかわいい!と豪語していた私は、いつの間にか大人になって、キラキラした気持ちを失いつつある。
15年という年月、ことさら、子供から大人への過渡期は、言葉から感じる印象より遥かに長くて、現在と過去に連続性があることを忘れるほど人の在り方を変えることだってある。

それだけの時間を経ても、戸塚くんがあの頃と同じ顔で笑ってくれること。そして、その笑顔を見続けることが出来ること。

それは、私にとってとても幸せなことだし、ある種の希望のようにも感じている。

 

私は戸塚くんの笑顔が好き。
ステージのうえ、キラキラと輝く。瞳の中に、たくさんのお星様を溢れさせて。
時にはイタズラっ子のような無邪気さで、顔をくしゃくしゃにして笑う。
その笑顔に、たくさん元気ももらったし、勇気ももらってる。

ABC座2016 応援屋

ただ自分が思ったことを残しておきたいと思います。

行間についてはそちらでよろしくという部分も多々あったから、私は私の都合のいい解釈をしています。

 

人間は、コンピューターに勝てる

コンピュータテクノロジーの発達は、人間の生活を便利にした。大抵のものはワンクリックで手に入るし、調べたい事柄は検索すればすぐに知ることが出来る。今まで店頭に足を運び、面倒な書類のやりとりが発生していた手続きだって、全てネットで完結する。

現代人は、とにかく時間がない。だから、できるだけ時間も手間も省きたい、無駄な労力はかけたくない。だから、時間や手間がかかることは嫌われる。より早く便利に、無駄なく。それが時代の総意のように考えられて、多くの企業がその方向を向いて進む。隊列を乱さず、一心不乱に進んでいく。

その結果、確かに便利になった。時間も労力もかからない。電車の中でベッドの中で、モノも情報も、ほとんどのものが指先だけで、手に入る時代になった。

でも、その指先が触れるのはいつも無機物ばかりで、伝わる温度はない。

煩わしさを徹底的に省いて、便利さを追求すると、人と人との繋がりはどんどん希薄になって、この世界に自分以外の体温が存在していることを忘れさせてしまう。

まるで、世界から「人間」という存在が欠落してしまったようで、私は、それがすごく怖いことだと思っているし、とても寂しいことだと感じていた。

 

そんなわたしの思いに、舞台上で描かれる、いしけんがDIGITAL COOPSより応援屋を選んだことや、桂馬がキャタナに勝ったことがぴったりマッチして、涙が止まらなかった。

コンピューターは確かに人間より優秀だけど、それだけじゃだめなことってあるんじゃないだろうか。

 

いしけんが応援屋を始めたのは、寂しかったからなんだと思う。

人の心は数学だ、といしけんは言うし、大まかな部分ではそうだと思う。もちろん、それだけじゃない部分もあるけれど、それまで自分ひとりで世界と闘ってきたいしけんにとっては、人の心もデータから答えが導き出せると考える方が心の安定を保つことできたんじゃないかな。

自分以外の世界から自分を守るために、コンピューターとデータに頼ってたいしけんを、社長との出会いが変えた。コンピューターとデータより、人間をいしけんは選んだ。埋められなかった寂しさを埋めたのは、人の優しさや温かさだったんだと思う。

 

コンピューターって実際すごい。実際に囲碁・将棋の世界ってAI優勢のような流れがある。

覚えられるデータ量も違うし、先を読む能力だって、コンピューターの方が優れているのは事実だし、仕方ない。そのために作られてきたものなんだから。

桂馬がキャタナに勝つのは、筋書き通り、という感じだったけれど、その勝ち方が良かった。

負けそうになった時、応援屋に助けられる。それでも、やっぱり勝つことは難しかった。桂馬は、彼らに裕美子さんを探しに行くように言って、一人でキャタナに向かい、勝った。

よく出来た奇跡だけど、人間に助けられることで人間は驚くべき力を発揮する、という描かれ方がすごく好き。

一人じゃだめで、誰かがいないとだめで、それは人間じゃなきゃだめ。

私はあのシーンをそういう風に解釈している。

 

応援する=一人にさせないということ

「応援」って、応援する相手がいないと出来ない。その行為は、世界に自分以外の人間が存在していることを強く感じる行為だと思う。

「幸せを循環させる」。応援という行為についてのいしけんの台詞がすごく好き。

応援するって、きっとする方も、される方も幸せなんだ。された方は、一人じゃないと思うことが出来る。でも、それってする方も一緒で、誰かを応援することで、自分は一人じゃないことを強く感じることが出来るんじゃないかな。

 

クリクリは引きこもった狭い世界から桂馬を応援することで、夢を叶えられなかった自分の人生を追体験していただろうし、桂馬がいることで救われたこともたくさんあると思う。プロ棋士として活躍する桂馬に一度でも勝ったことがあるということが、クリクリにとっては誇りだったんじゃないかな。

キャタナに負けた後、将棋に全てをかけた自分の人生すら否定しようとしていた桂馬は、クリクリの言葉や、それまで何の接点もなかった応援屋の面々に、「あなたは僕らの希望」とまで言われて、心が動かされた部分もあると思う。キャタナに負けて自暴自棄になった自分を応援して支えようとしてくれる人がいることってとても心強いことだったんじゃないだろうか。

 

裕美子が一人になろうとしたことを、結果的に応援屋の面々は阻止するんだけど、それが最善だったのかはわからない。もしかしたら、やり直した後の人生は希望に満ちていたかもしれない。でも、もしかしたら、とても寂しい人生だったかもしれない。

だって、きっと彼らが裕美子を探して、裕美子を止めようとしなければ、美穂の友達に会うこともなくて、ポーチに残された美穂の想いを知ることもなかったんだから。きっと、裕美子にとって、社長や美穂と過ごした長岡での日々はずっとずっと悲しい思い出になってしまったと思う。

一人ってとても寂しい。いしけんは、それをわかっていたから、社長と裕美子を一人にさせまいとしていたのかもしれないな、と思う。

 

応援する=一人にさせないこと、と考えると、ジョーが社長と裕美子に言った「二人の悲しみは絶対にわかりません。でも、そばにいることは出来ます。」という台詞は本当に応援そのものなんだと私は思う。

今回の舞台が始まってすぐ、応援されるってなんだ?、と考えたことがあった。

応援することは馴染み深いけど、応援されるって今ひとつわからなかったから。

例えば、仕事が大変な時に「できると思うよ!頑張りなよ!」って言われるのが嬉しいか……今ひとつ嬉しいとは感じられなかった。

でも、ジョーの台詞を聞いて、応援されることがストンと胸の中に落ちた。肩代わりしてもらえなくても、そばにいて見守ってくれるってとてもありがたくて心強いことだな、力が湧いてくるなって。

 

ジョーについて

お人好しだけど、頑固。馬鹿だけど、正義感が強い。高校野球マニアのジョーという役は、元から応援する側としての役割を持たされてたのかなと思ってる。

いくら修也に言われても辞めなかったコンビニのバイトを辞めて、人を応援するなんていう胡散臭い会社に、いしけんにズバリと自分のことを言い当てられたことだけで、一つ返事で飛び込んでいけるような素直さ、という馬鹿さはなんなのか。その辺は個人的に釈然としないんだけど、修也のことを考えてた部分もあったのかなぁ、と思っている。修也をわかってくれる人がいる場所に修也の居場所を作ってあげたかったのかな、なんて。

どんなときもにこにこ笑ってたジョーが、最後の最後に、裕美子さんが死んじゃったら…って不安を口にするクリクリに対して、声を荒げる。すごく戸塚くんっぽい役だなぁと思った。

 

ジョーを演じてる戸塚くんは本当に楽しそうだった。

戸塚くんが演じる役ってどうしても陰がある役が多い。楽しそうなのに、寂しげに感じたり、嬉しそうなのに、悲しげに感じたり。そういう陰の部分を周りから押し付けられがち。(その気持ちはとてもわかる。)

ジョーには、陰の部分が限りなく少なくて、ただ明るくて熱くていいやつで、馬鹿だった。

戸塚くんは戸塚くんなりにもうちょっと考えていたのかもしれないけど、私にはその明るい部分がすごく輝いていて、新鮮で素直な気持ちで見ることが出来た。

Change Your Mindのジョーは最高に楽しそうで、サポーターズのジョー(というか戸塚くん)は最高に力強くて、そのパワーだけですごく幸せな気持ちになれた。

 

今回のお話について、個人的に一回で終わらせるのとても勿体無いと思っている。一つの応援は終わったけど、まだまだたくさん他の応援を見てみたいという気持ちが強い。勿体無い!続きが書きたい!と思うほど魅力的。

そんなキャラクターを生み出してくれ、全編通して心に響く音楽を作ってくださった西寺郷太さんと、さすがと思わせる演出をしてくださった錦織さん、キャストやスタッフの皆さんに感謝。

たぶん、私にとって、大事な思い出になる。宝箱にしまって時々取り出して眺めたい。

楽しかった!ありがとう!からの全身全霊!