I like what I like

アイドルが好きです。

ABC座2016 応援屋

ただ自分が思ったことを残しておきたいと思います。

行間についてはそちらでよろしくという部分も多々あったから、私は私の都合のいい解釈をしています。

 

人間は、コンピューターに勝てる

コンピュータテクノロジーの発達は、人間の生活を便利にした。大抵のものはワンクリックで手に入るし、調べたい事柄は検索すればすぐに知ることが出来る。今まで店頭に足を運び、面倒な書類のやりとりが発生していた手続きだって、全てネットで完結する。

現代人は、とにかく時間がない。だから、できるだけ時間も手間も省きたい、無駄な労力はかけたくない。だから、時間や手間がかかることは嫌われる。より早く便利に、無駄なく。それが時代の総意のように考えられて、多くの企業がその方向を向いて進む。隊列を乱さず、一心不乱に進んでいく。

その結果、確かに便利になった。時間も労力もかからない。電車の中でベッドの中で、モノも情報も、ほとんどのものが指先だけで、手に入る時代になった。

でも、その指先が触れるのはいつも無機物ばかりで、伝わる温度はない。

煩わしさを徹底的に省いて、便利さを追求すると、人と人との繋がりはどんどん希薄になって、この世界に自分以外の体温が存在していることを忘れさせてしまう。

まるで、世界から「人間」という存在が欠落してしまったようで、私は、それがすごく怖いことだと思っているし、とても寂しいことだと感じていた。

 

そんなわたしの思いに、舞台上で描かれる、いしけんがDIGITAL COOPSより応援屋を選んだことや、桂馬がキャタナに勝ったことがぴったりマッチして、涙が止まらなかった。

コンピューターは確かに人間より優秀だけど、それだけじゃだめなことってあるんじゃないだろうか。

 

いしけんが応援屋を始めたのは、寂しかったからなんだと思う。

人の心は数学だ、といしけんは言うし、大まかな部分ではそうだと思う。もちろん、それだけじゃない部分もあるけれど、それまで自分ひとりで世界と闘ってきたいしけんにとっては、人の心もデータから答えが導き出せると考える方が心の安定を保つことできたんじゃないかな。

自分以外の世界から自分を守るために、コンピューターとデータに頼ってたいしけんを、社長との出会いが変えた。コンピューターとデータより、人間をいしけんは選んだ。埋められなかった寂しさを埋めたのは、人の優しさや温かさだったんだと思う。

 

コンピューターって実際すごい。実際に囲碁・将棋の世界ってAI優勢のような流れがある。

覚えられるデータ量も違うし、先を読む能力だって、コンピューターの方が優れているのは事実だし、仕方ない。そのために作られてきたものなんだから。

桂馬がキャタナに勝つのは、筋書き通り、という感じだったけれど、その勝ち方が良かった。

負けそうになった時、応援屋に助けられる。それでも、やっぱり勝つことは難しかった。桂馬は、彼らに裕美子さんを探しに行くように言って、一人でキャタナに向かい、勝った。

よく出来た奇跡だけど、人間に助けられることで人間は驚くべき力を発揮する、という描かれ方がすごく好き。

一人じゃだめで、誰かがいないとだめで、それは人間じゃなきゃだめ。

私はあのシーンをそういう風に解釈している。

 

応援する=一人にさせないということ

「応援」って、応援する相手がいないと出来ない。その行為は、世界に自分以外の人間が存在していることを強く感じる行為だと思う。

「幸せを循環させる」。応援という行為についてのいしけんの台詞がすごく好き。

応援するって、きっとする方も、される方も幸せなんだ。された方は、一人じゃないと思うことが出来る。でも、それってする方も一緒で、誰かを応援することで、自分は一人じゃないことを強く感じることが出来るんじゃないかな。

 

クリクリは引きこもった狭い世界から桂馬を応援することで、夢を叶えられなかった自分の人生を追体験していただろうし、桂馬がいることで救われたこともたくさんあると思う。プロ棋士として活躍する桂馬に一度でも勝ったことがあるということが、クリクリにとっては誇りだったんじゃないかな。

キャタナに負けた後、将棋に全てをかけた自分の人生すら否定しようとしていた桂馬は、クリクリの言葉や、それまで何の接点もなかった応援屋の面々に、「あなたは僕らの希望」とまで言われて、心が動かされた部分もあると思う。キャタナに負けて自暴自棄になった自分を応援して支えようとしてくれる人がいることってとても心強いことだったんじゃないだろうか。

 

裕美子が一人になろうとしたことを、結果的に応援屋の面々は阻止するんだけど、それが最善だったのかはわからない。もしかしたら、やり直した後の人生は希望に満ちていたかもしれない。でも、もしかしたら、とても寂しい人生だったかもしれない。

だって、きっと彼らが裕美子を探して、裕美子を止めようとしなければ、美穂の友達に会うこともなくて、ポーチに残された美穂の想いを知ることもなかったんだから。きっと、裕美子にとって、社長や美穂と過ごした長岡での日々はずっとずっと悲しい思い出になってしまったと思う。

一人ってとても寂しい。いしけんは、それをわかっていたから、社長と裕美子を一人にさせまいとしていたのかもしれないな、と思う。

 

応援する=一人にさせないこと、と考えると、ジョーが社長と裕美子に言った「二人の悲しみは絶対にわかりません。でも、そばにいることは出来ます。」という台詞は本当に応援そのものなんだと私は思う。

今回の舞台が始まってすぐ、応援されるってなんだ?、と考えたことがあった。

応援することは馴染み深いけど、応援されるって今ひとつわからなかったから。

例えば、仕事が大変な時に「できると思うよ!頑張りなよ!」って言われるのが嬉しいか……今ひとつ嬉しいとは感じられなかった。

でも、ジョーの台詞を聞いて、応援されることがストンと胸の中に落ちた。肩代わりしてもらえなくても、そばにいて見守ってくれるってとてもありがたくて心強いことだな、力が湧いてくるなって。

 

ジョーについて

お人好しだけど、頑固。馬鹿だけど、正義感が強い。高校野球マニアのジョーという役は、元から応援する側としての役割を持たされてたのかなと思ってる。

いくら修也に言われても辞めなかったコンビニのバイトを辞めて、人を応援するなんていう胡散臭い会社に、いしけんにズバリと自分のことを言い当てられたことだけで、一つ返事で飛び込んでいけるような素直さ、という馬鹿さはなんなのか。その辺は個人的に釈然としないんだけど、修也のことを考えてた部分もあったのかなぁ、と思っている。修也をわかってくれる人がいる場所に修也の居場所を作ってあげたかったのかな、なんて。

どんなときもにこにこ笑ってたジョーが、最後の最後に、裕美子さんが死んじゃったら…って不安を口にするクリクリに対して、声を荒げる。すごく戸塚くんっぽい役だなぁと思った。

 

ジョーを演じてる戸塚くんは本当に楽しそうだった。

戸塚くんが演じる役ってどうしても陰がある役が多い。楽しそうなのに、寂しげに感じたり、嬉しそうなのに、悲しげに感じたり。そういう陰の部分を周りから押し付けられがち。(その気持ちはとてもわかる。)

ジョーには、陰の部分が限りなく少なくて、ただ明るくて熱くていいやつで、馬鹿だった。

戸塚くんは戸塚くんなりにもうちょっと考えていたのかもしれないけど、私にはその明るい部分がすごく輝いていて、新鮮で素直な気持ちで見ることが出来た。

Change Your Mindのジョーは最高に楽しそうで、サポーターズのジョー(というか戸塚くん)は最高に力強くて、そのパワーだけですごく幸せな気持ちになれた。

 

今回のお話について、個人的に一回で終わらせるのとても勿体無いと思っている。一つの応援は終わったけど、まだまだたくさん他の応援を見てみたいという気持ちが強い。勿体無い!続きが書きたい!と思うほど魅力的。

そんなキャラクターを生み出してくれ、全編通して心に響く音楽を作ってくださった西寺郷太さんと、さすがと思わせる演出をしてくださった錦織さん、キャストやスタッフの皆さんに感謝。

たぶん、私にとって、大事な思い出になる。宝箱にしまって時々取り出して眺めたい。

楽しかった!ありがとう!からの全身全霊!