I like what I like

アイドルが好きです。

2018年上半期振り返り

もう下半期も半分終わろうとしているのに今更上半期の振り返りをします。最近老化が激しく、すぐに物事を忘れるので、書いておかないとやばい。

 

1月

 

全然記憶がない。何にもしてない。ノー現場!

年初の帝劇がなくなってすごく寂しい。でも、高いチケ代払わなくていいからいいのかもしれない。トニトニが私の中のJW最高傑作なので、別にこれから先年始の現場がなくても泣かない。あったら行きます。もちろん。

 

2月

全然記憶がない。

けど、よくよく考えたら伝打伝助でバキバキに打ちひしがれて再起不能になってた。2/28は友達とご飯に行ったんだけど、震えながら行った。今考えてもゾッとするほど鮮やかな犯行だった。

詳細はこちら↓

riiicco.hatenablog.com

 

3月

ヴァ、ヴァ、ヴァ!!!!全然期待してなかったのに割と楽しめてしまった。ぶっちゃけ戸塚くんさえいればなんでもいいんだな、私……などど思い、ちょっと落ち込む。

でも、あのメイクは絶対いらなかった。あと舞台前にいきなり声帯結節の話を教えてくれたのなんだったんだろう。あの件で心の中で戸塚くんと大喧嘩したんだけど、翌日起きたら綺麗さっぱり忘れていた。ちょろりんぬ。いや、でも、ほんと喉には気をつけて、きちんとケアしてください。

ブログはこちら↓

riiicco.hatenablog.com

 

ジョーダンバットが鳴っているの書籍が発売される。

全ページに細かく書き込みしたり、ヴァで投げ込む手紙に感想書いたり(自分史上最高の大作をボックスに入れて満足。絶対に読まないでほしい)、イベント応募の葉書に感想書いたり(感想という名の角川と編集さんへのお礼状含む)したら、それだけで満足してブログを書いていない。下書きにあるのでいつか書きたい。今書いてます。

 

4月

まだヴァを見た。メイクが薄くなってよかったです。

 

セクゾコンin静岡

初デジチケでアリーナを引き当てる。キラキラがバシバシ顔に当たって凶器だった。痛い。

めっちゃいいコンサートだった。お金がかかってるぅ!!

感想はこちら↓

 

riiicco.hatenablog.com 

掛川駅で食べたメロンのアイス美味しかった。

 

5月

ラストホールドを見る。

映画はふつうに楽しめた。やっぱり大きなスクリーンに自担が映るって嬉しいんだろうなぁと思った。塚田くん、とてもきれいだった。

映画館でFuture Lightが流れた瞬間は思わず涙ぐんでしまった。嬉しい。単純に。こういう嬉しいがもっと積み重なってほしい。

 

ジョーダンバットのイベントに当たった。よかった。これで当たらなかったらマジで死んでた。ご協力いただきました皆さま、本当にありがとうございます。

感想を書いていたけど、途中で力尽きていた。

調布というホーム中のホームで、とてもリラックスしている自担が見れた。プライベートの話をあまり公の場でしない戸塚くんが、リアル友達を連れてきてくれたことに謎の感動を覚える。余計なお世話でしょうが、今後とも仲良くしてください。

真面目に気持ちの悪い話をすると、我々はちゃんと戸塚くんに愛されているのだなぁと思った。恥ずかしい。何言ってるの??! オタク以外の人にはこんなこと口が裂けても言えないけど、そういう感傷に浸れる会だった。

まとめ代わりにツイートを引用。

戸塚くんの発言に関して、時々、それほんとにそう思ってる?と疑心暗鬼になるときもあるんだけど、『戸塚くんは心の中に存在していることを発信している』と信じようと思う原動力になった。もちろん、その通りにできないときもあるけど、それでもちゃんと思ったことを言ってるんだろうな。と、私は推測するし、信じ続けるのだろう。

「光」の朗読よかったな。すごくうまい!ってわけではないかもしれないけど、戸塚くんが声に出して読んでくれることで、彼にとって大切なシーンがありありとわかった。改めていい作品だと思う。

 

セクゾコンにも行ったけど、4月にも書いたので割愛。

 

6月

ご縁があって、バリータークを見る。泣いた〜。

剛くんの演技、ドラマでは見たことあるけど、生で見ると全然違う。なんというか……こわかった、というのが一番近い感情かもしれない。リアリティがありすぎて非現実的な感覚を感じた。『お芝居を見ている』と強く思った。不思議。完成されていて、私個人の感情が入り込む余地がなかった気がする。すごいものを見た。

 

LBTが始まる!

ラブバトル最高!ホールツアーかぁ〜って思ったけど、始まってみたらもちろん楽しかった。当たり前。いろいろ書きたいことがあるので、今日はこれだけにしておこうと思う。

 

 

上半期を振り返って思ったこと『現場がないと生きる意味を失いがち』

以上です。

Sexy Zone repainting TOUR2018

今年もGWは横浜アリーナへ!

2018年のSexy Zoneさんのコンサート覚書です。忘れぬうちに、よかったところ箇条書き。

 

 

🌹OP

ムービーがスタイリッシュすぎる。なんだこのおしゃれ。今のSexy Zoneの路線がよく表れてる。こういう風に売りたいんだろうなぁと思う。

 

🌹Unreality〜ROCK THA TOWN

初っ端がUnrealityだったのはびっくり!でも、この三曲でコンサートのスタイリッシュな雰囲気が一気に伝わる。演出のレーザーがかっこいい。いちいちおしゃれ。

 

🌹Birthday for you

直前のAIマリの流れからのこの曲。ハッピーすぎて泣ける。

repaintingされた新生Sexy Zone誕生日おめでとう!

 

🌹My Life

縦花でShots of  tequilaをスコーンていわすところ、毎回全私が心の中で爆笑

風磨くんのソロはバーテーブルが度々登場するの笑う。

 

🌹Mermaid

かわいい!モニターと連動したダンスがかわいい!曲自体は王道曲で下手したらずっとぼんやり見ちゃう曲なんだけど、演出の勝利。

 

🌹Kiss You Good-bye

よっ!久しぶりに会ったな!ジャニアイぶり!

ステージの下からおもむろに渡されるホルン笑うし、それ持ったまま歌うんかーい!!笑

 

🌹Pheromon

もうこれジャニオタみんなすき!みんな自担にやって欲しいでしょ?!

ようこそ、Sexy Zone Worldへ!!

階段使ったダンスとカメラワークが巧妙!

 

🌹O.N.E.

この歌を歌うコンサートを嵐がふたり(翔くん、潤くん)も見にきたのじわじわくる。嵐からしたら小鳥の囀りなんだろうけど。

そんなこの曲の演出に潤くんがアドバイスして(センステせり上がり)そのまま変えちゃうSexy Zone素直か。

 

🌹ラブマニ

フィンガーダンス見事!楽しい!もっといっぱい入ったら絶対振り完コピしてた!M◯ステ意識なので、舞台横のスペースでふましょりが見てら演出なんだけど、風磨くんは今すぐステージに出しても恥ずかしくないほど振りが完璧。

 

🌹Sing along song

客席に歌わせたくて試行錯誤してるのめっちゃ笑う。オーラスめっちゃ声出てた!最高!

 

🌹Mission

マジ中島って天才だよね?!

縦花の移動間で客席煽りまくるんだけど、めっちゃ盛り上がる。

か〜ら〜の、Tシャツバリバリー!!!!

わwらwうwwww もうやだ面白すぎwww

私以外にも中島ソロ後に過呼吸になってる人を多々見た。

 

🌹デジャヴュ

マリウスこの間まで10歳だったんだけど、いつの間にか大人になってた。かっこいい。ずっとゆらゆらできる。最高。おしゃれ。

 

🌹名脇役

歌割り最高!!!!

「他でもない君でこんな始末になってるんだよ」

「なにかしらの間違いでいいから 僕のものになってくれないかな」

は〜〜〜〜〜、無理!!!!!

 

🌹やっと来たか俺のピーチ〜PEACH

前回のsnow演出といい、Sexy Zoneさんのコンサートは楽しませようという意気込みがすごい。そして、予算が潤沢。マジで金がかかってる。

オーラスの万を辞して登場した風磨くん可愛すぎて泣いた。PEACH名曲すぎて視界がぼやける。かわいすぎて、無理。

 

🌹スキすぎて

マジかよ!?って思ったNo.1。一気に2012年の国際フォーラムに戻った私の魂。もう何年も踊っていないのに体が勝手に動くSexy Zone育ちたち。

 

🌹Fanstasy

もーーーー、すごい!きれい!!

ペンラ消した真っ暗な空間に浮かび上がるセンステ、飛び交い瞬く光。本当にファンタジー。異空間に迷い込んでしまったかのようなファンタジー。イッツ ファンタジー。

 

🌹シルムン

ま じ か よ 。

マジで泣いた。泣かずにはいられまい。心は2012年の(以下略)シルムンとともに蘇る思い出。

ペンライトの白に包まれた空間、センステの上で照明を浴びてキラキラ輝く五人のSexy Zoneを見るとなんか生きててよかったなぁと思う。ここまでこれたね、これたよ。ありがとう。

 

🌹フィルター越しに見た青

自主的に青ペンラにしてる人が八割ぐらい。みんな空気読んでる。上から見ると青いホログラムがひらひらと舞い落ちるのが、星が瞬いてるみたいで綺麗。

でも、あれマジで量多すぎて痛いからバシバシ当たる。凄すぎてみんな笑ってる。

オタクに連れられてどこかに行っちゃう青。静岡では、さわやか掛川本店の駐車場までいってたよ!

 

🌹HITOMEBORE

なんでひとめぼれなの?って思ったら、一緒に行った松島担が聡マリのパートができてるじゃんっていうから、なにぃ?!repainting!!!!?となった

 

 

いやぁ〜〜、Sexy Zoneすごい!去年もショウだなぁって思ったけど、今年もショウだった!!

挨拶で、一番になるって言うのほんとかっこいいし、事務所の期待をひしひしと感じているんだろうなぁと思う。正統派だもんね。

repainting、現在進行形なのもにくい。そう題したツアーで懐かしい曲を織り交ぜて過去をチラ見せしてくるのもにくい。うまい!!

今年はきっと、Sexy Zoneにとって飛躍の年になるんだろうなぁと思っていたけど、その勢いを肌で感じることができるコンサートでした。

普通にいいコンサートなのも嬉しいし、なによりも五人が手放しで笑ってるのがいいよね!!

あと、静岡で会場が緑色になったのよかったなぁ。オタクの想いが同じ方向に向いてるの、見てて気持ちいい。

個人的に『今が一番楽しい』と思えるコンサートができるグループって本当にすごいと思うから、そういった点ではウェルセク以降ぐらいのSexy Zoneはいつも今が一番楽しい!来年もきっと楽しいんだろうなぁ!!って手放しで思います。

今年もありがとう、Sexy Zone!!!!

 

ときめき担当、戸塚祥太〜ミュージカル 恋する♡ヴァンパイア〜

A.B.C-Zは現場のサイクルがわかりやすいグループだと思う。春〜夏は個人舞台、夏はコンサート、秋はABC座、冬は春夏に舞台に出なかったメンバーが個人舞台。もちろん例外もあるが概ねこのサイクルで一年が終わっていく。個人舞台は大抵が一年に一回。その年の自担の大きな仕事の一つと言える。

2018年の戸塚くんの個人舞台の発表があったのは、2017年11月13日。戸塚くんの31歳の誕生日のことだった。

 

『恋する♡ヴァンパイア』。これは、2015年公開の戸塚くんの映画初出演作品だ。私はこの作品については多くは語らないので、ウィキペディアでも見て欲しい。この年はバブルだった。なんと一年に二本出演映画の公開があり、地上波の帯ドラマに出た。今思い出してもすごい一年だった。なので、どうしても他の作品の影に隠れがちなのだ。別に嫌だとか嫌いだというわけではないし、恋ヴァ落ちの戸塚担だっているに違いないと思っている(いまだ出会ったことはない)。私の中では他の仕事に比べれば好きの度合いが劣後するというだけだ。まぁ、でも……特別好きではないかな(結局)

 

そんな「恋する♡ヴァンパイア」が三年の時を経て、ミュージカルになる。前回はヒロイン キイラがヴァンパイア、相手役の哲が人間という設定だったが、今回は逆転し、ヴァンパイア・ハイスクールに通う哲と人間のキイラのラブストーリーだ。

……ヴァンパイア・インターナショナル・ハイスクール?

ヴァンパイア・インターナショナル・ハイスクール?

これってhigh schoolですよね?つまりは、高等学校ですよね?ということは、こうこうせ……い? なんと、31歳の誕生日に高校生役を発表された。(ヴァンパイアなので本当に高校生なのかは怪しいと思っていたが、劇中で人間年齢では18歳と提示されたので間違いなく高校生だった。)

……大丈夫?(笑

これは一例だが、他にも色々懸念点があり、正直初日まで期待半分不安半分で過ごしていた。

 

迎えた初日。3月9日。天王洲 銀河劇場。銀劇遠いわ、勘弁してくれ。と思いながらも通うのがオタクです。

結論から言おう……良かった。

「期待できないな」とか思ったの誰だ?はい、私です。大変すみませんでした。

但し、『作品として』良かったわけでは……ない。(言い切ってすみません)

『戸塚くんリア恋として』良かった。

 

リア恋という言葉は多義に渡るし、使う人によって意味合いも違う。ここでは、「アイドルと自分の世界線が交わるとしたら付き合いたいと考えている人」と定義しよう。

戸塚担の全員が全員、戸塚くんリア恋なわけもなく、好きの形はそれぞれだと思うが、多かれ少なかれ戸塚くんに男としての魅力を感じている方も少なからずいるのではなかろうか。だって、アイドルなんだもん。(もちろん、そうでない人もたくさんいることは理解しているし、こういう考え方を不潔に感じる人もいるだろう。そこは宗教の違いということで大目に見てほしい。悪気はないから、石は投げないで)

さて、今作について。戸塚くん自身もインタビュー等で話していたが、この作品で届けるものは「胸キュン」だ。こうなったら色んなことを忘れて「胸キュン」だけを受け取ろう、と思った結果……よかった。まぁ、ストーリーとかそういうのはこの際置いておく。なんでやねーん!と思いながら見るのがこの舞台のいいところ。ストーリーは心の目で見よう。つっこんだら負け。

 

以下、私がよかったところをつらつらと。

まず、哲くん、かわいすぎ。

おっと、勢い余って文字がでかくなった。ここから先、私の中の迸るパトスが抑えきれなかった際には、このフォントサイズでお知らせします。ご承知おきください。

いや、哲くん、可愛いんだ。まず喋り方がかわいい。ぶりっ子か?ぶりっ子だ。なに、あの甘えたような喋り方。声が心なしか丸い。背中を丸めるのと同時に声も丸めてる。なに?パン屋意識なの?パン生地捏ねてるの?それとも、おっぱいクリーム売ってるから、おっぱいの丸さかな?(ていうか、戸塚くんにおっぱいクリームとか言わせたのすごいね。面白いからいいけど)要するに最高。哲くんの声、丸くてふわふわ。丸くてふわふわなものってかわいいよね。マシュマロとか、綿菓子とか、肉まんとか。(肉まんがかわいいかどうかは人それぞれだ)

動作もかわいい。ヴァンパイア ・ハイスクールの校歌を歌う哲くん、最高。抜き打ちテストでへろへろになってる哲くん、最高。今すぐ手を取って引っ張ってきて、「もう!しっかりして!」って怒鳴りつけたい。

なにが言いたいかって? 

小動物感!

迷いこんできた兎を保護して、「おいき」ってリリースするところとか、兎よりもかわいいです。うさぎも真っ青。恋ヴァの青うさぎになっちゃう(?)

あ、顔が可愛いのはいつものことなので、言わずもがなです。

 

そんな、鈍臭くてダサい哲くんですが、ギターを抱えれば素敵な歌声を披露してくれます。ギター×戸塚くんって最高。

私は、男性がギターを弾くのを見てるのが好きで、特にコードを押さえる手の動きが大好きなのだが、戸塚くんの手、最高かっこいい。大好き。細かい話をすると、Gのコードを押さえる手の形が最高に好きなんだ。しかも、戸塚くんは、人差し指中指薬指でなく、中指薬指小指で押さえている。一つ指が違うだけで天と地との差だ。いや、これ、最高ですか。どのコード押さえている戸塚くんも好きだが、Gを押さえてる時が一番手の美しさと大きさが感じられ、個人的には一等賞であります。(どうでもいい情報だが、好きなコード次点は、Bだ)

※Gのコードはこちらをご参照ください。

Gコードの押さえ方(指使い) | ギターのコツ

 

さて、作中では四回ギターを弾くシーンがある。

①ヴァンパイアの世界で自分のどんくささを噛み締めつつ歌う(哲のテーマソング)

②一回目に散々な印象を与えたものの諦めきれず再びキイラに会いに行って、コード進行に関するアドバイスをしたのち、弾いてみせてと言われて歌う(哲とキイラの恋歌)

③②の曲にキイラが歌詞をつけて、それを曲に乗せて歌う(哲とキイラの恋歌)

④エンディング(哲とキイラの恋歌 ロックver.)

どれもかっこいい。全部好きなんですが、③が最高。

ひなちま、今すぐそこ代わって!(ふたりが可愛い!)

おっと、本音と建て前が丸っ切り逆だ。

いやでも、ひなちまはかわいい。顔がかわいいし、表情の作り方もかわいいし、仕草もかわいい。ひなちまのことは名前と年齢と乃木坂の子ってことしか知らないが、この子絶対いい子。いい子じゃなきゃこんな可愛くない。私が戸塚くんだったら、たぶん好きになっちゃうな。ハッハッハ〜!!そのくらいかわいい。

哲くんが歌うところを見てるキイラは、自分が作った歌詞を歌ってもらうのがめちゃめちゃ恥ずかしいんだけど、好きすぎて哲くんから目が離せないという感じが溢れ出ている。歌詞を見ながらも、時々キイラの様子をうかがいながら歌う哲くん、最高。

てか、もうそれ、戸塚祥太だから。リア恋大爆発で大惨事だ。

もし、rico(私です)と戸塚くんが同じようなシチュエーションを演じるとしたら(?!)、私は歌詞書いたよ!とか言わずに朝机の上にコード進行と歌詞を書いた紙をぺっと置いて出ていく。帰宅したら、その紙を見てギター弾きながら歌ってる戸塚くんがいて、あぁっ!恥ずかしい!でも、嬉しい!みたいな感じにしたい。(それはもうヴァの話ではなくてみんな大好きリア恋妄想だから、一回落ち着いてほしい)

 

そして、やはりこれを外すわけにはいくまい。ベッドシーンです。

ベッドシーンではない、ベッドシーンです。

※このシーンは、ヴァンパイアの世界での闘いに勝利し、無事に人間界に戻った哲とキイラが晴れて結ばれる(言い方に昭和を感じる)シーンである。

いやぁ、なんでどの舞台誌もこの写真載せてくれないかな?だって、ここが見どころでしょうが。きちんとしなきゃ、お母さん、怒るよ!!

戸塚くんの体は美しい。顔もそうだけど、体も含めて造形が整っている。広い肩幅、厚みのある胸板、逞しくも繊細な首筋……。なんだこれ。官能小説でも書き始めるのかと思うじゃないか(笑)書きません。

そんな美しい体の中でも際立って美しいのは、その手だと思っている。大きくて綺麗な手が、女の子の小さな手を包み込む様は、どこか神聖だ。生物学的な性差をこんなに素晴らしいと感じたことは、いまだかつてなかったかもしれない。生命の神秘。ダーウィンもびっくり。同じ魂の入れ物なのにこの違いが生み出されているのなんでなんだろう。もし、神様がいるなら、なんでこんなふうに違いを作ったのだろう、ということまで考えてしまったり……しなかったり……(笑)

あと、やっぱりその対比はセクシーだよね。まぁ、とにかくキイラと哲くんのベッドのシーンは最高ということだ。

 

 

常々思っていることではあるが、戸塚祥太という存在が放つ引力はすごい。何がすごいって、どうしようもなく苦悩を背負わせたくなってしまうところだ。彼の容姿のせいなのか、彼の放つ雰囲気のせいなのか、はたまた、彼の内側に在る実際に背負っている苦悩のせいなのか。たぶん、全部だ。なぜか個人舞台では尽くそんな役を演じてきた。ある意味、彼のパーソナリティがそんな役を引き寄せていたのかもしれない。

私は『熱海殺人事件』を見れていない戸塚担新規だが、当時友人からそのストーリーは些細を聞き、その悲壮な役所に衝撃を受けた。『広島に原爆を落とす日』のディープ山崎なんて苦悩という言葉を体現するかのような役だった。『出発』や『寝盗られ宗介』は、わかりやすく苦悩が表出する役ではないものの、その内側に抱える苦悩は言い知れない。つか作品は、テーマや描き方が苦悩とは切り離せないものだが、そこから離れた『Defiled』でもまた苦悩を絵に描いたような青年を演じることとなる。大変な役が続いたが、戸塚くん自身もそういった苦悩に満ちた役柄を演じることにある種のやりがいを感じていたのではないかと私は推測している。

そんな苦悩に満ちた役を戸塚くんが演じるならば、必然的に、受け取る側も大変な苦悩を強いられる(と、私は感じている)。そういった作品に触れたあとは疲れるが、その分得るものも多い。だから、考えるという行為と切り離すことができない戸塚くんの個人舞台の仕事を、私個人的としては、とても好んでいた。

ところが、今年は全く違う。哲には哲なりの苦悩があるだろうが、それはこれまで戸塚くんが演じた役に比べると取るに足らないものだし、そもそも苦悩を抱えるようなキャラクター設定がされていない。戸塚くんは、個人舞台というフィールドにおいては、やっと苦悩という呪縛から解放されたともいえよう。

しかし、今回、苦悩とは別のものを戸塚くんは引き寄せている。それは「女のエゴ」だ。見た目はダサいけどかっこいい男の子に好かれ、その人を自分の好きなように変身させる。情けなかった男の子が自分を守るために強くなる。キイラがそういったエゴを持っていない(ように描かれている)キャラクターであるため、そこまで主張してこないが、映画から続く「恋する♡ヴァンパイア」の根底にはそういう「女のエゴ」が存在しているように思う。私が映画そして今作に感じる「気持ちの悪さ」の原因は、やっぱりそれで、それ故にああ嫌だなぁと思いながらも見ることをやめられないのだと思う。こわい。

しかし、男性アイドルというのは、主張は様々であるが「女のエゴ」に生かされている側面もある。アイドルというのは往々にして『こうしてほしい』『こうされたい』という疑似恋愛の対象となるものではなかろうか。だから、それを否定するつもりは一ミリもないし、リア恋妄想とかして遊んでいる私には否定する資格もない。

 

突然だが、私はアイドルが好きだ。あっ、知ってるって?まぁ、もうちょっと話聞いてよ。

アイドルを好きな理由としては、大きく二つ、だと思っている。

一つ目の理由は、表現者として面白いから。アイドルの仕事は幅広い。歌もダンスもお芝居もトークもバラエティも、昨今ではキャスターやパーソナリティをやる人もいれば作家になる人もいる。要するになんでもできる。なんでもやらなきゃいけない。つまり、表現者としての色んな一面を見ることができるんだ。そこが、とても面白い。

もう一つの理由は、アイドルという存在自体が面白いから。彼らは、まさしく偶像(アイドル)で憧憬や崇拝の対象なのだ。憧憬と恋情は時に隣り合わせで、どちらかがどちらかを引き寄せることも多い。だから、幼い頃、アイドルに恋をする女の子も多いのだろう。とても興味深いし、それ故にとても惹かれる。

 

戸塚くんのこれまでの個人舞台は、演じる役柄や作品の性質としてアイドル戸塚祥太表現者としての側面が強調されていた。しかし、今年、舞台の上に立っているのは、表現者ではあるがアイドルの戸塚祥太だと考えている。アイドルの戸塚祥太が今作で背負ったものは、観客が役柄に彼を重ねたり、キイラに自分を重ねたりすることで得られる『胸キュン』や『ときめき』を与えるという役割だろう。

奇しくも、「ジョーダンバットが鳴っている」書籍化にあたり、これまで戸塚くんが載ったダ・ヴィンチを読み返していた私は、伊坂幸太郎氏が戸塚くんを評した「ときめき担当」という言葉に行き当たった。良くも悪くも戸塚くんは「アイドルの正統派」なのではないだろうか。それは、彼が戸塚祥太として生まれた瞬間から背負ってしまった業なのかもしれない。

戸塚くんのパーソナリティの引力よりも大衆から与えられた役割が勝った結果がこの作品だと、私は思っている。そして、戸塚くんは自身に与えられた役割を十分に全うしたとも。だから、これまであまり見れなかったものだし、これはこれでアリで、アイドルの戸塚祥太の仕事歴としては興味深いもの、というのが私のミュージカル「恋する♡ヴァンパイア」に関する総評だ。

 

ただ、ひとつだけ言いたい。こういうのはあくまで箸休めで気軽なものであってほしい。ライトな層に訴えかける娯楽であってほしい。舞台でもまぁ……与えられるなら消費するしかないけど、できることならもっと手軽な媒体で見たい。正直、舞台の仕事としてこれが続ければキツい。

一年に一度の個人舞台として、こういうのが続くとつらいなぁ……。そんなことを記事に書く日がこないことを願いつつ、今回は筆を置くこととしたい。贅沢かもしれないが、マジで頼みます。

 

 

(自分のための追記)

本人より言及のあった声帯結節についてはとても思い悩んだものの、私が心配しても仕方ないので、もう気にしないことにした。今回、ミュージカルということで歌に関して色々期待も寄せていたのだが、それは喉の心配がなくなってから再チャレンジしてほしい。もちろん、今作に出演したことで発声も随分変わったので、今後に続いていくものと考えている。

Beautiful Glider〜伝打伝助をめぐる物語〜

みなさん、こんにちは。考察厨です。

二月も終わりますね。明日は、大荒れとなるようです。もう春が近いですね。交通機関の乱れが予想されますので、明日の朝は十分にお気をつけて出勤・登校ください。

 

本日のお題

戸塚くんが、公式サイトジャニーズウェブで連載していた「伝打伝助」について

 

***

 

インターネット文化として「個人サイト」出の私や友人は、伝打伝助(以下、伝伝)をどうしても個人サイトの連載のように感じており、よくそのように揶揄をしていたのだが、2018.2.27の時点になり、これは本当に個人サイトの連載だったのかもしれない、と衝撃を受けた。しかも、周到に準備された。

正直、戸塚くんの才能が妬ましい。

いつから、こんなことを考えていたんだ!こんな幕引きを考えていたんだ!おい!戸塚祥太!好きだ!ばか!!!!

 

2018.2.26

伝伝にて、伝打伝助の遺作として『炸裂する意志の躍動』の一文が更新される。みんなざわついた。「遺作」って、どういうことだ。いつ亡くなったんだ。少なくとも年始の時点で、伝助はバルセロナにおり、その記事を2018.2.23に投稿している。そこから2018.2.26までの間だろうか。たしかにそこからは、語り手が伝助であるという確信が持てる記事はなかった。

 

2018.2.27

伝伝にて、2016.11.13に書かれた伝助の手記が公開される。そこで知らされる事実に、またざわついた。なんと、2016.11.13から伝伝は戸塚祥太の手によって更新されていた。なんだよ、まじかよ。正直、しんどい。自担、しんどい。何やってくれてんだ。手記として公開された記事を読む限り、この終幕は2016.11.13には決められていたということになるのか?

まじか。約一年半、戸塚くんはこの日に向けて伝打伝助の物語を語り続けていたこととなる。空恐ろしい。最終日が今日になることを戸塚くんがいつ知ったのかはわからないが、それがいつになろうともこうやって幕を引くことは決めていたのだろう。伝伝での語り手は、時に伝打伝助で、時に戸塚祥太だった。それが意図的に行われていたと思うと、ぞっとする。まさか叙述トリックだとは思わなかった。これが単行本だったら2016.11.13までページを遡るだろう。実際、伝伝の更新後、ファンは挙って自分の画像フォルダ等を遡った。

伝伝の更新から数時間後、グループ連載えびブロの戸塚くんのページを更新。R.I.P(Requiescat in pace:安らかに眠れ)という言葉と共に、伝打伝助のバイオグラフィーが公開される。

伝打伝助、1970年7月30日〜2018年2月28日。

命日は、明日だ。添えられていたBUMP OF CHICKENの2010年の楽曲名。これは、おそらく戸塚くんが伝助に贈った曲だろう。ちなみに、『R.I.P』もBUMP OF CHICKENの楽曲で、伝助に贈られた曲と同じアルバムに収録されている。伊坂幸太郎の小説とBUMP OF CHICKENの楽曲は戸塚担の必修科目とされるべきだ。

そのまた数時間後、生放送のラジオにてお当番の戸塚くんのリクエスト曲で、上記BUMP OF CHICKENの楽曲『Beautiful Glider』がデビュー前に聴いていた曲として紹介される。

徹底してる。こわい。正直、しんどい。

 

2018.2.27

 

***

 

さて、ここからは2018.2.28の伝伝更新後に記したものとなる。2018.2.27現在、ここに何が記されるのかまだ想像できない。オラ、ワクワクすっぞ!(by孫●空)

では、どうぞ。

 

2018.2.28

昼休みだ。私は、緑のマークのコーヒーショップで震える手を叱咤してこの文章を書いている。読み始めると涙が出たが、最後まで読むと涙は出ていなかった。それは、私たちが薄々感づいていたことだった。だが、それを文字にされると心が抉られた。

しのごの言わず、今すぐ読んでほしい。たった数時間しか、この文章はこの世界に存在しない。儚くて、最高に美しい文章だ!

ここに、伝打伝助はいました。そして、戸塚祥太がいます。

生きづらさを感じている全ての人に、ふたりからのメッセージがあります。

 

2018.2.28 13:15

 

(2018.3.1 0:34追記、1:07修正)

2018.2.28 21:04

惜しまれつつそのページは閉じられた。*1

彼らの言葉をここに残しておくか最後まで悩み、一度は残そうとしたが、やはりやめておこうと思う。伝打伝助が生涯をかけて見つけ、戸塚くんの中にいま生きている言葉は、我々の心の中にそっとしまわれた。春を前にした太陽のように優しく温かく美しく輝いている、力強く、希望に満ちたこの記憶を、言葉を、忘れずにいよう。

 

R.I.P denda densuke

私たちの愛しい彼の片割れ

 

***

 

また時間は戻って、2018.2.27。

私はずっと『Beautiful Glider』を聴いている。戸塚くんにとっての伝助はこの曲で歌われる「あなた」なのだろう。

『Beautiful Glider』に関しては、この記事の解釈が私の気持ちを全て代弁してくれているので、ぜひ読んで欲しい。

http://insider.10bace.com/2017/08/09

 

これまで「やりたい事に似た逆の事」をしていた伝助が「飛び出した」、2016.11.13。当時の手記で「自分の人生を生きるため」と伝助も語っている。

そんな彼が最後に書いていたのが『炸裂する意志の躍動』だというのが、趣深い。引用された本文の「きみ」は、伝助にとっては戸塚くんであろうし、戸塚くんにとっては過去の自分であろう。(たぶんダブルミーニングだ。)『Beauiful Glider』の「憧れた景色とはいつでも会える 思い出せば」ともリンクする。

『炸裂する意志の躍動』と『Dolphin』の歌詞はリンクしている。これまた趣深い。「輝きが褪せない」にアクセスしたい時には振り返らずにただ愚かにダイブする『炸裂する意志の躍動』と、振り返らず急ぎ足にならずただ愚かに今を燃やしていく『Dolphin』。戸塚くんにとっては、ダイブする=今を燃やすことなのだ。愚かに今を生きることが、戸塚くんが、過去の自分と、「憧れた景色」と、会う方法なんだ。それは、2016.11.13の伝伝で語られた「1999年の横浜アリーナ」のそれなのかもしれない。

伝助は戸塚くんの愚かな生き方に影響を受けたと記していたが、戸塚くんも伝助に影響を受けている。伝助は戸塚くんの心の中にいる自分ではないもう一人の自分で、自分を肯定するための存在で、追い掛けるべき存在で。その伝助が亡くなるというのは、戸塚くんが戸塚くんとして一人で生きていくことを決意したということなのかもしれない、とも思うし、それができるようになったのかもしれない、とも思う。最終日の更新を見ていないため、今はまだわからないが。

(2018.2.28追記)

この部分は修正せずに残しておくこととする。私は、こう解釈している。

(追記終わり)

(2018.3.2 8:25 追記)

2018.2.27のえびブロで、過去から未来の記述をしていることを鑑みても、やはり伝打伝助を殺したのは戸塚祥太であろう。「殺した」というよりは、「その存在と自分の存在を一つにした」というのが私の考えである。だから、寂しくはない。私たちはいつでも、彼の中に在る伝打伝助に会うことができる。

(追記終わり)

 

ところで、デビュー前に『Beauiful Glider』を聴いていた戸塚くんの気持ちを想像すると涙が止まらなくなる。必死だったんだろう。自分が「選んでいくしかなかった」道が正しいと思いたくて、思うしかなくて。デビューすることを知っていても、知らなくても、怖い。これは、私の想像だが。

今、こうして私たちの前に戸塚くんがいる奇跡が愛しく、かけがえないものだと、改めて思う。

 

2018.2.27

 

***

 

もう何度も言ってきたことではあるが、私が戸塚担をやっていくうえでの魔法の言葉「戸塚くんの行動には絶対意味がある」をまたこうして実感できたことがとても嬉しい。最初は、戸塚くんの行動や、それを批判するだれかの言葉に惑わされないために、私が自分自身にかけた魔法のつもりだったが、今となっては実は戸塚くんの魔法にかかっていたのかもしれないと感じている。

戸塚くんの言葉に触れていると時々、構造式が見えることがあるんだ。一つ一つの行動や言葉が原子と原子が繋がって分子になるみたいにちゃんと繋がっている。発露している言葉が少なかった頃は、繋がっている言葉が見えないため行動が独特に感じられたり、あるいはその行動にすら気づかなかったり、また言葉自体の少なさから、彼がとても不安定に見えていたこともあった。だが、今はもう安定してる。他の何にも引っ張られることはないんだろうと思う。戸塚くんの言葉はずっと前から戸塚くんの中にあったものなのだろう。今までその時々で言葉にならなかったものがあるとしたら、それはまだ彼の中で言葉にするタイミングではなかったのだろう。きっと、彼自身の変化によって、秘められていたそれが言葉にして良いものとなり、繋がっているそれらが発露したからこそ、今の戸塚くんはとっても安定しているように見えるのだと思う。もちろん、戸塚くんが私たちに見せている行動や言葉がすべてだとは思わないが、これが私が見ることができる戸塚くんであるからして、私のなかではこれが正解なのだ。他人からしたら何言ってんだと思うこともあるだろう。押し付けに感じることもあるだろう。解釈違いはもちろん認める。私が、こういった想像や考察が大好きで、それらによって自担の美しいところを切り取ろうとしているめんどくさいファンだということは私自身が一番知っている。だが、やめるつもりはまったくもってない。これが、私の愚かな生き方だ!ドドン!

ところで、私は戸塚くんはすごく強運な人だと思っているのだが、今回改めてそう思った。いつからこの幕引きを思いついていたのかは知る由もないが、こうやって長い長い伝打伝助と戸塚祥太の物語をとても美しい形で終えることができた戸塚祥太の運はすごい。このタイミングでラジオの生放送があり、しかも自分がお当番で伏線を回収する機会を得られるなんて。戸塚祥太は、本当に神様に愛されている人間なんだ。それを引き寄せることができる人間なんだ。自担、すごい。(とんでもない自担アゲだが、今日は許して欲しい。)

戸塚くん、本当にお疲れさま。すべては戸塚くんが語ってくれたから、今日は湿っぽいことは言わずにいよう。ただ、ひとつ。こんな大作を世に送り出してくれてありがとう。おかげでとてもわくわくする時間を過ごせたよ。こんなふうに戸塚祥太の筆力を見せつけられたら、2018.3.31に発売される『ジョーダンバットが鳴っている』の単行本に収録される戸塚くんの書き下ろし小説が楽しみで仕方なくなる。はい、青字部分はテストにでます。

本当に自担、すごい!世界中に自慢したい!緑のマークのコーヒーショップに座ってる人全員に今すぐ私のスマホの画面を見せつけたい!

全米が泣いた!伝打伝助(本名:ダーリン・ダーリン)と戸塚祥太による感動大作『伝打伝助』

2018.2.28 これにて終幕!!!!ドドン!!

*1:そこには、伝打伝助から伝打フリークに贈る最期のメッセージが記されていた。それは彼の暗く長い闘いと救済の物語だった。

「僕」の三年間~戸塚くん三十一歳誕生日に寄せる三部作考察~

戸塚祥太くん、三十一歳のお誕生日おめでとうございます。

わー、はやーい!昨日、三十歳の誕生日を祝うためにブログを書いた気がするのに!!一年ってあっという間だね! 

というわけで、とにかく言葉にしないと気が済まない人間なので、誕生日には今年もブログを書くと決めていて、今年は何を書こうかなぁと夏ぐらいから考えていました。気が早すぎです。なんとなく方向性は決まっていて、こうしよう・ああしようとは思っていたもののうまくまとまらなかったのですが、夏以降、伝伝やとつブロで戸塚くんが発信してくれる言葉の変化に触れて、やっぱり今年は戸塚くんの言葉を題材にしてブログ書こうと決めました。 それと同時に、アルバムのリリースとそれに伴う戸塚くんの三部作発言から、ここ三年間のソロ曲の変遷についてまとめておきたいなぁという思いがありました。

なら、書いちゃえばいいんじゃない?歌詞も言葉だよ!というわけで、今年は、ソロ曲の歌詞から見る戸塚くんの言葉と変化についてブログを書こうと思います。

書き終えると、一万字オーバーの大作になっていました。大学時代に書いたどのレポートよりも真剣に取り組みました。

 

 

1.はじめに

「ドラマ」、「V」、「Dolphin」。

2015年発売のA.B.Sea Market、2016年発売のABC STAR LINE、そして、2017年発売の5 Performer-Z、A.B.C-Zの三つのオリジナルに収められている戸塚くんのソロ曲です。

この三曲はとてもよく似たテイストの曲で、一言でいえば、「戸塚くんらしい」曲でした。

三曲とも作詞は戸塚くん。A.B.C-Zの曲に詞を書くことも、自身のソロ曲に詞を書くことも多い戸塚くんですが、この三曲は、本当に戸塚くんらしいというか、戸塚くんが戸塚くんで在ることの証明のような曲たちだったと思います。 どの曲も好きな曲でありながら、その繋がりについてあまり深く考えることはなかったのですが、詞のテーマや重複する言葉に連続性を感じる部分もあり、戸塚くんの中でこの三曲をこの順番で書いたことは意味があることなのかなぁと思っていました。

そんな中、2017年6月のTVガイドでDolphinを解説する際に「ドラマ」「V」を三部作と言ったということを聞いて、あぁやっぱりと思いました。そんな興味深い情報を与えられて深読みオバケがじっとしていられるわけもなく、この三曲を共通する登場人物「僕」の変化という視点で考えてみようと思い立ち、書き始めたのがこの記事です。

本人不在で考察をすること自体がナンセンスかもしれませんが、主観満載の趣味のブログとして生温かい目で見守っていただければと思います。 歌詞についてはここに全文を載せられないので、歌詞カードなり歌詞サイトを見ていただければと思います。

 

2-1.物語の登場人物

では、ここから三曲について、いくつかの観点から考察をしていきたいと思います。

まずは、「僕」以外の登場人物を見ていきます。

「君」は三曲に登場するものの、これはそれぞれ別の人物を指しているように感じます。

「ドラマ」の「君」は、「人間」という概念。それは、あなたであるかもしれないし、あなたの隣人かもしれない。戸塚くんが「ドラマ」について解説した中で「みんなにドラマがある。」と話していたこともあり、そんな風に解釈しています。フレキシブルなニュアンスを含んでいるので、この「君」=ファンとするのもあながち間違いではないと思います。

「V」の「君」は、メンバーを指しています。これについてはわかりやすいので割愛。

「Dolphin」の「君」は、二箇所で登場します。 「僕の心は君の形しているから」 「君は魔法 イリュージョン」。こちらは、それぞれ次の連で登場する「並走する戦友たち」「追走する才能たち」へかかるのではないでしょうか。

各曲のみに登場する人物として、「V」に登場する「僕等」は「A.B.C-Z」そして「応援してくれているファンのみんな」を、「Dolphin」の「先人たち」「並走する戦友たち」「追走する才能たち」は、それぞれ「先輩」「同期(恐らくメンバーや同じ時代を駆け抜けた仲間たちというニュアンスを含んでいる)」「後輩」を指しています。

「V」と「Dolphin」は歌詞に登場する人物がとても明確で、彼らと自分自身に宛てたメッセージだと推測できますが、逆に「ドラマ」はベクトルの先にそこまで明確な人物が存在していない分、「僕」の内側に向けられているようにも感じられます。「自分なりの人間讃歌を書いたつもりでした」というSongsのテキストの通り、不特定多数の「人間」に宛てられたメッセージなのではないでしょうか。

そう言った点から、「ドラマ」に登場する人物は「僕」のみと考えることも出来ると思います。「V」では、そこに「君」と「僕等」というようにメンバーが加わり、「Dolphin」では「先人」「戦友」「才能」と先輩、同期、後輩が加わりました。登場する人の数だけでもどんどん増えています。

発表年の時系列に沿って登場人物が増えることから、「僕」の視野が段々と広がっているような印象を受けます。

 

2-2.向かう場所

次に、三曲の中に描かれている方向と動作に注目してみたいと思います。

三曲ともに、「〜へ」「〜に」という方向を表す言葉を伴って、「僕」もしくは「僕」を含む登場人物の動作を表すフレーズがあります。ここに挙げる動作は、実際の動きではないものの、「僕」がどう在りたい・どうしたいという意志や願いを含んでおり物語の中でとても重要な働きをする言葉だと思っています。

「ドラマ」では「空」「知ってた方角」「君」に(へ)「放す」、「散らす」、「届ける」。

「V」では「前」「向こう」に(へ)「進む」。(「向こうへ」の後は「進もう」が省略されています。)

「Dolphin」では「約束した場所」に「向かう」。(もう一箇所「真ん中」に「飛び込む」もありますが、こちらは「僕」が動作の主体ではなく「追走する才能たち」へ贈る言葉のため割愛します。)

 「ドラマ」では、「空」「知ってた方角」という言葉が出てきますが、これは「君」に帰結するものではないかと考えています。「空」は単純に空という意味より、「夢希望 憧れを 幾重にも 詰め込んだ 風船」を「放つ」という動作からも読み取れるように自分の内側にあるものを外側に向けて開放していくイメージなのではないかと思います。その外側の象徴が「空」。また「知ってた方角」という言葉については、私は「君」がいる方であると考えています。「僕」はその方角を認識していると考えると、例えば自分が来た道か行く先か、目的とする場所か、もしくはそこに居る人を認識しているかどれかかなと想像しました。その中でも、「君」に「届いたら」という歌詞が続くことから、「君」がいる方角と考えました。

「V」は、動作の主体が「僕等」つまりは仲間(A.B.C-Z)(そして、ファン)だと考えられます。動作は「前」「向こう」へ「進む」と明確。「ドラマ」のやや抽象的で精神的な動作から、前進するという具体的で肉体的な動作へと変化しました。(本当に肉体的に「進む」ということを表しているわけではありませんが。)戸塚くん自身が語っていたことですが、「V」はとても不安な時に、その不安を打ち消すために書いた曲だそうです。そういった思いから、とにかく「前」へ「進む」という動作に繋がったのかなと思いました。

「Dolphin」では、「指切りした場所」へ「向かう」。「V」と同様に動作としては前進ですが、目的地は「指切りした場所」と具体的な場所が提示されました。指切りしたのは「並走する戦友たち」と、でしょう。詳細は明かされないものの、具体的な場所が出てきました。「V」では、不安を消すためというある種消極的な考えに基づき、とにかく「前」へと進んでいました。しかし、この曲では具体的な場所がセットされたことから、「僕」の中でこれからの自分や自分たちがどうありたいというイメージが明確になってきたのかもしれないなと思いました。(そのイメージはずっと昔からあって、改めて認識したのかもしれないですが。)

外に向けて自分の内側に在るものを外に向けて発信していこうとしていた「ドラマ」から、進むべき方向に向かって足を進めようと望んだ「V」。そして、目的地が設定された「Dolphin」。意図しているのかどうか・本意であるかどうかは別として、三部作の最後で「僕」の行動・目的地ともに具体的に語られたのは、とても興味深く感じています。

 

2-3.自己肯定と意志の力

初めて「ドラマ」を聞いた時、(なんだか辛気臭いことを言ってるなぁ)と思いました。翌年、「V」を聞いて、(おっ、また辛気臭いこと言ってるぞ)と思いました。ところが今年、「Dolphin」を聞いた瞬間、(あれっ?!辛気臭くない!)と驚いたんです。そういった印象を受けたのは、歌い出しが肯定的だからかもしれません。

三曲の歌い出しを「ドラマ」「V」「Dolphin」の順でそれぞれ下記に引用します。

「どうせ 僕 なんてまぁ」 ハート凍っていて

眼差しは鈍ってる ウソのような今日

みっともないスピードで ただ漂っているよ

同じ時を歩きすぎたから

伝えること怠っていたかな

お互い様 分かってる自分だけ

傷付いた 素振りはナシだって

この未知に出て5年

揉まれ吹かれ砕かれて磨かれた心

羅針盤はない走り方は心得ず

足りない項目埋めた心

「ドラマ」と「V」の歌い出しで描かれているのは、「僕」の過去の自分に対する後悔や現在の自分に対する焦燥だと思います。もちろん、曲が進んでいくうちにその感情は打ち消され、前向きにストーリーは進んでいきますが、スタート地点では前述の後悔や焦燥というマイナスの感情が存在していると思います。

打って変わって「Dolphin」ではいきなり「僕」の自己肯定から始まります。「走り方は心得ず」というフレーズからもわかるように、全面的な自己肯定ではありません。ただその後に続く「足りない項目埋めた心」というように欠けている部分を埋めながら・補いながら、現在を生きている自分を認めているように感じられます。後悔や焦燥といった感情が消えたわけではないと思いますが、それが顕著に表出することはなくなりました。この結果、「Doiphin」が持つメッセージは後ろを振り返らず、ただ前へ前へと進んでいくようなシンプルで力強いメッセージとなっています。この変化を生み出したのはは、平たくいうと「人間としての成長」なのかなと思います。

また、「Dolphin」のメッセージの力強さの源になっているのは、誰かに対する期待を含んでいないということも関係があるのではないかと思います。

「ドラマ」の「届いたら」「見ていたら」や、「V」の「手を繋いでいてよ」といったフレーズは、どちらも「君」に対する期待を含んでいます。それが悪いわけではないですが、どことなく最終的な決定権を誰かに委ねている印象があり、前述の自分に対するマイナスの感情を含むフレーズとも相俟ってやや他力本願な印象を受けます。

それを否定するつもりは全くありません。むしろ、「V」の「手を繋いでいてよ」というフレーズは、戸塚くんらしい言葉だなと思いますし、選択権を残すという戸塚くんの優しさを感じてすごく好きな歌詞です。これはこれで味があって好きですが、こういった人に頼るニュアンスを含む言葉が登場しないことが「Dolphin」の力強さの源泉となっていると思います。

「Dolphin」では寧ろ、「楽しんでいこうぜ」と自分の意志を強調していますし、「飛び込めよ」と相手に念を押すようなニュアンスを含んだ言葉が見受けられ、誰かに何かを委ねるのでなく、「僕」自身の意志で進んでいこうとする思いや、もう一歩前に進んで、自分から誰かに働きかけていこうとする力強さが感じられます。

 

2-4.「バトン」と「炎」

ここまで三曲について考察してきましたが、最後は「ドラマ」と「Dolphin」の二作に注目してみたいと思います。

三部作の中でも「ドラマ」と「Dolphin」は呼応する要素が強いと思います。 「青」のイメージを持つ言葉が散りばめられていることや「空」と「海」という対になるイメージを持っていることもありますが、私がこの二曲が対だと思う理由は、「バトン」と「炎」いう共通の言葉を持っていること。

「ドラマ」に登場する「バトン」は「ドラマ」の曲中では誰から受け取ったものかを語られることはありませんでした。しかし、「Dolphin」の曲中でその「バトン」が「先人たち」から受け取ったものだと語られます。

作り物 事実無根 知ったことか 受け取ったバトン一つ 握りしめただけ

これは「ドラマ」の歌詞ですが、「僕」が自分を奮い立たせようとする時には、先輩からもらった言葉や彼らの考えや行動そして実績から学んだことを思い浮かべていたのかなと思います。「僕」を形作っているものの一つにはそのバトンに込められた先人たちの意志があるのでしょう。

一方で、「ドラマ」には「僕」自身の意志を表す言葉も存在します。

磔にしてた 好きの炎 身にまとい 戦うよ

この表現、とてもいいなぁと思います。手放して、縛り付けて、無かったものにしようとしていた「好き」という気持ちを取り戻して進んでいくといったドラマチックで強い決意が込められたフレーズだと思います。これこそまさに「自分の意志」ではないでしょうか。

「ドラマ」で灯した「炎」は「Dolphin」にも登場します。「今炎を」「青い青い炎を」の二箇所です。後に省略されているのは「燃やしていく」でしょう。これも「ドラマ」にも登場するフレーズです。

私は、「ドラマ」という曲はスタート地点に立つまでを描いた曲だと思っています「どうせ僕 なんてまぁ」という自分に対する否定から始まり、「もう今が さあ今が来ている」とマインドセットし、「好き」という自分の意志の力を信じようと決意し、スタート地点に立つまでの曲。

対する「Dolphin」は、台詞部分にある「意志の輝きは消えない」「振り返らず 急ぎ足にならず ただ愚かに今を燃やしていく」という意志と自分の行動を信じるようなフレーズからも推測できるように、自分の意志の力を信じ走り続けている中で、その重要性を再認識し、過去も含めて自分が走ってきた道が間違いではなかったと確信する曲とも捉えられます。

先輩から受け継いだバトンに込められた意志を胸に置きながら、掲げた自分の意志の力を信じ走り続けた「今」を描いている「Dolphin」は、ある意味で「ドラマ」のアンサーソングのようにも感じられます。

 

2-5.まとめ(「僕」の変化)

ここまで、2015年から2017年に発表された戸塚くんのソロ三部作の登場人物「僕」について、私が変化したなぁと感じたことを書いてきました。前項までの内容をまとめます。

  • 「ドラマ」、「V」、「Dolphin」の順で登場人物が増えていく。→「僕」の視野の広がりが感じられる。(2-1.物語の登場人物)
  • 「ドラマ」では自分の内側にあるものを外に向けて開放するイメージが描かれている。「V」、「Dolphin」では前へ進むという共通の動作が描かれているが、向かう場所は「Dolphin」の方が明確になっている。→「僕」の行動・向かう目的地ともにより具体的になっている。(2-2.向かう場所)
  • 「ドラマ」「V」では過去の自分に対する後悔や現在の自分に対する焦燥といった自己否定から物語がスタートしているが、「Dolphin」では全面的ではないものの自己肯定から物語がスタートしている。→「僕」の「人間としての成長」が感じられる。(2-3.自己肯定と意志の力)
  • 「ドラマ」「V」には誰かに対する期待が含まれていたが、「Dolphin」では含まれていない。→誰かに何かを委ねるのでなく、自分の意志で進んでいこうとする思いや、もう一歩前に進んで、自分から誰かに働きかけていこうとする「僕」の力強い変化が感じられる。(2-3.自己肯定と意志の力)
  • 「ドラマ」と「Dolphin」に共通する「バトン」「炎」という言葉とその発展。→「受け継いだ意志」そして「自分の意志」を胸に走り続けるという決意が間違いでは無かったと、「僕」は確信できたのではないか。(2-4.「バトン」と「炎」)

各項から推測される「僕」の変化を時系列でまとめてみました。縦棒(|)は考え方や行動の転換が見られた地点、矢印は転換ではなく進化や発展を表しています。

◆2-1

ドラマ→V→Dolphin

◆2-2

ドラマ|V→Dolphin

◆2-3

ドラマ、V|Dolphin

◆2-4

ドラマ→Dolphin

この内容からも三曲は発表された順に時系列で展開されていると考えられます。縦棒が引かれているのは「ドラマ」と「V」「Dolphin」の間(2-2)と「ドラマ」「V」と「Dolphin」の間(2-3)です。

2-2では、「僕」を主体とした動作と方向で「僕」どう在りたいという望みが描かれていると解釈すると、前に進みたいという気持ちを持っていたという点で「V」と「Dolphin」は同じであったと考えられます。

一方、2-3の自己肯定感や能動性という点では「V」は「ドラマ」と同じ域にあることから、前へ進むことを望むもののまだ「僕」自身の行動や在り方に自信は持てていなかったのではないかと推測されます。そういった点から、「V」に描かれる「僕」は「不安」や「焦り」という感情を抱えていると考えられ、不安に駆られてこの曲を作ったという戸塚くんの心情にも一致しているのではないかと思います。

「V」と「Dolphin」には「振り返らず」という言葉が共通して登場しますが、「Dolphin」ではその後に「急ぎ足にならず」という言葉が添えられています。「不安」や「焦り」を抱えていた「V」から自己肯定感が強くなった「Dolphin」という変化が感じられます。

「僕」を変えたのは、きっと自信に裏付けられた自己肯定感でしょう。自分や自分を取り巻く環境に思いを馳せ、学び、感謝し、意志を受け継ぎながら、「僕」自身のこうで在りたいという強い意志を持って前へ進み続けたことが、きっと彼を成長させ、「Dolphin」で歌われたような力強いメッセージを発せられるようにしたのだと思います。

 

3.戸塚くんの変化

ここまで三曲に登場する「僕」の変化を見てきました。

恐らく皆さんが思っていることだと思いますが、この「僕」は、イコール戸塚くんではないものの、ニアリーイコール戸塚くんでしょう。ぼんやりとそう思っていましたが、2017年9月17日に更新された伝打伝助を読み、やっぱり「僕」は戸塚くんだよね、と強く思いました。

少しだけ戸塚くんの言葉を借ります。

なんだかいつも過去と未来に生きていた気がする。

(中略)

1番大切な「今」をしっかり生きることができていなかった瞬間が僕の人生には多かった気がする。

だから、すごく緊張してた気がする。

(中略)

誰にも何にも自分を縛ることはできない。ってことは知っていたけど、それを少しずつ体現して実感できるようになってきている気がする。

この文章を読んだ時、「ドラマ」と「V」で「過去」を後悔したり「未来」に対する不安に駆られ焦ったりしている「僕」が、戸塚くんと重なりました。ベースにあるものを変えることなく「今」の自分を信じて前を向いていく「Doiphin」の「僕」が重なりました。

まだ「Dolphin」の「僕」と同じ感覚ではないかもしれません。でも、最近の戸塚くんの言葉を見ていると何だかもうすぐ近いところまで進んでいるんだろうなと思います。

今夏のツアーで、「Dolphin」を聴いて、その力強いメッセージをのびのびと歌う姿に魅せられました。ついつい心配してしまう私ですが、もうあんまり心配しなくていいかなと思えるほどに。

この三年間、映画に出たり、連続ドラマにレギュラー出演したり、外部舞台で今までになく難しい役どころを演じたり、A.B.C-Zのコンサートの構成を手掛けてみたり。戸塚くんはたくさんの経験をして、それを通して成功体験を得てきたのだと思います。もしかしたら、百点満点の出来ではなかったかも知れないですが、それが「できた」ことは、戸塚くんにとってすごくいい経験だったのではないでしょうか。

そして、A.B.C-Zとして無事に五周年を迎えられたこと。想像していた五周年ではなかったかもしれないし、想像していた通りだったかもしれない。それは戸塚くんや彼らにしかわかりませんが、少なくともとてもいい雰囲気で五周年を迎えることが出来たように私の目には映りました。

そんな経験や現在の戸塚くんを取り巻く環境が「今」の戸塚くんに繋がっているのかなと思います。

 

4.届くことのないラブレター 〜三十一歳の戸塚くんへ

ラブレターを書いてみたいと思いました。手紙が好きで、しょっちゅう戸塚くんにも手紙を書いている私ですが、戸塚くんへ手紙を書く時、心に決めていることがあります。「好き」は、絶対書かない。だから、今まで一度も書いたことがありません。私の中の強いこだわりが、ファンレターに踊る「好き」の文字を許さなかったから。

でも、せっかくだから、今日はラブレターを書いてみたいと思います。いつも同じ熱量を持ち続けることはできないから、きっと、来年の今日を私は同じ気持ちで迎えられないと思います。だから、私の「今」を残しておきたいと思います。以下、スーパーポエムタイムです。

 

ファンになった当時、戸塚くんって自分のことをたくさん話す人だなぁと思っていました。しかも、飾り立てるわけではなく、かっこ悪いところもそのまま書いてしまう。なんだか言葉にすることで、「戸塚祥太」という存在を固定化させようとしているみたいだなぁと思っていました。その印象は今もあまり変わっていません。戸塚くんにとって、自分が自分であることはとても重要なことなんだと思います。折に触れて、自分を私たちに教えてくれる戸塚くん。思っていることをブログに書くことをよくないところだと雑誌(POTATO 2017.12月号)で話していたけれど、私は、出来ればそのままでいて欲しいなぁと思っています。戸塚くんの綴る言葉に「今」の「戸塚祥太」という存在を見つけられた時、たまらなく嬉しくなるから。そして、もう一つ。私は、戸塚くんの言葉にたくさん助けられているから。本当の理由はこっちかもしれません。

10月24日のとつブロで、戸塚くんの「ナンバーワンになりたい」という言葉を見て、私はすごく勇気づけられました。

私は、一番であることの重要性みたいなものをあまり意識していません。寧ろ、その思いに囚われるのはかっこ悪いことだと思っていました。それは、私自身に一番になりたくて必死に努力した時期があったから。でも、一番になれなかった。そうするとなんだか、一番になりたいという気持ちが無駄だった気がして、もうそういうことを考えたくないと思ってしまったからだと思います。

でも、戸塚くんの「ナンバーワンになりたい」が、内側から溢れ出す仕事に対する情熱に後押しされて出てきた言葉だと知った時、一番になりたいって本当はそういう感情なんだなぁと気付かされた気がしました。私はただ誰にも負けたくなくて一番になりたいと思っていたから、すごく苦しかったし、すごく辛かったんだなぁと思います。だから、戸塚くんみたいな気持ちで一番になりたいと思ってみたいなぁ!と思いました。あまり一番に拘っていなさそうな戸塚くんがそういう思いに駆られているからこそ、私は影響を受けたのだと思います。

これは最近あった具体例の一つです。私が戸塚くんを好きになってからの四年間、私にとって戸塚くんは常にそんな存在でした。共感する部分、とても多いです。でも、戸塚くんの言葉をきっかけにして、忘れていた気持ちを思い出したり、知らなかった気持ちを知る機会もたくさんありました。共感することが多いからこそ、そんな瞬間に出会った時、戸塚くんの考えや言葉が私の心にすんなりと入ってきて、伝播していったのだと思います。

尊敬、というとちょっと違うんです。なんだか少し悔しいし。

一番近いのはライバルかなと思います。幼い私が、男の子には絶対負けたくない、と思っていたその気持ちに近いのかもしれないです。反発しかなかったそれに、相手を認める気持ちが追加されたような。だから、戸塚くんが頑張ってるから私も頑張らなくちゃ!と鼓舞されます。(去年も同じことを書いていました。変わってない。)

私にとって人生の道標になった自担は櫻井翔くんで、彼はずっと追いかける存在だったけれど、なんだか戸塚くんは追い抜いたり追い抜かれたりしながら並んで走っているような存在です。そんなことを思いながら戸塚担をやっています。

 

昨年、戸塚くんが三十歳になった時、人生の岐路だなぁと思いました。しかし、戸塚くんが三十一歳になる今年は、何も怖いものなんてないじゃん!まだまだどこまででも行けるじゃん!といった無責任に明るくて楽天的な思考になっています。なんだか頼もしいよね、最近の戸塚くん。すごく伸び伸びと「今」を楽しんでいるよね。とてもポジティブなエネルギーが身体中に漲っているよね。そんな素敵なエネルギーが発せられるようになった理由の一つに、このブログで触れたような成功体験や変化が関係しているのかなぁとも思います。

来春には、ダ・ヴィンチで連載をしていた「ジョーダンバットが鳴っている」の書籍化も決まりました。私が戸塚くんを好きになるきっかけになったこの連載が本になることがとても嬉しく、誇らしいです。

戸塚くん、どんどん新たなステージへ進んでいくね。これからも色んなことを経験して、もっともっと人間として成長し、素敵になっていくのだと思います。私はきっと、そんな戸塚くんから刺激を受けて、負けるもんかと前へ進んでいくのだと思います。 

 

戸塚くんを好きになって本当に良かった。私はたくさんの人を勇気づけたり、助けることは出来ないけれど、せめて周りの人に対してはそういう存在になりたい。そして、戸塚くんみたいにきちんと感謝を伝えられる人になりたい。元々自分の中に在った気持ちではありましたが、戸塚くんを好きになってからますますそう思うようになりました。そして、人に興味を持つようになりました。戸塚担になるまで、戸塚くんがこんな人だって知らなかった。すごくもったいない。きっと、周りにいる人たちにももう少し興味を持って関わっていけば、もっと素敵なことたくさん知れるんだろうなと思いました。戸塚くんのファンになって、こんな素敵なことに気付かせてもらえたこと、とても感謝しています。

重い!!!重いよ!!!!重すぎるよ!!!!!!

担タレだよ!!!!!!!

戸塚くんが書いた歌詞に対して、辛気臭いこと言ってんなぁとか思ってごめんなさい。私も十二分に辛気臭い!

でも、これは本心。戸塚くんを好きということが、「今」の私にとっては、アイデンティティーの一つです。

 

改めて、戸塚祥太くん、お誕生日おめでとうございます。

戸塚くんが三十一歳の一年間を健やかに過ごせますように。笑顔がたくさん溢れる一年間でありますように。幸せな一年でありますように。実り多き一年でありますように。この世界が、戸塚くんにとって優しく素晴らしき世界でありますように。

「Dolphin」を聴いて、戸塚くんがとてもジャニーズが好きで、ジャニーズであることを誇りに思っていることを再認識できて本当に嬉しかったです。30歳の一年間、ジャニーズの、A.B.C-Zの、戸塚祥太でいてくれてありがとうございました!大好き!

これからもずっと応援しています。

 

 

***

 

 

あとがき

もう終わらないかもと心が折れて、本文を半分ぐらい書き終わった時点で、このあとがきを書いています。これを読んでる方がいるということは、私がブログを書き上げられたということ!!褒めて!!

最後の章を追加したら、想像以上に湿っぽくなりました。人のこんな話読んでも楽しくないだろうなぁと思いながらも、書いた。欲望に忠実。

心残りは出典の追加が間に合わなかったことです。撮ってあった写メとかスクショに頼っていたので……。この辺は後日追加できればいいなぁと思います。来年はもっと計画的にやります!来年も祝う気満々。なんとなく、来年も祝っている気がします。来年は同じ熱量で好きじゃないと思うとか言っておいて、同じ熱量で好きだったらどうしよう。こわい。

 

最後におまけとして、「私にとっての三部作」ということで、三曲の好きなところに触れておきたいと思います。本編に入れられなかったので、供養させて。

三曲とも曲調としてとても好きということもありますが、それぞれから感じる光のイメージが美しいと思います。

「ドラマ」は、夏の始めに朝露が東の空から顔を出した太陽の光を受けて揺れて輝くような小さくて繊細な光。それを腕いっぱいに抱えた戸塚くんが気持ち良さそうに歌っているイメージがあります。あとは「恋するヴァンパイア」が公開された年の曲でもあるので、あの映画の中のちょっとくすぐったくて眩い光のイメージもあるかも。

「V」は夕陽とスポットライトの光。この曲を聴いていると自分がステージに立って客席を見ているような気持ちになります。スポットライトの白い光が目に眩しい。ちょっとした寂しさは晩夏の夕暮れ空みたい。オレンジから紫にグラデーションを描く空の端っこで今にも沈もうとしている太陽が一際強い光を放っているようなイメージ。

「Dolphin」は真夏の海と空。青。船の上から目の前に広がる海!空!気持ちいい!晴れ晴れとしていて曇りがない。

……主観でしかない。

 

更におまけで好きなフレーズです。

■ドラマ

磔にしてた 好きの炎

身にまとい 戦うよ

2-4でも触れたフレーズですが、この歌詞を聴いた瞬間にとても胸が熱くなったことを覚えています。

戸塚くんには自分の好きなものを大事にして生きて欲しい。なりたい自分になって欲しい。当時の私はそんな風に考えていました。ファンになった時に、戸塚くんの好きなものへのこだわりがとてもかっこよく感じたし、それを貫き通すところがとても素敵だと思ったからです。

このフレーズを聴いた時に、戸塚くんは「好き」をずっと武器にして生きていくんだととても嬉しく思ったことを覚えています。

■V

華やか過ぎる舞台の上

華やかじゃない位置についた

笑って 泣いたね

あれは僕等の希望

エモさしかない。

デビューするまでの時間をどういう気持ちで過ごしたのかなと考えて、自分だったらと思うとぞっとするところがあります。充実した毎日を過ごしていたとは思いますが、それでも時間が過ぎていくことへの不安は大きかったのではないかなと思います。

それでも、その日々を「僕等の希望」だと捉えているところがとても好きです。

■Dolphin

I love you 今日 I need you 明日

今日を愛せる戸塚くんであることがとても嬉しい。明日を望む戸塚くんであることがとても嬉しい。それだけです。

 

三部作に関しては、本当に書きたくて書きたくて仕方ないテーマだったので、こうして形に出来てよかったです。

長ったらしい文章ですが、ここまでお付き合いいただいた方、いらっしゃいましたら本当にありがとうございました。

ABC座 ジャニーズ伝説2017

東京駅丸の内南口を出て、皇居を遠目に見ながら、有楽町駅を目指す。変わっていく風の匂い、色付いて落ちてゆく街路樹の葉。季節が移り変わる様子を肌で感じながらほとんど毎週同じ道を歩く。毎年同じ景色を眺めながら秋が駆け抜けていく。

この季節の美しさを私はいつも日生劇場への道のりで感じる。今年もまたABC座の季節がやってきた。

 

A.B.C-Zがジャニーズ伝説を演じるのは今年で三回目。

初演は2013年の10月、再演が翌年5月。そして、約三年半の年月を超えて今年またこの演目が選ばれることとなったけど、今回のジャニーズ伝説はこれまでの二回とはひと味違った。

その物語の中にジャニー喜多川がいる。

再々演にあたり、大幅な脚本変更があった。変更点は多々あるけれど、一番の変化はストーリーテラーが変わったことだと思う。

初演、再演共に序盤の戸塚くんのメインの役として割り振られていたのはジャニーズの四人が出会う盲目の少年の兄の役であり、この役がジャニーズの物語を語るストーリーテラーだった。

これまでのジャニーズ伝説は事実を下敷きにしたファンタジーだったように思う。悲しき雨音がBGMとして流れる、夢と希望と別れがすごくわかりやすく描かれた映画みたい。物語をファンタジーにしていたのは、きっと他でもない件の少年とその兄の存在だったと思う。アイドルの物語に一般人の日常が交錯するという設定がまずファンタジーだった。初代ジャニーズというグループを実際に見たことがない私にとっては、この話の骨組みになっているストーリーが本当にあった話だとは思えなかったこともあるけれど。

ところが、ジャニーズ伝説をファンタジーにしていた二人が不在の今作、ストーリーテラーとして登場したのは他ならぬジャニー喜多川。いきなりリアルだった。

ジャニーさんを演じたのは戸塚くん。登場するなり、当時らしい野暮ったい格好に一気に時代を感じさせる。戸塚くんって本当に昭和が似合う。昭和という時代を体現してる。そういう雰囲気を感じさせるのなんでだろうね、不思議。

物語は、終戦後の東京代々木に作られた在日米軍施設ワシントンハイツから始まる。この冒頭のシーンがすごく好き。高度経済成長を目前にした日本、テレビジョン本放送が始まったのもこの頃。そういう時代背景とも相俟って、初代ジャニーズのメンバーとジャニーさんが出会うシーンは、明るく胸が踊るような気持ちになる。また、このシーンは「ジャニーズ」という言葉が生まれた瞬間を描いたシーンでもある。子供たちに野球を教えている様子を見ていた四人にジャニーさんはとうとう声を掛け、四人は野球チームに入ることとなる。ジャニーさんは、チームをエラーズやヘターズという情けない名前で呼んでいたけれど、ある日橋本くん演じるあおい輝彦が「ジャニーさんのチームだからジャニーズ!」というなんだか可愛い名付けをしたことをきっかけに今では当たり前の「ジャニーズ」という言葉が生まれた。

そんな中、ある雨の日、野球の練習が出来なかったジャニーズの四人とジャニーさんは映画を観に行く。観たのは「ウエストサイドストーリー」。その魅力に取り憑かれ四人はエンターテイナーを目指すことになって……

さて、みなさん、Wikipediaのジャニーズの項をご覧ください。ここまでのストーリー、書いてあるでしょう*1。ここまですごく事実に忠実に描かれていることがお分かりいただけるかと思います。

この後、この作品のひとつのテーマ曲と言っても過言ではない「悲しき雨音」を歌うけれど、ジャニーズの始まりが描かれることで、この曲を歌うことの必然性が生まれて納得感が増したように思う。この曲は当時のヒットミュージックでもあるし、その後に続くバリー・デボーゾンとの出会いへの布石でもあるけれど、「雨が彼らの運命を変えたんだ」というジャニーさんの言葉を受けて歌われるからこそ、また特別な気持ちで聴けたような気がする。

成り立ちを知ることでなんとなく気持ちが近くなる部分がある。別にこの舞台はそういうのを狙ってるわけではなくて、一つの事実を残すためのものなんだろうけど、それでも自然と作品の世界を身近に感じられるのはいいことだと思う。そんな素敵な変化が可能になったのは、やっぱり劇中にジャニーさんが居たからだろう。

一幕からせいぜい一幕半ぐらいのジャニーズ伝説という話を、これだけ手を替え品を替え上演し続けるってよほど誰かの思い入れがあるに違いない。今回の変更がどういう意図で行われたのか知らないけれど、ここまでのシーンを見ていると、いろんな栄光があったジャニーさんにとっても、この時代って本当に美しくてかけがえのない思い出なんだろうなと思えるようになってきた。気付いたら、ジャニーさんの気持ちで舞台を観てる。この舞台はジャニーズにとっての夢と希望と別れの物語だと思うけど、ジャニー喜多川の視点からしても同じような物語なんだろう。

そういえば、ウエストサイドストーリーを観た後で、実際に映画の中に飛び込んだかのようなシーンがあるけれど、私はこのシーンがとても好きだ。ジャニーさんが四人を操るような動作に、ジャニーズの四人がジャニーさん導かれてエンターテイメントの楽しさを体験している様子が現れていてなかなかいいなと思った。

別にジャニーさんをすごく支持してるわけではないし、事務所アゲをしたいわけでもないけれど、ここまで歴史を刻んでこれたことは、単純にすごいことだと思う。その歴史のスタートがこの舞台で描かれるジャニーズだと思うと、やっぱりこの頃の記憶や記録は特別なものだし、きっと残しておきたいものなんだろうなと思う。

さて、本編に戻り、ジャニーズは日本での初めてのテレビ出演を経て一定の人気を得た後、アメリカへと武者修行に行くこととなる。これ、普通に考えてすごいよね。アメリカに渡航したのは1966年。今は海外旅行に自由に行けるけれど、そもそも観光目的の海外渡航が自由化されたのは1964年。それまでは留学や業務目的でしか海外には行けなかった。費用もとても高額で、ハワイ7泊9日(食事付き)で36万4千円。当時の新卒社員の一年半分の給料額だそう*2。1964年の大卒初任給は約21,000円。2017年が約210,000円だから約10倍の約360万円がハワイ7泊9日の費用とする。旅行サイトで調べると2017年10月時点でハワイ7泊9日にかかる費用はビジネル利用スタンダードクラスホテルで30〜60万円。普通に海外行こうと思って(私は行ったことないけど)ビジネスなんて乗らないだろうし、エコノミーで行くと30万程度で行けてしまう。食事分差し引いても大体10倍ぐらいは費用がかかる計算になる。要するに当時の海外旅行はとても高額だった。そういう点からも、ジャニーズを、よし行ってこい!と送り出したことはすごいと思う。ジャニーさんを演じる戸塚くんが、ジャニーズのアメリカでの生活を語るシーンがあるけれど、たった数ヶ月間のその生活はとても刺激に満ち溢れていたのだとありありと感じられる。キラキラと眩しい思い出を宝箱から取り出して、その眩しさに瞳を眇め遠い過去を思い出しているような視線がとても印象的だった。

今回、ジャニーさん役の戸塚くんは、語りのシーンの多くを担っている。その台詞や語り方を聞くと、このシーンは劇中の時間の流れに沿ったものじゃなくて、全てが終わった後に過去を思い出しながら話をしているのかなと思えてきた。初見後、今回のジャニーズ伝説はジャニーさんの思い出アルバムのようだったなぁと思ったけれど、その要素も強いんじゃないだろうか。もちろんあおい輝彦さんの思い出アルバムでもあるけれど、二人の視線から見た初代ジャニーズの物語だった。一つの視点が加えられるだけでこんなに見え方が違うんだ。

アメリカでの生活は、デボーゾンとの出会いもあり、ジャニーズにとってはすごく刺激的だった。このあたりは例年と同じだから割愛しようと思うけれど、デボーゾンのキャラ変えがぶっ飛んでて、笑ってはいけないジャニーズ伝説になっていた。戸塚くんは生き生きしてて楽しそうです。みんなが笑ってくれると本当に生き生きとボケまくるね。最高です。

アメリカでのシーンの中で特筆すべきは、トラジャの「夢のハリウッド」だと思う。トラジャ担でなくてもこのシーンはとても楽しめる。曲も良いし魅せ方も素晴らしい。もしトラジャを好きな人がこの記事を読んでいたら、ここは他担の戯言だと思って読み飛ばして欲しいのだど、初見で五人のトラジャを見た瞬間、胸にくるものがあった。本編とは別の軸で展開されてはいるし、フィクションではないけれど、ここにもいくつかの別れが凝縮されているから堪らない気持ちになった。つまり、寂しかったんだよね。それでも、この曲を歌っている五人は生き生きとしてキラキラ輝いていて、希望に満ち溢れていてすごく魅力的なんだ。だから、余計に心が踊る。

夢ハリ後のシーンで河合くん演じる中谷さんは東京へ帰る日が近付いていることを知る。こんなにキラキラして希望に満ち溢れているシーンなのになんだか寂しいのは、この先の展開を知っていることと、私が「夢」という言葉は常に終わりと背中合わせだと思っているからだろう。かくして、ジャニーズはアメリカでの夢半ばにして日本に帰ることとなる。どんなに心を揺らしても、選択の余地なんてない。

一幕最後にI Rememberを五人で歌うのだけど、戸塚担としてはこのシーンはとても見応えがあった。デボーゾン家で歌う曲の中でこの曲が一番好きな曲だったから、この曲を歌って踊る戸塚くんが見れて良かった。赤の衣装かっこいい。唐突だと感じる部分もなくはないけど、ショーとしてはこの曲で一幕が終わるのは座りがいいと思う。

 

二幕の冒頭は1965年の紅白歌合戦。渡米する前年のシーンだ。当時の映像を背景に歌うマック・ザ・ナイフ。そして、A.B.C-Zでのパフォーマンス。現実を忠実に再現する訳ではないけれど、これまでのジャニーズ伝説で少し疎外感を感じていた戸塚担としてはこういうシーンも嬉しかった。

そして、空港でのジャニーズの帰国のシーンに繋がるのだけど、このシーンは例年と同じく結構つらい。記者の言うことはごもっともで、たぶん彼らが聞きたかったのは、アメリカや一流のエンターテイメントがどんなに素晴らしくてどんなに刺激的だったか、そういう生の情報だったのかなと思う。繰り返しになるけれど、当時は海外に行くなんてほんの一握りの人間しか出来ないことだった。格差は存在しただろうし、明るい話題ばかりではなかっただろうけど、日本の国には、高度経済成長期の夢と希望に溢れた雰囲気が確実にあったと思う。日本が目指したのはやっぱりアメリカだっただろうから、きっとみんなアメリカの様子が聞きたかったんじゃないだろうか。記者だって、自分たちが行くことができない海外の話を聞いて、それを日本中に発信したかったんだと思う。レコーディングしたということは事実だけど、それをアメリカで発売できたわけでも日本で発売できるわけでもないなら、その事実の価値はないに等しいのかもしれない。そして、それは事実かどうか疑念を挿し挟む余地があることだったんだろう。それは日劇エスタンカーニバルの楽屋でのスパイダーズの様子を見てもわかる。こいつら夢でも見ていたんじゃないか。そう思われていたのかもしれない。

いつの間にかジャニーズの四人もアメリカでの出来事が夢だったのかもしれないと思うようになる。日常の忙しさに追われる中、アメリカでの夢のような日々が遠くなっていく。言いようのない喪失感や焦燥感に襲われていたのかもしれない。一筋の希望だった四月のアメリカに行きも叶わず、その希望が消えてしまったことだって、きっと影響している。

そして、彼らは彼らの手でジャニーズを終わらせる決断をする。

このシーンの戸塚くんの演技すごくいいんだ。

無力さ、切なさ、そして、彼らの決断を尊重しようとする優しさ。色んな感情がこのシーンの戸塚くんの表情から読み取れる。

後半からはもっとぐっと堪えるような演技になった。瞳に涙をいっぱい溜めていて、項垂れるように俯くアプローチもよかった。

何度も言っているけれど、戸塚くんの表情のお芝居って素晴らしい。目は口ほどに物を言う、ではないけれど、心の底に渦巻いている感情が溢れ出ている。しかも、それがわざとらしくないし、自然と溢れてしまったような雰囲気を感じさせる。

「僕も楽しかったよ、ありがとう」

この台詞が、ジャニーズ伝説におけるジャニーさんの想いの全てなのかなと思う。ジャニーズとの数年間は、彼にとっても忘れられない特別な時間だったのだろう。

本編では描かれていないけれど、1967年11月ジャニーズは渋谷公会堂での解散コンサートをもって、五年半の活動の膜を閉じることとなる。アメリカから帰国したのが1967年1月。帰国してから十ヶ月後のことだった。

解散コンサートの数ヶ月前1967年6月、大阪フェスティバルホールで行われたジャニーズ主演のミュージカル『いつかどこかで~フォーリーブス物語』。このミュージカルで新たなグループが誕生する。

少しだけ挿入されるパートであるフォーリーブス伝説。控えめに言って最高です。

フォーリーブスの楽曲には、1990年代後半のジャニーズJr.黄金期と呼ばれる時代にとにかく歌って歌って歌われ続けた曲がある。「踊り子」と「ブルドッグ」。アツいよね、アツい。この二曲が2017年の日生劇場で聴けることがまずアツいのだけど、それを歌うのが五関戸塚塚田河合の要するにA.B.Cというのがアツい。2000年代中頃のNHKホールかな……まぁさすがに歌ってなかったかもしれないけど。

ブルドッグ、踊り子、地球はひとつのたった三曲だけど、本当に見応えがある。ブルドッグで客席を睨みつける戸塚くん、踊り子で「私は踊り子よ」と歌い始める戸塚くん、地球はひとつで古き良きジャニーズらしい振りを踊る戸塚くん。公演期間中の10/18に戸塚くんは髪を切ったわけだけど、それまではドラマ*3の影響で髪が長めで、若かりし頃の戸塚くんを彷彿とさせた。すごく良かった。どうもありがとうございます。

舞台は戻り、ジャニーズ伝説のラストシーン。あおいさん役の橋本くんが舞台に戻ってくる。カーラジオから聴こえてくるアソシエイションのNever My Love。この後、あおいさんの語りのパートが続くけれど、なかなかいい内容だった。不思議と嫉妬はなかった、という言葉がすごく心に残っている。

たしかに初代ジャニーズの四人は今のジャニーズの種なんだ。大きくなった木はたくさん枝分かれして、その枝につく葉っぱもいろいろだけど、その元をたどっていくとたった一つの種に辿り着くんだろう。

 

ここからはショータイム!A.B.C-Zが歴代デビュー組の曲を歌ってくれるよ!最高かな!ところで、とうとう嵐も歌ってもらえる側になりました……すごい時代。Jazzyなアレンジでオシャレでありながら、曲に合わせた振りがつけてあって飽きずに楽しめる。Believe Your Smileで橋本くん→戸塚くんと歌い継いで二人が背中合わせに立つところとか、キスミスのかわごとか、お祭り忍者の楽しそうな戸塚くん(独鈷印結んだり手裏剣投げたり)とか、宙船の独特の世界観とか、世界に一つだけの花を踊り継ぐところとか。もう全部全部好き。金色の衣装が眩しくて、背中にJohnny'sの文字を背負うA.B.C-Zがかっこよくて、夢みたいな時間だった。

そして、今回の遊園地、新装置5BOX。本当に怖かった。Jr.のみんな逆上がりの練習しといた方がいいよ。足固定して逆さ吊りにされた時に、いやーこれは正気じゃない!と思った。戸塚くん頑張ってと何度も祈ったし、本当に気が気じゃないから、ショータイムが終わって大団円で終わった後も心臓ばくばくしてて落ち着かなかった。でも、この瞬間に命が燃えてると思うと目が離せなかった。しっかりこの目に焼き付けようといつも思っていた。

ショータイムはテレワン〜ざえび〜ネバマイ。改めてネバマイを聴くとすごくいい曲だなぁと思った。間延びする曲だと思っていて今まであまり好きな曲ではなかったけれど、今回のジャニーズ伝説を見てこの曲を歌い継がせてもらえて良かったなぁと思った。ジャニーズにとっての幻の一曲をのびのびと歌い、ふわふわと舞う花びらのように踊るA.B.C-Zを見ていると多幸感溢れ過ぎて胸がいっぱいになる。素敵な曲をA.B.C-Zに託してくれてありがとう。

 

新たなアプローチで見せてくれた三回目のジャニーズ伝説。

初見後に思ったのは、A.B.C-Zってジャニーズの正統派なんだなぁということ。テレビもコンサートも舞台も好きだけど、一番「ジャニーズ」というものを強く感じるのは内部舞台を見ている時かもしれない。手前味噌かもしれないけれど、A.B.C-Zは、そんな「ジャニーズ」らしい舞台をしっかり演じられる。派手さはないかもしれないし、人気の面でも今はきっとそこまでではないものの、「ジャニーズ」の源泉になるエッセンスをきちんと受け継ぎ体現している。初日にジャニーさんから「君たちはもう心配いらない」と言われた話をしていたけれど*4、すごくありがたい言葉だと思った。少なくとも舞台というフィールドでは、A.B.C-Zはジャニーさんの太鼓判を押してもらえる存在なんだ。たくさんの先輩の背中を見ながら、A.B.C-Zはここまできた。これから先どういう風になるのかな。考えるのは楽しいけど、未来はわからない。でも、出来るだけ長い間、五人の舞台は続けて欲しいなと私は思ってる。メンバーもファンも大変だと思うけど、舞台の上のA.B.C-Zってすごくかっこいいから。出来るだけ長い間、その姿を見ていたい。

三度目のジャニーズ伝説。改めてだけど、ジャニーさん、A.B.C-Zにこの作品を演じさせてくれてありがとう。思い出の一部を託してくれてありがとう。

*1:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジャニーズ

*2:JTB総合研究所_海外渡航自由化50周年に向けて:https://www.tourism.jp/tourism-database/column/2014/02/overseas-travel-liberalization/

*3:NHKドラマ10 「この声をきみに」

*4:10/12放送 TBS ビビットより

時には昔の話しようか〜出発を振り返る日記〜

出発ってあの出発?

思いましたよね、あの出発です。なぜ今出発なのか。書きたかったからです。

三年前の話をします。ちょうど私が戸塚くんに担降りをした時の話です。

五周年ということで感傷的になっているのか色々と思い出すことが増えてきた中、この時の記憶はかなり鮮明に思い出すことが出来ました。でも、いつかは色褪せてしまうんだろうなぁと思ったので、今、ここに書いておきたいと思います。

このブログを始めた頃に出発の記事を書いていたのですが、疲れた時に全てをリセットしたくて消してしまったという経緯もあり、いつかまた書きたいなあと思っていました。だから、この機会に残しておきたいと思います。(それでも感想とか解釈はだいぶリリースされてしまったので、ただ私の思い出日記という感じです。)

鮮度が全くないので見ていない方にもわかるようにストーリーに触れたかったのですが、自分が書くとあまりにいい加減だったのでストーリーを知りたい方は「舞台 出発 ストーリー」でGoogle先生に聞いてみてください。無責任ですみません。

ざっくりいうと、父の蒸発をきっかけにした家族の成長物語です。戸塚くん演じる岡山家の長男:一郎と妻:明子、父:八太郎そして岡山家の家族とそこに関わるの人々が織りなす群像劇といったところでしょうか。

 

出発は、私にとってすごく思い出深い舞台です。

私が、戸塚くんに担降りしようと決心したのはこの作品の千秋楽のその日でした。

プレビュー、初日、巡業、千秋楽と観劇し、作品と戸塚くんが変わっていく様子を目の当たりにしました。その様子がすごく胸に響いて、この人をずーっと応援していけたらな、この人の成長を、変化を、見守っていけたらな、と思いました。 

 

雨の北千住

2014年7月9日。梅雨明け前の東京はこの日も雨でした。初めて足を踏み入れた北千住。初日を前にしたプレビュー公演です。

この日の会場の空気感は本当に独特で、今でも割と鮮明に覚えています。戸塚くんを好きになるまで、自担の個人舞台というものに縁がなかった私にとっては新鮮でした。でも、少し怖かった。

プレビューを観れたのは出発だけなのですが、他の舞台の時もソワソワピリピリしてたのでしょうか。それともそうじゃなかったんでしょうか。

開演の数分前、ざわめきが消えて、しんと静まり返る会場。まさに固唾を呑むという感じでした。

舞台中央のスクリーンに映し出されるオープニング映像に合わせて手拍子が起こります。(こういうのも初体験だったので、わぁ〜と一人テンションが上がってました。)

映像が終わり、ポスターの写真が映し出され、聴こえてくるアコースティックギターの音。歌うのは加藤登紀子さんの「時には昔の話を」。昭和感をとても感じました。

スクリーンの向こうから現れた戸塚くんは、すごくすごくすごくかっこよかった!!!!!!(ファン歴0年の感想なんてこんなもんです。)

トニトニには通い過ぎてもうちょっとで13月に行きそうになってたし、えび座も何回も見たけど、ステージの真ん中でピンスポを浴びてギターを弾き語る戸塚くんは凄まじくかっこよかった。昭和感溢れる衣装がまた戸塚くんに合ってて、わ〜〜、わ〜〜、と心の中でジタバタしていました。

ストーリーには追々触れていくとして、初見で思ったことは、「あ、戸塚くんって男の人だった!」でした。

もちろんかっこいいとは思っていたけど、出発を見るまではお顔の可愛さと全体的な雰囲気から、どうしても「かわいい」が先に立っていて、男性だなぁという感じがしなかったんです。でも、明子を演じる村川絵梨さんの隣に立つ戸塚くんを見た瞬間に、男を感じてびっくりしました。

わかりにくいと噂のつか作品に初めて触れ、頭の中がぐちゃぐちゃで、一体どういう話なのかこの時点では全く理解できていなかったように思います。でも、言葉では言い表せないパワーを感じて、なぜだか涙が止まりませんでした。

 

夏の京都

初日は京都、南座でした。プレビューの日とは打って変わって京都は暑かった。夏の京都に行くのは初めてで、じりじりと焼けるような暑さに辟易としました。

四日間の南座での公演は初日と翌日だけ観劇しました。本当は初日だけのつもりだったのだけど、見たくなって京都に発つ前日にチケットを譲っていただいたことを覚えています。

南座に行くのは初めてでしたが、とても歴史ある建物で感動しました。祇園祭宵山が近い京都の街。終演後、鴨川の納涼床を横目に四条通りを歩くと夏の夜の空気が気持ちよかった。

私が出発の中で好きだったシーンの一つに、出て行こうとする明子を止めるために戸塚くん演じる一郎がスーパーマンを演じるシーンがあります。

母に捨てられて父と二人きりで過ごしてきた明子は、母というものを知らずに母になることに恐怖を感じているし、もっといえばぬくもり溢れる岡山家の中に居る自分を信じられていないようでした。居心地が悪いわけではないけど、その中に居ていいのかなと思い続けている感じ。幸せな時ほど、それが現実なのかわからなくなるし、そこに自分なんかがいていいのかなと思うこと、あるよね。ある、わかる。幸せの中に孤独を感じてしまうと、とても寂しくてどうしようもない気持ちになります。明子はきっとそんな孤独とずっと付き合ってきたんだろうなと思います。

一郎は亭主関白というか、古典的な夫像を絵に描いたような人物で、口は悪いし手は上げるし、女は黙って男の後をついてこい!みたいなキャラクターではあるものの、色んなところに優しさが散りばめられているキャラクターでした。そして、すごく責任感が強いキャラクター。当たり前のことなのかもしれないけど、常に長男であろうとしている。だから、父がいなくなった家族を支えようと懸命に奔走していました。

このシーンの前のシーンで弟である六助をツテを頼って就職させてやり、六助は恋人のみどりと二人で沖縄に旅立っていきます。家で燻っていた弟をやっと送り出してホッとしたのに、今度は明子が出て行こうとする。

岡山家の家族が立派なのに自分なんて……と自分を卑下する明子に対して、そんなことないと伝えたくて、なぜか自分がスーパーマンだという一郎。(弟の六助がオオサンショウウオという小ネタを受けて、弟はオオサンショウウオ、自分はスーパーマンという寄せ集めの家族だから、明子が入り込む余地があり過ぎることをアピールしたもの)着ていたシャツを脱ぐと、あのスーツの模様が描かれたTシャツが。

ふるさとがないという明子に、自分がふるさとになってやると告げるも、なおも出て行こうとする明子を引き止めるために必死に道化を演じます。泣いてる明子を、なんとか笑わせようとする一郎はすごく健気で優しくてかっこ良かった。それでも泣き止まない明子に対して、笑顔を守れなかったから星に帰ると行って飛ぶ真似をするんです。

真似なの。真似なんですけど、本当に何度も何度もジャンプして、もちろん飛べるわけなんてないから、何度も何度も失敗して転んで、汗だくになりながらヘトヘトになっても飛び続ける。「飛べるんだ」「飛ぶんだ」って、悲痛な程懸命に。

ちょうどこの頃、Myojoの10000字インタビューで、「飛ぶんです」と言っていた戸塚くん。その戸塚くんと劇中の一郎が重なったんです。泥くさいけど、とにかく一生懸命飛び続ける一郎が。ちょっと胸が熱くなりました。

私はもともと戸塚くんの雰囲気が好きで、A.B.C-Zならとっつーが好き!と言い続けていました。でも、人柄はあまり知らなかった。だから、気になり始めて、色々な映像を見て・テキストを読んで、戸塚くんを知っていくうちに、こんな考え方する人だったんだ、とすごく驚きました。好きになってから読んだ10000字で「飛ぶ」と言う戸塚くんを見て、きっと今、戸塚くんは、こんがらがってもいないし、すごく前向きなパワーが溢れているんじゃないかなとなんだか胸が熱くなりました。だから、飛ぶために何度も何度も転んでは起き上がる一郎の姿に、より一層胸を打たれたのだと思います。

「飛ぶんだ」「飛べるんだ」と飛ぶ真似を何度も何度も繰り返す姿を見て、明子の心が徐々に解れていきます。このシーンの明子はどんな気持ちだったのかなぁ。くだらないことを一生懸命にやっている一郎にちょっと呆れつつも、それでも自分を一人にせずそばに居てくれる一郎にほっとしたんじゃないかな。どこにも行かずに自分たちのふるさとになって欲しい、と言う明子に、一郎は、どこにも行くわけなんてないと応えます。

ふるさとって場所ではなくて人なんだなぁと改めて思います。もちろん場所に感じることもあるけれど、大部分がその場所で誰かと過ごした思い出なんじゃないかな。家族を持つというのは、またひとつ自分にとってのふるさとが増えることのように思います。明子の不安は単純に見えてとても根深くて、根本から解決することは決して出来ないでしょう。例えどんな言葉で慰められても、大丈夫だと言われても、きっと明子の心は癒えない気がします。どうしたら彼女の心は癒されるのだろうと思うと、やっぱり思い出を作っていくしかないんじゃないかなと思います。たぶん自信なんてないし、間違うこともあるし、だけど、新しい家族と新しい思い出を作っていくしかない。

そう考えると、一郎が明子の全てを受け止め、ふるさとになると言ってくれたことは、明子にとってすごく心強かったのかなと思います。

この後、一郎はまた「時には昔の話を」を歌います。その表情は切ないものの愛に溢れていました。一郎が、馬鹿げていたようにも思える若かりし日々を愛おしむこの曲を歌うのは、無意味な過去なんてないというメッセージなのかなと私は思っていました。

 

あずさに揺られて

南座での公演を終えて、愛知、長野、群馬、山梨、福島と一座は巡業へ。舞台をほぼ見たことがない私にとって、地方巡業という概念自体が新しくて、本当に旅の一座みたいな感じなんだなぁと驚きました。

当初は巡業には行くつもりがなかったのだけど、これも本当に直前に行くことを決めたんだったと思います。ギリギリにバスを予約して新宿から高速バスに乗りました。

初めての山梨は本当に何もせずに帰ってきてしまったので記憶が全くありません。甲府駅の駅ビルでポストカードとsnidelのお洋服を買いました。なぜ甲府で買った……。バスで劇場まで行ったのですが、みんな同じ行き先だなぁと心がホカホカしました。知らない街なのに心強い。

ちょうどこの頃戸塚くんが髪を切って、舞台中なのに切るの?!と驚いた記憶があります。最初の頃はポスターのキーヴィジュルに近い長めの髪型だったんだけど、襟足さっぱりの刈り上げにカットされて、私の中でリヴァイ*1だと話題でした。運動量もすごいし、消耗する舞台だから仕方ないけど、もうこの頃には結構痩せてて髪もさっぱりしたからそれが目立つなぁと思っていました。

山梨公演はすごく独特の空気感で、戸塚担と地元の人たちが入り乱れていてとても面白かったです。私の周りは割と地元の人たちが多くて、高校の演劇部の子たちかなぁという感じの話も聞こえてきて新鮮な気持ちになりました。客入りはまずまずというところでしたが、こういう普段では見てもらえないであろう方たちに見ていただけるっていいなぁと思っていました。

プレビューも南座も割とドキドキという空気感だったので、巡業でのなんだかのびのびとしている空気感は新鮮で、いいもの見れたなぁと思いました。心なしか演者の皆さんのアドリブも多かったように思います。明子の父を演じる佐藤蛾次郎さんが、戸塚くんの紹介も兼ねてA.B.C-Zというグループ名前も出してくれて、この客層だからこういうアドリブになるんだと興味深かったです。ありがとうございました。この日は、蛾次郎さんのアドリブで笑いが止まらなくなる戸塚くんというかわいいものを見れたのもとても良かったです。

帰りは、信玄餅買ってあずさに飛び乗りました。山梨はそうでもなかったんだけど、東京は雨だった気がします。「あずさ」という電車にはちょっとした思い入れがあって、この日やっと乗れたのが嬉しかった。弾丸過ぎる一日だったけど、自由な空気感でお芝居をしている様子を見ることが出来て、本当に良かったです。

 

そして、千秋楽

巡業を終えて、新橋演舞場での六日間の公演が始まりました。もうこの頃にはとても暑くて、暑いなぁ嫌だなぁと思いながら劇場に向かっていました。すごくたくさん見た気がしましたが、新橋でも三公演しか見ていなかったようです。体感と全くあっていない不思議。

巡業を終えた一座は、なんとなく一体感が増したように感じました。最初の頃、明子と一郎の雰囲気はまぁ普通でしたが、この頃にはすっかり夫婦という感じになっていました。序盤に二人が踊るシーンがあるのですが、二人とも本当に慈愛に満ちた表情で見つめ合っていてすごく感動しました。二人だけでなく、一座全体にいい雰囲気が流れていて、巡業でたくさんの時間を一緒に過ごして、同じ釜の飯を食べたから(実際に食べたかは知らない)なのかなぁなんて思いました。

出発の好きなシーンの一つは前述の通りですが、もう一つ好きなシーンがあります。最後の父と一郎のシーン。この物語の核心とも言えるシーンです。

二人のシーンの前に、父役の石丸謙二郎さんが舞台に一人で立ち、語るシーンがあるのですが、やっぱりすごいなぁと感動しきりでした。演出ももちろんだけど、大事なことを話す時は声の質感が変わって、一瞬で客席を演技に引き込んでしまうんですよね。東北の思い出を語っていて、その描写がすごく胸に迫るものがありました。苦しかった。

その後、一郎が出てくるのだけど、出てきた瞬間から泣きそうな顔で、悲しみを堪えているような様子です。劇中でいつも一家の大黒柱であろうとしていた一郎が、このシーンでは子供の表情をしています。そんな他のシーンとの対比がひどく印象的でした。

「アルバムがなくなった」という一郎。「新しい思い出がなくなった」という台詞もこの辺りだったかな。そして、一郎は、父の旅立ちの歌、「帰っていく」歌を作っている。初見の時に、お父さんは亡くなっているのかなぁと思っていて、途中でいや生きてるかもと思ったけど、最終的にはやっぱり亡くなっていると解釈しています。(劇中で奥の細道の序文が語られるのだけど、この序文には、旅への憧れ、旅の上で死ぬことへの覚悟、そして移り変わる人の世が詠まれていて、それを踏まえても、やはりお父さんはもう戻ってこないのだなぁと思います。)

ここからは本当に重くて苦しくて毎回辛かったです。涙が止まりませんでした。旅立つ父に向けて、つか芝居のお決まりでもある長台詞があります。毎回毎回すごい迫力で、戸塚くんが瞬きをしないから、こちらも瞬きが出来なくて、戸塚くんは泣いているのか汗が目に入ってるのかわからないけど、とにかく涙を流していて、私も涙が溢れてきて、終わったあと毎回頭が痛かったです。でも、このシーンのおかげで、戸塚くんのお芝居が好きになったし、戸塚くんが好きになりました。戸塚くんはすごく演技が上手いわけではないかもしれない。でも、戸塚くんの命を燃やすようなお芝居は本当にすごい。胸ぐらを掴まれて、逃げ道を絶たれて、耳元で思い切り心の内を吐露されているような気持ちになります。(これ、前にもブログで書いた気がします。)このシーンを演じている戸塚くん、きっとしんどいだろうなぁと毎回思っていました。それでも、いつも全力だった。演じているということを忘れるほど、一郎そのものだった。そして、命を燃やすようなお芝居をしている戸塚くんは、びっくりするほど輝いていました。こんな言い方すると、戸塚くんがどこかへ行っちゃうみたいで、すごく下手くそな喩えなんだけど、星が燃え尽きる瞬間の光みたいに爆発的で神秘的な美しい光を放っていました。

このシーンの中で、悲痛な顔をしている一郎を笑わせようとお父さんがおどけるシーンがあるのだけど、それが明子と一郎のスーパーマンのシーンに重なって、一郎はやっぱりお父さんの背中を追っていたのだなぁと思いました。最後の最後に「父さんは後ろ姿さ」という一郎の台詞があるんです。子供は父の背中を見て育つというけれど、一郎が目指したのはやはりお父さんだったし、お父さんが去った後、一郎は岡山家の父となるけれど、きっとその前にいつもお父さんの背中が在り続けるのだと思います。戸塚くんはよく家族の話をしているし、お父さんに対して憧れを持っているんだろうなと感じていたから、何故かこのシーンのこの台詞だけは、一郎だけの台詞ではなく、戸塚くん自身の台詞のような気がしていました。

そして、千秋楽。本編を終えて、カーテンコールで出てきた戸塚くんの表情がすごく魅力的でした。二階の最前列で見ていたのだけど、とにかく晴れやかでさっぱりした顔だった。北千住でのプレビュー公演で見た表情も良かったんだけど、それの何倍も良かった。一ヶ月にも満たない期間で、人ってこんなに違う顔をするようになるんだなぁと感心してしまった。

この日まで、私はもう戸塚担なんだろうなぁと思いながらもなかなか踏ん切りがつかなくて、担降りという言葉を避けてきたんです。でも、もうダメでした。こんな風に人が成長する姿を見て、それもこんなに魅力的に成長する姿を見て、好きにならずにはいられなかった。一気に心の中に入ってくる魅力的な演技をする戸塚くん、声を枯らしても伝えたいことを伝えようと必死に叫び続ける戸塚くん、客席を本当に幸せそうな顔で見つめる戸塚くん。そんな彼を好きにならずにはいられなかった。ずっと見ていたいし、これからも戸塚くんが変わっていくところが見ていたいと思ってしまった。

だから、この日から、「私は戸塚担です」と言おうと決めたのでした。

 

ここからはすごく個人的な話です。当社比三倍ポエムを読みます。

ちょうどあの春、私は仕事の影響で体調を崩していました。仕事はすごく楽しかったんだけど、とにかく忙しくて、毎日毎日泣きながら仕事をしていました。ジャニ伝の再演中に張り詰めていた糸が切れて小休止を打つことを決意したけれど、その頃の記憶はあまりありません。それまでの睡眠不足を補うように毎日寝てた。人間って本当に疲れると体の機能が停止するのか寝ることしか出来なくなるみたい。そんな状況が2ヶ月ぐらい続きました。なんだか真っ暗な海の底にいるみたいだった。潮の流れもゆっくりで、ほとんど変化のない時間をただ生きていたという感じ。雨と灰色の空の記憶。色付いてるのは日生劇場のそばの花壇に咲いてた躑躅の鮮やかなピンクぐらいかも。えび座もそれなりに見たけど、やっぱり心からは楽しめなかった。

私の記憶に色が戻ってきたのは、ちょうど出発が始まったぐらいの頃でした。急に視界が開けて、世界が輝いて見えました。海の底に一筋の光が射し込んで、海面へと向かっていく小さな気泡で自分が息をしているのがわかり始めたような気持ちになりました。

出発は、私の体と心が回復する過程にあった作品だったのだと思います。だから、この舞台を思い出すと頭の中に太陽が燦々と輝く明るく澄んだ青空のイメージが浮かびます。そして、不思議と心が軽くなるような気がします。
コンテンツの良し悪しって、そのもののパワーももちろんあるけれど、結局受け手が人間である限り、受け手の置かれている状況や精神状態に左右されるものだと思っています。出発がすごく良かったのかときかれると判断に困るけれど、少なくとも当時の私の置かれた状況にはとても合っていて、とても響いた話ではあったと思います。成長の物語を見ることで、そして、戸塚くん自身が成長していく姿を見ることで、私のカラカラに乾いていた心は少しずつ水を含んで潤っていった。私も飛べるかもなぁなんて思えるようになっていった。

偶然か必然かはわからないけれど、あの夏、私は出発という舞台に出会えました。千秋楽の戸塚くんの晴れやかな笑顔を見ながら心が温かくなりました。自分の気持ちを言葉にするのが好きだし、得意な方だとは思うけど、この時の気持ちだけはうまく言葉では表せません。ただ、よかったんだよね。よかったんだ。

敢えて言うなら、あたたかくて、眩しくて、なんだか太陽の光を素肌に感じたみたいだった。

たぶん、あのタイミングじゃなかったらこんなにたくさん見ることも出来なかったし、こんなに心に響くこともなかったのかもしれないと思います。そういう意味でも、本当に巡り合わせだと思います。

 

A.B.C-Zを好きになって、いいものに触れる機会が格段に多くなって、コンテンツとしてはもっといいものにたくさん出会ったけれど、やっぱり特別なのはこの舞台です。ずっと大事にしようと思います。できるだけ、忘れてしまわないようにしようと思います。

 

2017.11.1 加筆修正しました。

*1:進撃の巨人のリヴァイ兵長